第6話独闘

 深夜。小さき者は眠りについた。

 我はその寝息を背に、そっと家を出て森へ向かう。


 道すがら、昼のことを思い返す。

 娘に感じた力――あれは祖母が最期に張り巡らせし結界の残滓ざんし

 

 娘にも片鱗へんりんは宿るが、今のままでは取り込まれかねぬ。

 ゆえに、我ひとりで迎え撃たねばならぬ。


 森が見えてきた。

 まだ足を踏み入れる前から、瘴気のようなものが肌に絡みつく。

 風は重く、夜が息を潜めていた。


 なぜ、我がやらねばならぬのか――自問する。

 ……あの二人を、我は好ましく思っておる。

 か弱き存在なれど、その魂は強く、気高い。


 彼奴は、悪意を喰らうたびに力を増す。

 ならば、叩くは今。


 ——ひぃぃぃ……ひぃぃぃ……。

 全身の毛が逆立つ。

 油断なく、闇の底を睨みながら進む。

 闇がうねる。

 瘴気の中から、それは姿を現した。

 

 猿に似て、猿にあらず。

 四肢はあまりに長く、皮膚は闇に溶け、

 口は耳の端まで裂け、歯は濡れた骨のように光る。

 その目に宿るものは、怒りでも憎しみでもなく――ただ、飢え。

 喰らうためだけに生まれた、底なしの闇。


「……穢封えふう

 我は低く唸り、背を丸める。

 毛が逆立ち、爪が光を帯びる。


 奴が動いた。

 地を這うように迫るその速さ――だが我もまた猫。


 跳ぶ。

 沈む。

 闇を裂いて爪を弾き、牙の軌道を滑り落ちるようにかわす。


 一瞬ごとに闇が裂け、瘴気が霧散する。

 森の空気が切り裂かれ、夜が鳴いた。


 優位は我にあった。

 奴の動きは鈍り、影が千切れかけている。

 このまま仕留める――。


 その時。


「――きゃあっ!」


 闇の奥から、女の叫びが響いた。

 ……祖母の声。


 ありえぬ。

 だがその一瞬、我の動きが止まる。

 ——ニャッ!!


 穢封えふうの爪が、闇を裂いた。

 熱が、皮膚の下を裂くように走った。血の匂いが濃く立つ。

 次の瞬間、世界が裏返る。

 我は、跳ね飛ばされ、土に叩きつけられた。


 ……視界が滲む。

 かろうじて奴の影が霧に溶けていくのを見た。

 それを追う力も、もはや残ってはいなかった。


 夜が明ける。


 ――朝。


 家の中で、小さき者が目を覚ます気配がした。


「ルカ……?」


 玄関の影に、我は倒れていた。

 毛は乱れ、身体は傷だらけ。

 我の足元に、血の跡が続いている。


「ルカ、どうしたの……!?」


 その声を聞きながら、我はまぶたを閉じた。

 ただひたすらに、守れなんだことを悔いながら……。

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