第25話「やれやれ、結局俺が悪者かあ。」

 メムルから柔軟に考えることを実践で教わったノイレンはカディンの影相手のシャドウ稽古の最中にそれまでと違う動きを取り入れていた。

『悔しいけど今のわたしは真っ向からぶつかっても勝てない。だったらパンチでも体当たりでもなんでも使っておばさんの勢いを削げばわたしにも勝ちが見えてくるかもしれない。』

 それまでは正々堂々と言わんばかりに両足を踏ん張って剣を振っていたのが相手の体制を崩すために自然と軽やかなステップを踏むように動いている。

「おばさんに参ったって言わせてやる。」

 強い相手カディンに勝ちたいという具体的な目標ができてからノイレンの中で確実に何かが変わった。それでもトレランスは目標に向かって試行錯誤する弟子を遠くからそっと見守るだけ。相変わらず何も言わない。

「あら、トレランス先生。よろしいんですか、ノイレンちゃんに何も言ってやらなくて。」

 修練場の出入り口からそっと見守る彼に、いつの間にかやってきたメムルが訊いた。

「ああ、大丈夫。君がノイレンの目を覚まさせてくれたからね。ここで俺があれこれ言うよりもあの子自身で考えたほうがより為になる。」

 そんな日々が一週間続いた。


 その日の修練が終わった帰り道のこと。

 トレランスとノイレンの2人は歩いて宿へ向かう。騎士団が用意してくれた宿は庁舎から1キロメートルほどだから2人は馬を宿に預けたまま徒歩で通っている。道すがら師匠が何も話さないものだから弟子も敢えて何も言わない。黙々と歩いていると不意にトレランスが声をかけてきた。

「ちょっと寄り道して行こう。」

 そう言ってすぐそこの角をサムズアップのように指差してノイレンを誘う。

「どこ行くの?」

 ノイレンはぐうぐう泣いてるおなかをさすりながらついて行く。知らない角を曲がり進んでいくと建物が立ち並んでいる中にポッカリと開けた雑草だらけの空き地があった。

「そろそろいいかと思ってな。左手のとっておきの使い方を教える。」

 トレランスはそう言うと落ちている適当な木の棒を拾って構えた。

「さ、ノイレンも構えて。」

 トレランスはニコニコしている。ノイレンは持参しているサーベル型の木剣を構えた。

「さあどこからでもかかってきなさい。」

 トレランスは左手の指をグーパーしながらノイレンを誘う。

「なんだかよく分かんないけど、いくよ師匠!」

 構えながらノイレンは知らず知らずのうちに顔がほころぶ。アデナに来てからというものトレランスは一度も稽古をつけてくれていない。一言のアドバイスもない。朝一緒に走るだけだ。だからノイレンは嬉しくなった。毎日あった稽古がたった一日でもないと心に穴が空いたようになんか満たされない。

 数日ぶりの稽古に心が踊った。

『取り敢えず最初は基本どおり右斜めに斬りかかってみよう。師匠はそれを受けるといつも刃を滑らせながら一歩踏み込んできてこちらを突く。だから突かれないように剣を組んだままそこを軸に師匠の左側に回り込んで背中側から胴を払うのはどうだろう。』などとニ手三手先を考えながらノイレンはトレランスに向かっていった。

 ところがだ、トレランスはノイレンの剣を彼女の予想通りに受けた後、刃を滑らせることもしなければ一歩踏み込んでも来ない。ノイレンがやろうと思っていたのと同じ行動に出てきた。師匠は交差した剣を軸に彼女の左側に回り込むんできた。

「マジかっ!」

 ノイレンは師匠の想定外の反応に気がつくと、背後を取られないよう彼と同じようにその背後に回り込もうと回転する。2人して反時計回りに動いた。手に手を取り合っていたらまるでワルツを踊っているかのようなターンだ。

 しかしトレランスのほうが動きが速かった。ノイレンは軸となってしまった交差した剣をそこから離すことができずにただ惰性で回り込む動きを続ける。その彼女の服の背中をトレランスが左手で掴み回転方向へ力一杯に引いた。

