第三部『サナギとなれ』
第28話「やっぱりこの子はすごい。」
ノイレンは尻込みしていた。
アデナでの仕事を終えたトレランスとノイレンはひと月ぶりにシェヒルに帰ってきた。
ニワトリ目覚ましも、走り込みの街並みも、なんなら自分で作った野菜ゴロゴロ肉スープの味も久しぶりで懐かしい。
なにもかも懐かしい中にはシャルキーズカバレも入っている。しかしノイレンの心には怯えがあった。あんなことがあった翌日からアデナに行っていたから、お店のスタッフやお客さんたちにどんな顔をすれば良いのか分からない。誰もがチップを強要し悪態をつくふざけたやつと白い目で見てくるに違いない。そうとしか思えなかった。だからもうカバレには居場所なんてない、こんな自分を受け入れてもらえるわけない、そんなうしろ向きな考えばかりが頭の中をぐるぐる巡っている。怖くて部屋に引きこもって誰とも会わずにいたいと思った。
「どうしたノイレン、早く食べないと遅れるぞ。シャルキーに『遅刻した分給料引くからね』て言われちまうぞ。」
トレランスはシャルキーの口真似をしてみせる。
「師匠、わたし・・・お店に行ってもいいのかな。」
ノイレンはパンにすうっと染みこんでいくスープを見ながら訊いた。師匠と目を合わせられない。トレランスは最後の一口を飲み込んで答える。
「当たり前じゃないか、何を言ってるんだ。シャルキーにクビなんて言われてないだろう。」
「それはそうだけど・・・」
浸したパンを皿の中でぐるぐると回す。
「仕事での失敗は仕事で取り戻しなさい。気に病んでうしろ向きになるんじゃなく前を見るんだって言ったろ。なあに案ずるより産むが易しだ、怖くても行けばなんとかなるもんだ。」
トレランスは片方の口角を上げてニヤっとした。
「それに、ここで逃げたらダンスはどうするんだ?諦めるのか。」
「やだ、絶対諦めない。」
「だったら早く食べなさい。」
ノイレンは皿に口をつけて浸したパンごとスープをぐびぐびと飲み干した。
そうは言ったものの、トレランスのうしろで馬に揺られているとやっぱりまた怖くなった。だからといって馬から飛び降りて逃げ帰る気持ちにもなれない。
『うしろむきはダメ』
師匠の言うとおりだと思うから逃げるのは卑怯だし情けないと感じる。そう思うと目の前の怖さに背を向けるのはノイレンの性格が許さない。トレランスの服につかまり不安に苛まれているうちにシャルキーズカバレに着いてしまった。
いつもどおりに裏口から入る。トレランスはノイレンのことなど気にも留めてないかのようにさっさと中へ入っていく。彼が開けたままの扉から恐る恐る中を覗くとそこにはシャルキーがいた。
「おはようノイレン。休んだ分しっかり働いてもらうよ、早く着替えな。」
彼女はいつもと変わらぬ表情で、いつもと同じ態度で迎えてくれた。
「お、おはようございます。あの、シャルキー、わたし、この前はすいませんでした!」
いつもと変わらないシャルキーにノイレンは腰を直角に曲げて頭を下げた。勢いが良すぎてお尻まである長いポニーテールがハエを叩くようにノイレンの頭を越してシャルキーに降りかかる。シャルキーはノイレンのポニーテールにまみれて立ち尽くす。
「あ!ごめんなさい!」
慌てて頭を振ってシャルキーに振りかぶった髪を引く。それを見ていたトレランスが大声で腹を抱えて笑っている。
「師匠!」「トーレランス。」
シャルキーとノイレンの2人がハモりながらトレランスをジトっと睨んだ。
シャルキーが15歳の時に花形を張ってたダンス衣装に着替えたノイレンは店内に出た。
店はもう満席でわいのわいのと賑やかだ。ノイレンは客とは目を合わせないようにしながらカウンターにいる給仕係のチーフのところへ向かう。足が重い。チーフはジョッキにビールを注いでいると近づいてきたノイレンに気付いて一瞥、そしてすぐに視線をジョッキに戻した。ノイレンはおそるおそる目の前まで行き挨拶した。
彼はいつもカウンターの中にいて店全体を見ながら飲み物を注いでいる。無口な人だが全てのテーブルの飲食状況を把握していて注文が入りそうになるとジョッキを手に取る凄腕給仕だ。時々シャルキーに内緒だと言ってトレランスにビールを注いでくれたりもする。
「おはようございます。今日からまたよろしくお願いします。」
ノイレンが彼の顔色を伺うように小さい声で言うと無言でスッと目の前にビールがなみなみと注がれたジョッキが3つ差し出された。
「20番。今日もよろしくノイレン。」
チーフはそれだけ言うとウィンクした。ノイレンの表情が明るくなる。
「はいっ!」
両手で3つのジョッキを持つといそいそと指定されたテーブルに向かった。
『よかった、嫌われてなくて。よーし、師匠の言うように仕事で取り返してやるぞ。』
