流動性文体の誕生──四ヶ月間の異常成長録

中島充

【表現力研究01-描写】まんまりんご(静物描写)

『静物の甘さが、ゆるく視界をにじませる』


 距離・角度・視線の揺れによって、ただのリンゴがわずかに"異常化"する瞬間を切り取る掌編です。

 描写の密度と読者の呼吸をそっと同期させ、ごく弱い知覚のズレをフックとして働かせています。



『まんまりんご』


 りんごを見る。静物画を描くときに果物はよく使う。よーく、見る。りんごがドンドン大きくなってきた。茶色く太い枝。目の前のりんごの皮膚は赤い牛の皮みたい。ツルツルでもザラザラでもない。あの手触り。もっと近づくと、赤いりんごの甘酸っぱい香り。さらに近づくと、口の中によだれがあふれてきた。これをどうやって食べよう。アップルパイ、焼きリンゴ、りんごアメ。やっぱり、がぶりと食べるのがいいかな。おっと、食べちゃうと無くなっちゃうな。


 近づきすぎると食べちゃうから、少し離れよう。目の前にある大きなりんご、すこーし小さくなった。さっきの半分くらいの大きさだ。でもまだ大きい。もっと下がろう。さらに半分くらい。いやいや、もっと下がって見よう。そんな感じでずーっと下がると、りんごがりんごじゃなくて、赤い豆粒になっていた。おっと、これはまずい。これじゃ、絵を描けないよ。


 小さな小さな赤い豆つぶを、大きな大きなりんごに戻さなきゃ。ぐーっと近寄ってみる。あれ、元にもどらない。どんどん、どんどん、近づいくけど、赤いりんごは豆つぶのままだった。


 赤い豆をしっかりみる。おかしいな、今の目の前にあるのは赤い豆粒だけ。こんなことなら、さっきのりんご食べちゃえばよかった。お腹の中から食べさせてよって音が鳴る。困ってしまってお腹をさする。せっかくだから、赤い豆を食べちゃおうかな。小さいけど、きっとりんごの味がするだろう。


 カメラから目を離して、赤い豆を見た。あれ? りんごが普通に置いてある。おかしいなぁ。じっくりとカメラを見た。あ! 違うボタンを触ってた。ズームボタンじゃないボタンだったから、いくらやっても赤い豆のままだよ。当たり前じゃないか。ゆっくりズームボタンを戻した。りんごがどんどん大きくなった。


 にっこり悪いながら、りんごまで歩いていく。赤いりんごを左手でつかむと少し冷たい感じがした。口を大きく開けて歯でかじる。口の中に甘い汁が流れてきた。流れた汁でお腹も喜ぶ。りんごを見ると、白い歯の形の傷があった。できたばかりの大きな傷で変な形の紅白模様。かみしめてからゴクリと飲み込んだりんごから、何だか甘酸っぱい味がした。

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