第9話 朝の一時(旧10話)

 結局あの後、ステラはニルが準備した焚き火を使って肉を火で炙る事になった。


 三人でそうこうしている内に、時間はすっかり早朝から抜けていた。

 そしてその頃になると、ニルの口はだいぶ軽くなっていた。


 腹が減ったから早く食おうだとか、炙り過ぎたら旨味が抜けるだとか、何だかんだと理由を付けて肉を齧ろうとするニルを、「もう少し待った方が美味しいですから」とステラが宥め、クロードが『私もステラに任せる事を推奨します』と彼女に同意し始めたのが少し前。


 そんなやり取りを幾度か繰り返している内に、時間を持て余し始めたニルがステラに、どうしてこんな場所に居たのかと問うのは、ある種必然の流れであった。


「――――なるほどねぇ……そりゃまあ、運が悪かったな」

『このような森で偶発的に機械生命体アーティファクト・クリーチャーと遭遇する事は珍しいのでしょうか?』


 ステラの話を聞いてニルがそう答えると、彼の背中からクロードの疑問が飛んだ。


「頻繁にある事じゃないな。……たぶん、ガルスが脇道を見落とすぐらいの頻度だ」

『ニル――その例えは、冗談ですよね? まだ私は、ガルスが脇道の見落としを起こした事を確認した事がありません。提示されたデータを参照すると、ステラの現状は「あり得ない」のレベルとなります』


 ニルの言葉に、クロードの指摘が刺さる。

 しかしニルは気にした風もなく「まあ、クロードよりは珍しくないよ」と軽口を叩いて指摘を躱した。


『なるほど。この言い回しは今後の表現に使えるかもしれません。記録させてもらいます』


 ニルとクロードの会話は軽い。

 機械生命体アーティファクト・クリーチャーとの戦闘という、命のやり取りをしていた事を全く感じさせなかった。

 そして、彼らの軽さが余裕から来ているのだろうという事は、先ほどの戦闘を目にしたステラにも理解できていた。


「ええっと、その…… クロードさん。ニルさんが言うように、機械生命体と偶然会うのは、それなりに珍しい事です」

『そうなのですか?』

「はい。機械生命体は基本的に、造形の基になった動物と同じ思考を持っている筈なので…… この個体みたいな、明らかな捕食タイプじゃない場合は、こっちが気付かないうちに、向こうが勝手に逃げている事も多いんです」

『なるほど、理解しました』


 ――つまり機械生命体との遭遇率は、野生動物との遭遇率と同じぐらいである、という事だ。


 ステラの説明を聞いたクロードの声音が、納得するようなものに変わる。

 しかしそんなクロードの納得の言葉聞いたステラが「あ、でもガルスさんという方の事は分かりませんが……」と、控えめな言葉を続けた。


『補正を感謝します。ですが、大丈夫です。ガルスの例えが本気ではないのは理解できています』

「あ、そうだったんですか」

『はい。ありがとうございます』


 ステラがクロードがフォローしたのか、それともその逆なのか。

 クロードという妙に人間臭い彼と話をしているうちに、ステラの内心で「クロードさんってAIなんだよね?」と疑問が浮かび上がるが、それを指摘する人間は誰も居ない。


 そんなステラの疑問が弾けた様な絶妙なタイミングで、肉の内から染み出た脂がぽたりと滴った。滴る油を呑んだ火が一瞬だけ強まると、いよいよ存在を主張するように音を立てて脂が弾ける。


「おお、良い感じじゃないか?」

「ええ、そろそろ食べ頃です」

『完璧なタイミングであると判断します』


 二人が話している間に肉が良い具合に焼けたらしい。

 串に差して焚き火で炙っていた肉はいい具合に焦げ目がつき、肉の焼ける良い匂いを立ち昇らせながら色を変えて食欲を誘う。こうなってしまえば後は食われるだけなのだと、肉自身が諦めたようにも見えてくるのだから不思議な物だ。


「黒猪の腹肉だ、ご馳走だろ?」

「本当にご馳走ですね」


 ニルが得意げに差し出した串を、ステラは小さく驚き受け取った。

 黒猪の腹肉は、他の部位よりも柔らかく、うま味も強い。だからこそ普通は可能な限り新鮮なうちに焼いて食してしまうのが定番で、わざわざ保存食にするようなものではないからだ。


「飯が美味けりゃ次の飯までは頑張ろうって思えるからな」

「なるほど、すごく納得しました」


 ニルとしても、驚いている少女にどや顔を決めながら肉を食うのは気分が良かった。非常にウィンウィンの関係であると、少なくとも彼はそう思っている。

 そうしてニルはあまり隠さず目と心の保養を行いながら、しかし心のどこかで冷静に少女を観察していた。


 ――しかしこの少女、と。そう言った具合で。


 会話を始めた時から薄々そうなのではないかと感じてはいたが、かわいらしい外見の割には案外神経は図太いらしい。

 彼女の話を聞く限りなく被食者としての側面が強かったはずの鬼ごっこをした相手の残骸を前に、これと言った躊躇いも見せずに――幾ら命の恩人であるニルから貰ったものとは言え――ニルが口を付ける前に肉を頬張って見せた。