 勢いよくズベベっーとノイレンは顔面から雑草の生えた地面にダイブした。

「うえぇっ、ごほ、ごほ・・・」

 口の中に入った雑草や土を吐き出すと上体だけ起こして振り返るようにトレランスを睨みつけた。

「何すんだ師匠、酷いよ!」

 口の中に雑草の苦味が広がる。

「あっはっは。実際の斬り合いに酷いも卑怯もない。負けたら死ぬだけだ。」

「だからって服を引っ張るなんて有りなの!?」

 起き上がって服のほこりを払いながらノイレンは頬をリスのように膨らませる。トレランスはそのふくれっ面を見ながら笑顔で訊いた。

「メムルに教えて貰ったはずだろう、考えなきゃって。」

 ノイレンの頬がしぼむ。

「なんで師匠がそれ知ってるの?」

「メムルには俺が頼んだからね。臨機応変の大切さを俺が教えるより、誰かに負けて体得するほうがノイレンは身に沁みて覚えるからな。」

 トレランスは実にいたずらっぽい笑顔でニカっとネタばらしした。ノイレンの頬がまたまた膨らむ。

「師匠ずるいっ!!」

「アッハッハ!」

 トレランスは大きく笑いながらノイレンに近づくとその大きな手を彼女の頭にぽんと乗せた。

「まあるく考えると決して負けない。どんなにキツイ状況だったとしても必ず勝機を見いだせる。よく覚えとけ。」

 ノイレンは釈然としないながらも頷いた。そして訊いた。

「それじゃあメムルってカディンよりも強いの?」

「う~ん、5回に1回は負けるって言ってたな。ちなみにシュバイレンは互角かわずかに上。気を抜くと危ないそうだ。」

 ノイレンはトレランスにジトっと半信半疑の目を向けた。

「まあるく考えても負けることあるんじゃん。」

 トレランスは鋭いツッコミに冷や汗がでた。

「ま、まあ何事にも例外はあるからな・・・」

 ノイレンの視線が痛い。見た目は10代後半でも実際はまだ13歳の子ども。ノイレンには”例外”を理解するのがまだ難しい。

「つまりだ!それだけカディンは強いってことだ。あと半月のうちに勝てるかなノイレンは。」

「絶対に勝つ!負けてたまるか!」

 ノイレンは闘志をたぎらせて断言した。


 その日の夜宿の近くにある飲食店にトレランスとノイレンの2人の姿があった。

「ほんとになんでもいいの?」

「もちろん、ノイレンの食べたいものを頼みなさい。」

 いつもは宿が用意してくれるものを食べているが、トレランスはノイレンのご機嫌取りも兼ねて今夜は近くのレストランに彼女を連れてきた。ノイレンは文字をまだ十分に読むことができないから周りのテーブルをぐるぐると見回してどんなメニューがあるのか探っている。

 トレランスは近くにいた給仕に目で合図をして注文を取って貰った。

「とりあえずビールと腸詰めを。この子の分はあとで頼むよ。」

「かしこまりました。」

 給仕は軽く頭を下げて去って行く。しばらくしてジョッキになみなみと注がれたビールがやってきた。

 トレランスは実に美味そうにグビグビ飲む。シャルキーの目がないと安心して飲めるようだ。あっという間に飲み干し、ジョッキを高く掲げておかわりを要求する。

「ノイレン決まったか?」

「もちょっと待って。」

 ノイレンはまだ周りのテーブルを偵察して決めあぐねている。あちこち見渡していてついに発見した。

「あれ!あれがいい!」

 恥ずかしげもなく向こうのテーブルに鎮座しているでっかいエビを指さした。トレランスはノイレンの指さしたほうを見て確認する。

「ロブスターかな?」

 自分のビールのおかわりがくるとそのでっかいエビを頼んだ。

 ノイレンがでっかいエビを楽しみに待っているとうしろから聞き覚えのある声がした。

「トレランス先生、それにノイレン、ここでお食事でしたか。」

 声のしたほうを見るとシュバイレンとメムルの2人だ。

「おや、君たちも?」

 トレランスがジョッキをテーブルに置いて返事した。

「奇遇ですね、先生。ご一緒してもよろしいでしょうか?」

 メムルが相席を望んできた。

「どうぞ、どうぞ。」

 トレランスは笑顔で答える。シュバイレンとメムルの2人は席に着いた。ノイレンはトレランスと向かい合って座っていたから2人はそれぞれ彼女の斜め前にいる。なんだか師匠が少し遠い存在になったように思えた。そうこうしているとノイレンが頼んだでっかいエビが運ばれてきた。ノイレンはシュバイレンとメムルの2人を見て口をとがらせる。

