第19話「ちゃんと挨拶しないとな。」

 美味い酒、美味い料理、幻想的なダンス、そして気のおけない店の雰囲気、シャルキーズカバレは連日大盛況だ。背が高く切長の目をもつ整った顔立ちで気が強いが気風きっぷのよいシャルキーがオーナー。女傑や女丈夫という言葉がぴったりの彼女は従業員だけでなく店に集まってくる客にも一目置かれている。

 そのシャルキーがステージに立ってパンパンと手を叩くと店中の客が彼女に注目する。

「みんな聞いとくれ!今日からここで働くノイレンだよ。こう見えてまだスレてないから優しくしてやっておくれ。」

 シャルキーがノイレンをみんなに紹介すると、トレランスと一緒にカウンターの横にいるラクスが口をとんがらせる。

「いやね、私もスレてないわよ。」

 すかさずトレランスがイタズラ小僧のように目を細めてツッコんだ。

「そうでしたっけ、ラクス姐さん。」

「ひどーい、トレランスなんか知らない。」

 ラクスは口をとんがらせたままぷいと横を向いた。

 シャルキーはノイレンの背中をポンと押して一歩前に出させた。

「さ、自己紹介しな。」

「ノイレンです。よろしくお願いします。」

 緊張でうわずった声で挨拶してぺこりと頭を下げた。

「うお〜!!」

「ひゅ〜ひゅ〜!!」

 店中から歓声が上がった。中には手に持ったジョッキを隣の奴らとぶつけ合って歓迎する。

 ステージに上がっているノイレンはダンサーの衣装を着ている。赤を基調に黒がアクセントで使われていて、華美な装飾や刺繍のある煌びやかな衣装だ。そのままだと露出部分が多いため腰には薄い透け感のあるピンク色の布を巻いて足を隠している。

 その衣装の雰囲気のせいで、普段から実年齢より大人びているノイレンが妖艶に見える。しかも少し幼さが垣間見える大人の女性といった感じだ。店にいるスケベな客どもはもう心の琴線を大いに振るわされてうずうずしだした。

「新しいダンサーかな。」

「ラクスもいいけどノイレンも捨て難いな。」

「推しが増えちまったぜ。」

 新たなダンサーが加わったぞという期待が店中から伝わってくる。その連中にシャルキーが釘を刺した。

「盛り上がってるとこ申し訳ないが、この子はダンサーじゃないんだ。だから色目はほどほどにしておくれ。そういうのはあたしかラクスにしな。」

 シャルキーは敢えてノイレンの年齢には触れない。スケベな客どもに勘違いさせておいたほうが財布の紐が緩むからだ。

「ええ〜、ノイレンのほうが若くていいなあ。」

 とある客席からそんな声が漏れてきた。

「誰だい今の?今日のビール代いつもの倍もらっとこうか。」

 シャルキーが笑顔でしっかりとツッコミ返した。

「あちゃ〜。」

 声だけ聞こえてくる。店中からどっと笑い声が上がった。


 ステージの真前まんまえの席に座っている客がシャルキーに訊いた。

「その子ダンサーじゃないって、じゃあなんでそんな衣装着かっこうしてるんだ?」

 するとシャルキーはふふんと自慢げな表情を浮かべた。

「これはあたしが15で花形を張ってた時の衣装だよ。ノイレンの私服じゃ華がないからね。どうだい、ばっちり目の保養になったろう。気に入ったならチップ弾んでやってくれ。」

 この店では従業員が貰ったチップはその半分をシャルキーに上納する決まりだ。その代わり従業員にはシャルキーから相場より高い給料が支払われている。


 ノイレンがトレランスと一緒に初出勤してきた時、そのいでたちを見たシャルキーがいきなりダメ出しをした。

「なんだいその格好は。そんなんじゃ店に立たせられないよ、着替えな。」

 ノイレンはいつも同じ服を着ている。トレランスの家で暮らすことになった時彼が靴と共に数着買ってくれたのだが、それまで着の身着のままだったノイレンは日毎に服を取り替えることをせずその中の一着のみを愛用している。

 トレランスが「毎日違うの着てこまめに洗濯していいんだよ」と言っても、「この服がダメになったら他のに変えればいい」と聞かない。だから日々の稽古のせいもあってところどころほつれたり、汚れている。

「ノイレン、せめて一週間ごとに変えて洗濯しようよ」とトレランスが提案してもノイレンは「もったいないから」とあとのは大切にしまってある。いくら家事全般を引き受けることで靴や服代の支払いに変えてもらっていると言っても、やはりノイレンはまだそこまで素直に甘えられずにいた。

