第32話「あたしの目に狂いはなかった。」

 自室のベッドに仰向けで横たわり暗い天井をじっと見つめている。本当ならば今日がその審判の日だというのにノイレンは右足首に添え木を当てその上から包帯がぐるぐる巻かれた状態で気ばかり焦っている。

「ちくしょう、なんでこんな時に・・・」

 酷く酔っぱらった客の下敷きになり足首を骨折した自分の不甲斐なさに腹が立って仕方ない。

『その怪我はノイレンのせいじゃない。だから日延べしよう。ノイレンは若いから2、3ヶ月もあれば治るだろう。』

 トレランスはそう言ってくれた。シャルキーも同情してくれた。けれどもノイレン自身が自分で自分を許せないでいた。

 ベッドから起き上がると右手で杖をつきながら外へ出た。トレランスは今、朝の走り込みに行っている。その間に朝食の用意と、できたら洗濯もしようと思っている。

 火を起こして鍋をかけ水を入れる。そこに乱切りにした野菜と豚の肉をドポドポと入れて煮込む。ある程度具に火が通ったら調味料を入れて味を整える。

「いい匂いしてきた。腹減ったなぁ。全然走ってないのに腹は減るんだな。」

 ノイレンは左手だけでいつもの野菜ゴロゴロ肉スープを作った。右手は杖をついているから左手しか使えない。左手で持ったオタマを持ち上げて剣に見立てて軽く振ってみる。

「これでどうにかできないかな。」

 実戦においてはなんでも"有り"だと学んだノイレンはこの状態でも戦う術がないか考えていた。

 トレランスに日延べすると言われてもノイレンは当初の約束の日である今日、師匠に『良し』と言われたくてうずうずしている。仮に今日"お許し"が貰えても足が治るまでダンスは出来ないことに変わりがないのは分かっている。それでも答えだけは早く欲しかった。

 鍋を一旦火から下ろして洗濯に取り掛かった。タライに水を張り終えると右足を伸ばしたまましゃがむ。左足だけで体を支えて洗い始めた。

 洗いながら「この体勢で相手の攻撃を避けたり、攻撃を加えることって出来ないかな」と考える。あれこれと動きを想像してるうちにポンっと一つアイデアが浮かんだ。

「これ、いけるかも。」

 ノイレンは声には出さず口を横に開いてニシシと笑った。


 朝食後トレランスに手伝ってもらって洗濯物を干したあと、ノイレンは物干し竿を架ける柱にもたれて左足と背中で体を支えて素振りをする。

「怪我が治るまで稽古はなしだ」とトレランスは言ったがノイレンは「じっとしてると体がなまる」とやれることを考えてこの3日間は専ら素振りをしながら策を考えていた。

「足は使えないけど、素振りは出来るから。」

 今日もただ意地を張ってるように見せておいて実はさっき思いついたアイデアが有効か確かめようとした。

「言い出したら聞かないんだから。あまりこん詰めないようにな、怪我に障るぞ。」

 トレランスがそう言って家の中に入っていくのを見届けたノイレンは元気よく「はーい」と返事をしてにんまりとする。

 師匠の姿が見えなくなったら背中を柱に滑らせて左膝を曲げてしゃがみ、体勢を低くした。そのままシャドウ稽古を始める。もちろん相手は師匠の幻だ。

「この場から動けないのはわたしにとって不利だけど、頭の位置は師匠の腰くらいだから(師匠は)攻撃しにくくない?」

「この体勢なら師匠だって上からの打ち込み以外やりにくいはず、その攻撃を防ぎつつ下から斬りあげるようにすればわたしにも勝機があるんじゃない?」

「それに左手と左足を使えば少しくらいは移動できるし。」

 ノイレンはあれこれと考えながら幻相手に剣を振り、内心わくわくしていると、不意にうしろから師匠の声が飛んできた。

「それじゃあ試してみるか?」

 ノイレンはびっくりして飛び上がって振り返る。

「た、試すって、な、何を?ていうか、師匠なんでいるの?」

 慌ててとぼけるノイレン。心臓がバクバクして胸から飛び出しそうだ。対戦前に手の内を知られては意味がない。ノイレンのそんな心配をよそにトレランスはニカっと笑って部屋から持ってきた素振り用の特製十字木剣を見せつける。