「あげないよ。」

「あはは、取ったりしないから安心してください。」

「おなか一杯食べて。」

 2人は口々に答えた。そして2人もとりあえずビールと給仕に注文した。

「ところでお二人さんはよく一緒に食べにくるのかい?」

 トレランスが少し様子を伺うようにシュバイレンとメムルに訊いた。

 メムルはぽっと頬を上気させる。シュバイレンが少し動揺しながら返事した。

「いやそんなことは、今日はたまたま帰りが同じになって、お互い腹が減っていたので、じゃあ一緒に食べて帰ろうかとなっただけで、ははは。」

「な~るほど。」

 トレランスはそれ以上訊くことをせずニコニコしている。その様子を見ていたノイレンは何のことかさっぱり分からない。まだまだそういうことには疎い。

「参ったな先生。そういうんじゃないですから。」

 シュバイレンがあからさまに否定したらメムルはちょっとムっとした。向かいに座っている彼女のその表情を見てシュバイレンは慌ててトレランスに仕事の話を振った。

「そういえば先生、先生からご覧になっていかがですか皆の上達具合は?」

「うん、良く出来てると思うよ。」

 シュバイレンはメムルをチラッと見て顔色を伺う。彼女はほんの僅かだがノイレンがよくやるように頬を膨らませている。

「もっとこうしたほうがいいとか、ここがいけないとかありませんか?」

 冷や汗たらたらでトレランスを質問責めにする。

「いやあ、みんな覚えがよくて俺も助かってるよ。さすが騎士団に選ばれるだけのことはあるね。」

 そこに2人が頼んだビールが届く。

「いいところに、まずは乾杯しましょう!」

 シュバイレンはささっとジョッキを持ち上げるとテーブルの真ん中に高く掲げる。トレランスとメムルはコツンと応じた。


 そのあと大人たち3人は教練の話に花を咲かせた。ノイレンは1人蚊帳の外状態。騎乗戦闘はおろか1人で馬に乗ることさえできないのだから話しについて行くのが精一杯。黙ってでっかいエビを食べながら大人たちの話すことを聞いている。

「そういえばノイレンちゃん、まあるく考えるのできるようになったかしら?」

 メムルが唐突に訊いてきた。蚊帳の外状態のノイレンを気遣う。

「少し。でもまだよく分かんないことがある。」

 エビを飲み込みながら返事する。

「こうしなければいけないとか、ああしなければダメとかに囚われないようにね。柔軟に考えるのよ。」

 メムルはテーブルに肘をついて両手の指を組みその上に顎を乗せてノイレンを見る。

「それで帰る途中師匠に地面に叩きつけられた。」

 まだ根に持っているようだ。ノイレンのトレランスを見る目つきが冷たい。

「あれは、左手の使い方を教えたんじゃないか。ああいう使い方もあるんだぞ。」

 トレランスが自己弁護するように言った。

「実戦に酷いも卑怯もないって言うんでしょ。」

 ノイレンはぷうと頬を膨らませながら返す。するとシュバイレンがノイレンを見て答えた。

「そうだよ、ノイレン。実際の戦いでは負けたらそれで命がなくなる。もう二度と美味しい料理も食べられなくなる。だからなんとしても勝つという覚悟がとても重要なんだ。それはわかるよね?」

「うん、それは分かる。」

 ノイレンは小さい声で答えた。

「なにが納得いかないのかしら、ノイレンちゃんは。」

 メムルがノイレンの顔をのぞき込むように訊いてきた。

「だって、相手を殴ったり、剣を奪ったり、体当たりするとかじゃないんだもん。」

 でっかいエビの殻を手に持ちながらノイレンが答えるとメムルとシュバイレンはトレランスを見て

声を揃える。

「先生何を教えたんです?」

 トレランスが答える前にノイレンが答えた。

「わたしの服を引っ張って地面にズベベって。」

 トレランスは苦笑いしている。メムルは口を大きく開けてみせた。シュバイレンはその時の様子を想像したのかお気の毒さまという表情でノイレンを見た。

「それは痛かったでしょう。」

「すごくね。雑草食べちゃったし。」

 ふてくされて“雑草”を強調するノイレンに向かってシュバイレンは言った。

「でも場合によってはそれも有りと先生は教えてくださったんですよ。戦いは状況をいかに自分に有利な方向に持って行くかが肝心。それで勝敗が決する。まともにぶつかり合って勝てないならそうすることで相手の体勢を崩すことも必要だと先生は仰っているんですね。ノイレンはとてもいいことを教わりましたね、羨ましい。」

 羨ましい?どこが?と思いながらもトレランス以外の人物からの言葉だからか妙に心にストンと落ちてきた。

「団長さんもそう思うんだ。そっか。」

 するとメムルが肘をついたまま指を伸ばし、手首をくるっと返して手を上げるようにして賛同した。

「は~い、私もそれに賛成。状況によっては殴るより引っ張るほうが効果的だわ。」

 まさかメムルまでもとノイレンは驚きの目を彼女に向けた。メムルはうふふと微笑みながら人差し指をノイレンに向けると彼女の目の周りに円を描くようにくるんと回した。

「やっぱり弟子は特別なのね。先生は私たちにはそんなこと教えてくださらないですもの。」

 黙って聞いていたトレランスはバツの悪そうな表情でシュバイレンとメムルに言い訳する。

「いやいや、君たちはそんなこと教えなくても十分心得ているだろう。」

 メムルがトレランスに顔を向けて微笑む。

「仰るとおり心得てますよ。でも私たちも先生にいろいろと教わりたいわ、ふふ。」

「やれやれ、結局俺が悪者かあ。」

 トレランスは人差し指で頬をポリポリ掻いた。



次回予告

若さ故に頭では理解しても心で納得できないノイレン。実戦においては曲がったことも時には”有り”だと自分に言い聞かせるのが難しい。そんなある日のこと、トレランスを独占すべくノイレンを敵視するカディンと些細なことでぶつかり合う。シャドウ稽古の成果を試すときが来たと張り切るノイレンは頭と心を一致させることで勝機を狙う。

君は彼女の生き様を見届けられるか。

次回第二十六話「ちゃんとあなたを見ているからですよ。」

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