 先日初めてシャルキーに会った時は経血がついてしまったためトレランスに無理矢理着替えさせられたが、次の日血の跡を綺麗に洗ってまた同じものだけを着ていた。

「トーレランス!あんた保護者みたいなもんじゃないか、何やってんだい。」

 ノイレンの服を見るなりシャルキーが呆れた。

「ほら、だから言ったじゃないか着替えろって。」

 トレランスがノイレンにコソッと耳打ちした。

「わたしの仕事は皿洗いとかじゃないの?これでいいでしょ?」

 ノイレンがシャルキーの目を見ながら言い返した。シャルキーは両手を腰に当てると少し腰を曲げてノイレンの顔を上から覗き込むようにして言った。

「いいかい、家の外では場所や雰囲気にふさわしい服装ってもんがあるんだ。うちは客商売なんだからお客さんに失礼のない服装をしなくちゃいけない。ちょっと待ってな。」

 そういうとシャルキーは奥の部屋のそのまた奥にあるオーナー部屋からダンス用の衣装を持ってきた。少し古びているがまだまだ着られるしっかりしたものだ。

「これはあたしが15のとき着てたもんだ。もう着られないけど初めて花形を張ったときのだから記念に取っておいたんだ。ノイレンにあげるよ。少し大きいかもしれないがこれを着て店に立ちなさい。」

 そう言ってノイレンに手渡した。それを見たトレランスが慌てて口を挟む。

「ちょい待った、ノイレンにはダンスはやらせないという約束だろう。」

「もちろん、(ダンスは)やらせないさ。教えもしない。あんたとの約束だからね。これは言ってみりゃ制服だよ。男の給仕係がパリッとした服を着てるのと同じだ。」

 トレランスはいまいち不服そうだ。一方ノイレンはその手にある煌びやかなダンスの衣装を眺めてわくわくしてきた。


「それじゃあさっそくやってもらうとしようか。」

 シャルキーはステージから降りると給仕係のチーフに「あとは任せたよ」とノイレンを預けた。

 カウンターの内側に扉のない出入り口があってその中が調理場だ。チーフはノイレンをそこに連れていくとざっと説明してくれた。

「よし、いっちょやるか!」

 シャルキーからもらった衣装に袖は無いがノイレンは腕まくりをするように腕に掌を滑らせ気合いを入れて皿を洗い始めた。

 ノイレンを除く給仕係はチーフを入れて4人。調理場の中にいる調理担当が2人、常にカウンターにいて飲み物を提供する係が2人。そのうちの1人はチーフだ。彼は常に店全体の様子に目を光らせている。無口だが状況を察して注文が入りそうになるとその前に動き出す人だ。4人とも皆黙々と仕事をしているからノイレンにとっては変に警戒しなくて済む空間だった。

 皿を洗っているとノイレンは視線を感じた。調理場の出入り口のほうを見ると、カウンターの向こうにスケベな客が数人ノイレンをひと目見ようと群がっている。

「げっ、何?」

 ノイレンは手を滑らせて皿を落としそうになった。

「おっ、こっち向いたぞ。」

「おーい!」

 スケベどもは手を振ったり、ジョッキを高く掲げてにこやかな顔で挨拶してくる。

 ノイレンは顔を引きつらせた。

 見るとその横でトレランスがそいつらを蹴散らそうとしているが、客どもはカウンターで飲んでいるていを装っているから排除できない。

「ったく、だからダンサーの衣装なんて着させたくなかったんだ。」

 トレランスはふくれっ面でスケベどもを睨む。

「お前らノイレンに色目使うなって言われたろ。」

「だからしてるじゃねえか。」

「それだけ鼻の下伸ばしてどこがほどほどなんだよ。」

「父親みたいな事言うなトレランス、うるせえぞ。」

「あの子は俺の弟子だ。」

「親子じゃないだろが。」

 トレランスがああ言えばスケベな客どもはこう言う。堂々巡りのような押し問答にトレランスは今までに経験したことのない歯がゆさを感じた。

 一方ノイレンは何も見なかったことにして皿洗いに集中した。そこにあったものを全て洗い終えると調理係から腸詰めが山のように盛られた大きな皿を渡された。

「これは?」

「3番テーブルに持って行って。」

 手渡した調理係が提供先を指示する。まさかホール係をやらされると思っていなかったノイレンはびっくりした。

「わたしが?」

 そこにシャルキーが入ってきて言った。

「洗いものはある程度溜まったらまとめてやるんだ。ちまちま皿洗いばかりしているヤツに給料は出せないよ。ホール係も大事な仕事だからね。いい加減にするんじゃないよ。」

 ノイレンは客席にいる大人たちと関わることに恐れを感じた。カウンターの向こうに群がるスケベどもでさえ関わりたくないのに、テーブルまで行って直接関わるなんて一体何をされるか分からない。ノイレンが怯えているとシャルキーが耳許で囁いた。