「なんでって俺も素振りをするからだ。」

「あ、あーそうだった。わたしとの稽古は無しだけど、師匠も素振りするんだったよね。」

「しらじらしいぞノイレン。しゃがんだ低い姿勢で俺から一本取る算段なんだろう。」

 ノイレンの企みが全てバレている。

「な、なんのこと?」

 ノイレンの目が左右に泳ぎまくっている。誰がどう見ても今のノイレンはとても苦しそうだ。苦し紛れにも程がある。

「あのなあ、心の声が駄々漏れてたぞ。声に出してたの分からなかったのか。」

 ノイレンは左手で口を覆って言葉に詰まる。師匠は家の中だと思って安心して呟いてしまっていた。

「アイデアはいいけど、ちなみにその戦法は俺には通用しないぞ。」

「なんで?やってみなきゃわかんないじゃん。」

 ノイレンは頭ごなしに否定されてムキになる。

「じゃあ訊くけど、ノイレンはその状態で俺より速く動けるか?遅けりゃ俺に先回りされるぞ。」

 ノイレンは言葉に詰まった。二の句が継げない。自分が怪我をしているからって師匠まで動きが鈍くなっているとなぜか思い込んでいたことに気づいた。

 それに気づいて顔から火が出そうなほどわやわやになっているノイレンを見てトレランスは呆れた。

『やれやれ、一日も早くダンスを習いたい気持ちはわかるが、怪我で気が急いて落ち着きがなくなっているな。』

 はあっとため息をついたあとトレランスはノイレンに慈しむような目を向けた。

「治るまで半年や一年もかかるわけじゃない、ふた月かみ月程度だ。ノイレンの若さならもっと早く治るかもしれない、それくらい耐えられなくてどうする。」

「だって、」

 ノイレンはぷうとリスのように頬を膨らませて俯いた。

「まあ、せっかくノイレンが考えたんだ、一回だけ相手になってやる。試してみなさい。」

 そう言うとトレランスはノイレンの目の前に立ち、素振り用の木剣の剣先をノイレンの顔に真っ直ぐに向けた。

 頬に溜めた空気をぷっと吐き出してノイレンは勝ち気な笑みを浮かべ木剣を構えた。

「いくよ師匠!」

「おう!」


 ノイレンは下から師匠の股ぐらを狙って斬り上げた。いきなりの急所狙いだ。しかしノイレンの剣がトレランスの急所に当たる寸前しっかりと受け止められてしまった。左足一本で踏ん張るノイレンは右手に左手を添えてもいつものようには踏ん張れず、そのままぐいぐいと押し返される。

「こんちくしょぉぉ〜・・・」

 眉間に皺を寄せて歯を食いしばり必死に抵抗するが師匠の押し込みに抗えない。

 ノイレンが精一杯の力で剣を押し上げていると不意にトレランスはひょいと飛び退いて股下にある剣から逃れた。途端にノイレンは剣ごと両手が上にすっぽ抜けて前のめりに倒れこむ。

「うわあっ!」

 ノイレンは剣を握ったまま慌てて両手をついて体を支えるがその拍子に骨折している右足まで左足と共に踏ん張ってしまった。

「☆△☆!!」

 痛くて体勢を立て直すどころかそのままの姿勢で固まった。痛みで顔が歪む。動けない。

「大丈夫か?」

 トレランスはノイレンを抱き起こして地面に座らせた。ノイレンは悔しさで視界が滲んできた。悔し涙で潤んだその目をキツく吊り上げて師匠を恨むように見つめた。

 トレランスはふうと大きく息を吐くとしゃがんでノイレンと視線を合わせて笑顔になる。

「作戦は甘々だが、相手のことをいろいろ考えて実践できるようになったのは素晴らしい。それだけノイレンが成長したということだな。」

 ノイレンは悔し涙がこぼれないよう唇をかみしめて意地で堪えている。

「この一年で本当に大きくなったな、ノイレン。アデナでも感心させられた。カバレでの仕事も始めた頃と違ってノイレンが変わってきていることをちゃんと感じる。まるで生まれたばかりのイモムシが何度も脱皮を繰り返して大きくなるように、ちゃんと前を見て進んできたという証拠だな。俺との約束どおり見事な成長だ。」

「でも、師匠には全然勝てない。カディンおばさんにだって勝てなかった。負けてばっかりだ。」

 ノイレンは悔し涙を堪えるあまり顔が怖くなっている。するとトレランスはにっこりと笑ってその大きな手をノイレンの頭にぽんと乗せた。

「いいだろう。認める。ダンスを習ってもいい。」

「え?師匠、今なんて?」

 ノイレンはまだまだだと否定されるに決まってると思い込んでいたから意外な言葉に耳を疑った。トレランスは微笑んで繰り返した。

「ダンスを習ってもいいと言ったんだ。ただし、剣術の稽古の手を抜いたら承知しないぞ。それは肝に銘じておくように。」

「いいの?本当に?わたし師匠からまだ一本取ってない・・・」

「俺はノイレンを試すとは言ったが、俺から一本取れとは言ってないぞ。それに俺から一本取ろうなんて100年早いわ、もっともっと修行しなくちゃな。」

 トレランスはいたずらっぽくニカっと笑って誰かさんの台詞を真似た。そしてノイレンの頭をぐるぐるした。



 それから二ヶ月半。世間はすっかり秋めいている。涼しげな陽光の降り注ぐ昼下がりノイレンが全速力でシャルキーズカバレへの道を駆けてくる。さすが若いだけあって治りが早い。いや許可をもらえた嬉しさが骨をくっつけたのかもしれない。たいていの場合二ヶ月で骨が付いてもそこから半年くらいリハビリが必要となるがそこは一日でも早くダンスをやりたい一心で普段以上に体力と筋力作りの稽古に励んだ。トレランスもその若さとひたむきさには正直驚いた。