 それだけではなく「うん、良い感じですね」などと はにかんでいる。

 文句など付けようのないかわいらしさではあるが、少しばかり意外であるのも事実であった。勿論、良い意味で、という事ではあるのだが。


「……食べないんですか?」

「いやいや、勿論食べるさ」


 ――流石にじっと見つめ過ぎていたらしい。


 ニルの視線に気づいて視線を上げたステラの瞳と目が合うと、彼は何でもないと笑みを返して香ばしい匂いをさせる干し肉を頬張った。


 黒猪らしい弾力に富んだ歯応えと旨味の濃縮された油が非常に美味い。

 しかも、今回はそれだけではない。均等に切られた肉の厚みが丁度良い。歯応えが強すぎる事も無く、かといって味わいが弱くなるほど薄い訳でもない。

 下味に振りかけられた塩の濃さ、噛んだ際に溢れる唾液の量と歯応え。それらが絶妙に噛み合って、焼かれた肉の旨さを完璧に引き立てている。


「うまい……」

「言った通りにして良かったでしょう?」


 思わず漏れた。そんな言葉をこそ待っていたのだろう。

 驚くニルの様子を見たステラは、得意げに笑って胸を張った。


『私のデータベースには、料理の知識はありません。ニル。彼女の技術はそれほどの変質を起こすものなのでしょうか?』

「変わるな。でも、肉自体は変わってない筈なんだが」


 クロードの質問にそう答えたニルは、「うーん……」と眉間に皺を寄せて言葉を探したが、結局見つからなかったらしい。ぱくりと口の中に肉を放り込み、何度か咀嚼しそれを飲み込む。


「君、実はすごかったりするんじゃないか?」

「自慢ですけど、料理は得意ですから」

「料理って言っても、ここでやれたのは切って焼くぐらいだろう? それでこんなに変わるものなのか?」

「お肉で大事なのはその二つだと思いますよ? 下味は付いてましたし。それにあれです。私からすれば、ニルさんの方が凄いと思いますし」

「俺が?」


 唐突に話が自身に及び、ニルははてなと首を傾げる。


「機械生命体をあんなに簡単に倒しちゃったじゃないですか」

「そうストレートに言われると照れるな」

「あっ、すみません。私ったら分かりきった事を」

「いや、その言葉は素直に嬉しいんだけどね?」


 どこか初々しさが感じられるステラの言葉に、ニルは満足そうに頷いている。


『ステラとガルスの対応がかなり違うように感じられます。理由を聞いても良いでしょうか?』

「この子が女の子で、かわいいからじゃダメか?」

『問題ありません』

「そうストレートに言われると、照れるのですが……」

「マジで? 言われ慣れてるのかと思った」

『ニルの言葉を肯定します。客観的に見て、あなたは非常に“かわいらしい”容姿をしていると言えます』


 ――なんというか、会話の調子を崩される組み合わせである。


 勿論嫌な訳ではないのだが、ステラは二人との会話をそんな風に感じ始めていた。


「――そう言えば、ニルさんはどうしてこんな場所にいたんですか?」


 このままでは、話題がずっと前に進まない。

 そう考えて話題を切り替えたステラに、ニルは嫌な顔を見せずに「まあ、俺も成り行きかな」と笑って答える。


「俺は冒険者でね。ちょっと前に遺跡の探索をしたんだけど、収支の話をすれば赤字でさ。それでちょっと金が欲しくて、今はここに居ない相方と手分けして次の冒険の頭金作りをしてたんだよ」