「ホールにはトレランスがいるし、あたしも付いている。なにも心配するこたぁない。」

 そう言うとシャルキーはウィンクしてノイレンの背中をぽんと叩いた。

「ほら、さっさと持って行きな。冷めちまうだろ。」

 トレランスがノイレンを働かせたいと相談に来たときに彼女の人間不信に関して聞かされたシャルキーはその点に関してもトレランスからサポートを頼まれている。


 ノイレンはおそるおそる腸詰めの盛られた皿を3番テーブルに運んだ。テーブルが近づくにつれ足が重くなる。テーブルの前まで行くとなんと言っていいのか分からず黙ったまま皿を置いた。そして無言で立ち去ろうとすると逆にテーブルを囲む客たちから声をかけられた。

「ねえちゃん、愛想あいそねえな。」

「黙ったまま置いてくなんて酷いなあ。」

「いくら今日入ったばかりだからってなあ。」

「俺たちが怖いってか?」

「取って食ったりしねえよ。シャルキーにたたき出されるからな。」

 口々にノイレンに言葉を投げてくる。ノイレンはしどろもどろになりながら返事した。

「あ、いや、あのそういう、わけじゃ・・・」

「じゃあ、どういうわけ?」

 客の1人が手に持っているジョッキをドンとテーブルに置いて訊いた。ノイレンは店中を見回してトレランスとシャルキーを探した。シャルキーは少し離れたテーブルの客に捕まって話し込んでいる。

『師匠。』

 ノイレンは必死にトレランスの姿を探す。しかし店のどこにも彼がいない。

『師匠!』

 その時ノイレンの真うしろから彼女の頭越しにトレランスの声が飛んできた。

「お前ら、ノイレンをいじめるんじゃないよ。シャルキーから優しくしてやってくれって言われたろ。」

 ノイレンはくるっと振り向いてトレランスの顔を見上げた。彼は片方の口角を上げてニヤっと笑ってみせる。

 テーブルの客がビビリながら言い訳し始めた。

「トレランス、勘違いしないでくれ。このねえちゃんが黙って皿を置いていこうとするからさ・・・」

 トレランスはノイレンを見下ろして訊いた。

「そうなのか?」

 ノイレンは無言のまま。

「うん、それはいけないな。皿を持ってきたら『お待ちどうさま』って言わなきゃな、ノイレン。」

 ノイレンは客のほうに向き直り小さい声で言った。

「お待ちどう、さま」

 するとトレランスがその大きな手をノイレンの頭にぽんと乗せた。

「そうだ、よくできたな。」

 そういって彼はテーブルの客に睨みをきかせた。

「あ、ありがとうよ。」

 客たちはそれだけ言うと黙って腸詰めに手を伸ばした。


 トレランスはノイレンを調理場に連れて行くと膝を曲げてノイレンと目線を合わせて言った。

「怖かったか?」

 ノイレンは小さく頷いた。

「そうか、でも俺が目を光らせているから大丈夫、安心してくれ。それから黙ったままはよくない。ちゃんと挨拶しないとな。」

「はい。」

 小さい声だけどノイレンはしっかりと返事をした。

「うんうん。」

 トレランスは笑顔になってその大きな手を彼女の頭にぽんと乗せるとぐるぐるした。

 ノイレンの頭をぐるぐるしたあとトレランスは調理場から出て行った。その出入り口のところで様子を見ていたシャルキーと目が合った彼は恥ずかしそうにはにかんでニっと笑った。シャルキーも何も言わずにふふんという笑みを浮かべて返事にかえた。





次回予告

シャルキーズカバレの仕事にも慣れてきたノイレン。客のあしらいも少しはできるようになった。ノイレンはダンスのレッスン料を稼ぐために一生懸命に働く。ある日そのがんばりを見ていた客から初めてのチップを貰う。

君は彼女の生き様を見届けられるか。

次回第二十話「どれか1つでも欠けたらだめなんだ。」

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