「よろしくお願いします!」

 ノイレンが腰を直角に曲げ、その長いポニーテールを前に垂らしながらシャルキーに挨拶する。

「そりゃいいけど、あんた足はもういいのかい?まだ二ヶ月だろう、ちゃんと動けるのかい?」

 シャルキーはノイレンが無理をしているのではないかと心配する。

「まさか無理にギプスを外したんじゃないだろうね。」

「大丈夫、そんなことしてない。本当に治った。ほら見て、ちゃんと動けるから。」

 ノイレンは見て覚えたステップを踏んで見せた。

「それだけ動けりゃ大丈夫そうだね。いいだろう、ビシビシしごいてやるから覚悟しな。」

「はいっ!」

 かくしてダンサーとしてのノイレンの人生が始まった。


 連日シャルキーズカバレのステージにノイレンとシャルキーの姿がある。

 シャルキーがパンパンと手を叩く。

「腰が浮ついてるよ、骨盤をしっかり固定しな。それから上半身もくねくねさせない。頭から腰まで串刺しにされたように一本芯を通すんだよ。」

「はいっ。」

 午後3時過ぎのシャルキーズカバレのステージでノイレンはレッスンを受けている。家の掃除を終わらせた後、店が始まるまでの数時間シャルキーに師事している。まだ明るい時間だからノイレン1人でも店まで歩いて来られる。

 ノイレンが習うダンスはベリーダンスのようなものでどんな妖艶な動きであっても体の芯をぶらさないのが基本姿勢となる。剣術とはまるで異なる体捌きにノイレンは四苦八苦している。

 剣術では例えば酔っ払いのふらふらとした千鳥足で全身のバランスがおぼつかないような動きであっても有効な時がある。しかしこのダンスではそんなだらしない動きは見ている者に悪印象しか与えない。肩や腰がくねくねとしているように見えても実は一本芯が通っている。そうでないと動きが締まらないし、妖艶さも伝わらない。

「もう一度最初からやってみな。いいかい、串刺しになるんだよ。出来ないってんならあたしが頭から串を刺してやるよ。」

「はいっ。」

 ノイレンは肩の力を抜いて両手を広げる。恥骨を持ち上げ、そしておしりにキュッと力を入れて体の中に入れ、膝を伸ばす。

「もっと胸を上げな、前に張り出すんじゃないよ、上に持ち上げるようにするんだ。それで顎を引く。」

 シャルキーがツカツカとくっつきそうなほど近づいてきて基本姿勢を取るノイレンの秘所の上、恥骨をその指の長い綺麗な手で触る。

「きゃっ」

「なにヘンな声出してんだい。ここをもっと持ち上げるんだ。そうしないと骨盤が立たないよ。」

「はいっ。」

 ノイレンは指摘された箇所を正していく。すると綺麗に立てた。

「いいじゃないか。そうだよ、その姿勢だ。それが基本だからね。」

「はい!」

 実年齢より老けて、もとい大人びて見えるノイレンの姿はその綺麗な基本姿勢のお陰でどこからどう見ても映えている。これでセクシーな衣装を着ていたら男どもが間違いなく惚れる。シャルキーはその姿を見て内心ほくほくだ。

『やっぱりこの子いいダンサーになるね。あたしの目に狂いはなかった。』

「よし、じゃあそのまま前に歩いてみな。」

 ノイレンは体の軸と姿勢を維持したまま右足を前に出した。滑らかな動きを意識してつま先から着地する。踵を付けたら左足を同じように滑らかに動かしてつま先から着地する。踵を付けるときトンと少し音が出た。剣術での踏ん張りが体に染みついて足の裏を床に付けるときしっかりと体を支えようとしてしまった。

「こら、音を出すんじゃない。猫みたいにしずかに歩きな。剣術とはまるでステップが違うんだからね。トレランスみたいにどかどか歩くんじゃないよ。」

 ノイレンは思わず吹き出した。

「笑うとこじゃないよ。」

「だって、シャルキー先生。」

 シャルキーは先生と言われて顔を赤くした。

「なんだいその先生ってのは。」

「ダンスを教わるんだから師匠だけど、それだとあっちのトレランス師匠と紛らわしいからシャルキーは先生ってことで。トレランス師匠もアデナで先生って呼ばれてたし。」

「それは分かったけど、”先生”はよしとくれ。小っ恥ずかしいわ。今まで通りシャルキーでいいよ。」

 シャルキーはそう言いながらも嬉しそうな表情をしている。

「わかった、シャルキー(先生)。」

 ノイレンは心の中で先生と呼ぶことにした。



次回予告

まだ甘々ではあるが確実に変わってきたノイレン。ダンスを習い始めてひと月、カバレで働きながらダンスを見ていたからか覚えも早く一通りのことはできるようになったがラクスのような妖艶さがノイレンのダンスにはない。つまりノイレンには女性としての色気がなかった。まだ子どもなのだから仕方ないといえばそれまでだがそれではダンサーとして一流になれない。ノイレンが客を惹きつけるダンサーになれるようシャルキーとラクスはあれこれと心理面でのアドバイスをする。そして重大なことにシャルキーは気づく。

君は彼女の生き様を見届けられるか。

次回第三十三話「なるほど、そういうことか・・・」

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