『私は比較的広範囲でのスキャンが可能です。機能を停止した機械生命体のパーツや利用可能な鉱石などを、森のような環境で発見する事が得意であると判断しました』


 ――要するに、クロードは圧倒的にもの拾いが得意なのだ。


 最初こそ前回の探索を終えて武器を失っていたニルのために提示した選択肢ではあったのだが、今ではそれがメインの収入源になる程であった。

 クロードを仲間に加えてから、三人のパーティー収入はかなりの安定を見せていた。


「まあ、森の探索が得意なんだよ。で、今日も森に入ったら、新しい痕跡を見つけてね。一応と思って追いかけてみれば、まああの場面って訳だ」


 なるほどと納得するステラに笑みを返したニルは、「それで物は相談なんだけど」と、頬張った肉を呑み込み話を続けた。


「ステラちゃん、寝心地の良い宿屋を知ってたりしないかな? ここらで軽く休憩を挟みたいんだけど、良い宿屋とか知らなくてさ」

「構えて損しちゃいました。勿論、構いませんよ」

「ありがたい、助かるよ」


 ステラの言葉を聞いたニルは上機嫌に破顔した。

 それを間近で見た彼女はクスリと笑う。


「そんなに喜んでもらえると思いませんでした」

「黒猪の腹肉と一緒だよ。ちょっとだけ贅沢する時って、テンション上がるだろ?」

「なるほど、凄く分かります」


 ステラは「なるほど」とニルの言葉に同意して、肉を口に含むのだった。




  ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇




 ――あの後に暫くの暖と休憩を取った三人は、クロードの案内に従い町へと辿り着いた。



 荷の積み下ろしに勤しむ商船、荷揚げを行う漁船、未踏破区への探索を想定した武装帆船。人と荷物が行き交う活気ある港の様子が、高台からでも見て取れる。



 小高い丘から町を望めば、大型獣の突進も止められるだろう分厚く巨大な石の防壁がぐるりと町を囲っている。

 機械生命体アーティファクト・クリーチャーを構成する特殊な鋼と油に浸食されない無骨な大岩で作られながら、ぴっちりと隙間なく積まれた石たちが色気の無さを整然とした美しさに変えている。

 金属類の使用されていない巨大な石を組み合わせて作られている事が、あらゆる怪物との戦闘を想定していることを非常に端的に表していた。



 ただの港町と言うには大きすぎるこの町こそ――港湾拠点オルビアン。


 内陸部に隣接する交易都市が、海からの魔物に対抗する為に作った防衛拠点を源流に持つ大きな町。そして最初に拠点の名前を冠したが故に、発展した今でも都市の名前を冠する事がない町だった。


「こんなに早く帰ってこれた……」

『方向感覚は完璧です。道案内はお任せください』

「森での探索が捗るのも分かるだろ?」

「はい。ニルさんがゆったりしてたのも納得です」


 ――港の向こうの内陸の方角を見れば、遠くには交易都市カイサリアの尖塔が霞んで見える。オルビアンとカイサリア。陸と海の双子の拠点こそが、この地域の生命線であった。


 そうしてステラは少しの間驚いていたが、何かの時間をしめす様な鐘の音を聞くと、はっとした感じで我に返った。そしてすぐさま「こっちです!」と言いながら、ニルに背を向け門へと向かう。


「お帰り、ステラちゃん。……て、どうしたんだいその恰好っ!?」

「ええっと、森で機械生命体アーティファクト・クリーチャーに襲われて……」

機械生命体アーティファクト・クリーチャーに!? そりゃまた、よく無事だったもんだ!」


 軽い感じでステラに話しかけた衛兵たちを纏めているらしき男は、彼女の様子を見て訝しみ、続いた一言に飛び上がって驚いた。


「大きい怪我はなさそうだが、大丈夫なのかい?」

「うん、この人……ニルさんが助けてくれたから」

「そうだったのか、あんたが…… ありがとう、俺からも礼を言わせてくれ」


 慌てて近づく男であったが、彼女の言葉を聞いて安堵を零す。そんな男の様子を見たからか、様子を窺っていた守衛たちの視線が散った。

 そのまま下げられた頭と共に放たれた言葉に、ニルは軽快な笑みを浮かべて応じた。


「たまたま居合わせただけさ。それに、お礼ならステラさんから十分に言って貰ってるからな、気にしないでくれ」

「それでも言わせて欲しいんだよ。俺の感謝は彼女のそれとは別の話だからな」

「はは、律儀な人だな」

「この子は妹みたいなもんだからな。感謝し過ぎって事はないさ」

「なるほど。でもそう言えるんだから、あなたはやっぱり律儀だよ」


 頭を上げた男の顔は既に元に戻っていた。

 彼はがしゃりと音を立てて背筋を伸ばす。


「守衛兵のレアンだ」

「冒険家のニルヴァードだ。気軽にニルって呼んでくれ」


 差し出された手に握手を返し、ニルは内心で驚いた。

 その様な気配など微塵も感じなかったが、このレアンという男、非常にできる。穏やかそうな見た目ではあるが、守衛を任されているだけはある。


 ニルがそんな事を思いながら感心していると、レアンの顔にも驚きが浮かんでいた。おそらく、その理由はニルと同じものだったのだろう。

 互いに似たようなタイミングでそれに気が付いて、同じタイミングで苦笑する。


「ではニルさん、中へどうぞ」


 そう言いレアンは、軽く脇に逸れるように道を譲る。

 別に守衛は人を止めるのが役目ではないのだが、この瞬間に大事なのは雰囲気だった。


「本当は案内もしたいんだけど、今は仕事中だからね。案内はステラちゃんにお願いしよう」

「勿論、そのつもりですよ! あ、でもまずは家に戻らせてくれると助かるのですが」

「勿論、了解だ」

『早めに着替える事を推奨します』


 一歩先を進むステラの後を追うように、ニルとクロードは門の向こう側から覗く街並みに向かうのだった。



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