ジョッキを運びながらもっとその人の"人物"を見るようにしないとなとトレランスの言葉を噛み締めた。
「お待ちどうさま!」
静かにジョッキをテーブルに置きながら客たちに声をかける。
「お!嬢ちゃん久しぶりだな。シャルキーに叩かれて今までピーピー泣いてたか、アハハ!」
テーブルにいる客たちがノイレンを見るなりキツイ冗談をかましてきた。ノイレンは少し凹みながらも返事した。
「そりゃちょっとはね。でもあれはわたしが悪かったからさ。」
「お?ちょっと見ない間に変わったな。」
ノイレンの口ぶりに彼女の成長を感じたのかいささか目を丸めて感心している。
「何も変わってないよ、わたしまだまだだもん。」
ノイレンはそれだけ言うと人差し指で鼻をさすりながらカウンターへ戻っていった。
三日後。夜がもっと更ければ年も改まるという日、いつもは深夜12時には営業終了だが今夜だけは夜明けまでぶっ通しでお祭り営業だ。
いつもの顔馴染みだけでなくこの日ばかりはとやってくる客もいる。ノイレンも慌ただしくテーブルとカウンターを行き来している。
「おーい、ビールまだか?」
「今持ってくよ、ちょっと待ってて。」
「注文頼むぜ。」
「はいっ、ただいま!」
「こんなんじゃ足りねえ、もっとじゃんじゃん持ってこいや!」
「食い過ぎんなよ!腹壊すぞ。」
チーフのところに戻ってきたノイレンは両手をカウンターに掛けて息を整える。
「全然お皿とか洗う暇ないじゃん。足りなくなったらどうすんの?」
空のジョッキと交換に新しいのを待っている間、黙々とビールを注ぐチーフに訊いた。
「ノイレンが洗ってくれるから大丈夫。」
「どうやって?全然ホールから離れられないんだよ。」
ノイレンは憎らしそうな目つきで訊き返すとチーフは表情を変えず涼しげに答える。
「口より手を動かせば洗える。」
『鬼だ。大晦日に鬼が出た。』
ノイレンはぷうと頬をリスのように膨らませた。
ノイレンのすぐうしろのテーブルにいる客が声をかけてきた。
「ノイレン、馬鈴薯バターチーズまだか?」
ノイレンは首だけ振り向かせて答える。
「シャルキーが今一生懸命作ってるよ。もそっと待って。」
あまりの忙しさにシャルキーも調理場に入って手伝っている。ホールはノイレン1人だ。
「早く頼むぜ。もう食いもん無くなっちまったからな。」
「あいよ!」
少しつっけんどんに返事をすると新しいジョッキを5つ両手で抱えてその場を離れた。
「お待ちどうさま!」
ノイレンがジョッキを置いて戻ろうとすると、
「ノイちゃんちょいと待つだに。」
そう言ってコインを2枚ノイレンの胸元に差し込んできた。
「え、いいの?だってわたし・・・」
ノイレンがびっくりして訊くと客はニヘラと笑って答えた。
「ノイちゃん1人で頑張ってるからご褒美だにな。」
常連は満足そうな顔で戸惑うノイレンを見上げている。
「今日は特別だに。」
「ありがとう。」
ノイレンは胸にこみ上げてくる感情を抑えてお礼を言うと、同じテーブルの隣の席にいる客が素早く彼女の背中にコインを差し込んできた。
「ひぇっ!」
冬の寒さを背中に直接感じた。
「あははは、オレからもご褒美だ!ご苦労さん。」
「あ、ありが、とぅ。」
コインの冷たさで背中がゾクゾクする。お陰でこみ上げてくるものをこぼさずに済んだ。ノイレンと客がそんなやりとりをしていたら店の中がシーンと静まり返った。見ると皆ステージに注目している。
ステージには普段より気合の入った豪華絢爛な衣装を身に付けたラクスがポーズをつけて立っている。そして今日のためにめかし込んだ演奏係がステージの袖付近で弦楽器を奏で始めた。
その音楽に合わせてラクスが踊り始める。2人はぴたりと息があっている。彼女のダンスはいつもながらにキレがいい。ツインテールがまるで生きているかのように彼女の動きに追従してダンスが際立つ。
ノイレンはその妖艶さに背中の冷たさも忘れて魅入った。客席からは演奏の合いの手を入れるかのように時折喝采の声が飛んでくる。
「ノイちゃんのダンスも見てみたいだになあ。」
チップを弾んでくれた常連がボソッとこぼす。
「ごめんなさい、師匠との約束でまだダンスはできないんだ。でも、そのうち見せてあげるよ。」
ラクスの神々しさにノイレンの気持ちも昂る。けれどもこの時ノイレンの目に映るダンスは単なる憧れの対象ではなかった。
『今の足捌きあの型に使ったらもっと動けそうだな。』
アデナでの経験がノイレンを変えた。柔軟に考えることを学んだ彼女はダンスの動きを見て剣術に活かせるかもと思うようになった。
ノイレンはラクスに見入る客たちの邪魔にならないよう腰を低くしながらカウンターの隅にいるトレランスのところまで戻ってきた。
「どうしたノイレン。」
客の邪魔にならないようノイレンの耳許で小さく訊いた。ダンスを見る彼女の様子が今までと違うことをトレランスは見逃さなかった。
「ちょっとね。」
ノイレンが勿体ぶったように含んだ笑顔で答えるとトレランスはその大きな手をノイレンの頭にぽんと乗せた。
長い1日が終わった、というより明けた。
毎年恒例のシャルキーズカバレ年越しお祭り営業は大盛況のうちに幕を閉じた。夜が明けて真っ赤な顔をした客たちは皆三々五々家路についた。
「みんなよく頑張ってくれたね、ありがとう。これは店からのボーナスだ。取っておいておくれ。」
満足そうな笑顔のシャルキーがスタッフのみんなにコインが詰まっている巾着袋を手渡す。皆から集めたチップの山分けだ。もちろんこの日は特別にシャルキーの懐からも相当出ている。
ノイレンは片手に余るそのずっしりと重い巾着袋を両手で大事に抱えるように持ってトレランスと共に帰った。手にかかるその重さが今までに感じたことのない素晴らしいものに思えた。
「寝ててもいいぞ。但し落ちないようにな。」
トレランスはイタズラっぽく笑いながらうしろに乗っているノイレンに声をかける。
「大丈夫、
「今日は稽古はなしだ。帰ったらたっぷり寝とけ。夜からまた仕事だからな。」
この地域では東の果てと違って新年のお祝いはない。むしろ一週間前のイベントのほうが重要視されていて街全体が浮かれた。
「うん。疲れた。お客さんたちみんなよく朝まで騒げるね。お店のみんなもすごいな。」
そう言いながらもこっくりと船を漕ぎ始めた。
トレランスはうしろでノイレンが眠り始めたのを感じながら一週間前のことを思い出していた。アデナを発つ前日、アデナの街も世間が浮かれるイベントの前夜祭で盛り上がっていた。騎士団長のシュバイレンから帰る前に中心市街にある教会へぜひ足を向けてみてと勧められた。
「今から400年近く前にこの街を救った英雄がその時携えていた剣が祀られているんですよ。普段は教会の関係者しか見られないのですが、今日明日だけは一般に公開されるんです。先生の剣と同じように
そこまで言われるとトレランスはひと目見たくなったが、教会と聞いてノイレンが即答で拒否した。
「行ってみようよ、今日しか見る機会ないんだし。アデナに来た記念になるぞ。」
トレランスがなんとか説得しようと試みるが頑としてノイレンは首を縦に振らない。
「絶っっっ対やだ!行きたきゃ師匠1人で行って。わたし行かない。」
「仕方ない、ノイレンがやだって言うなら俺も行かない。英雄の剣は諦めよう。」
そうして長く仕事を休むことを快諾してくれたシャルキーにお詫びと感謝の気持ちを込めたお土産を2人で探した。買い物をしている間ノイレンが少しばつが悪そうな顔をしていたのがトレランスはずっと気になっていた。
『俺と出会う前に教会でなんかあったんだろう。それでかたくなに拒否したけど、俺まで見に行くのを諦めたことに罪悪感を感じているのがわかる。この子にそこまで思い詰めさせるとは何があったんだか。人間不信のもとはそこにあるのかもしれんな。』
一目でその人の”人物”を見抜く目を持っているトレランスでも、その人がどんな経験をしてきたかまで詳細に感知できるわけではない。ある程度の予想は付く、だからそれまでのノイレンが独りでどんな生活を送ってきたのか大体は分かるが正確な詳細は聞かない限りわからない。ノイレンが教会に対して強い拒絶を持っていることはあの時に初めて知った。
「俺もこんな商売してるから無信心だし、教会には縁がないもんなあ。」
『ま、触らぬ神に祟り無しってね、俺なりにこの子を見守るとしよう。』
そんなことをあれこれ考えているうちに家に着いた。
「さあ着いたぞ。」
ドサっっっ!!
「うわっ、大丈夫かノイレン!?」
完全に寝入ったノイレンは馬が止まると即座に落馬した。慌ててトレランスはノイレンの顔をのぞき込む。
すーぴーすーぴー
「あっはっはっは、前にもこんなことがあったなあ。」
落馬しながらも今までとはその”重み”の違うボーナスの入った巾着袋は握ったままだ。
『やっぱりこの子はすごい。この動じなさは頼もしい。約束の期限まであと半年だぞノイレン。どこまで成長したか見せてくれよ。』
トレランスは全く起きないノイレンを抱えると彼女のベッドへ連れて行った。
次回予告
シャルキーズカバレに集う面々に温かく迎え入れられて失敗を前向きに捉えられるようになったノイレン。乾いた砂がどんな器にも対応して姿を変えたり、水をかければ一気に吸い込むように貪欲にそして意欲的に様々な物事を剣術上達のために取り入れ、試行錯誤を繰り返すようになったノイレンは他の人に出来て自分に出来ないわけがないと意気込む。
君は彼女の生き様を見届けられるか。
次回第二十九話「わたしに出来ないわけない!」
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