🎙️ 声の檻(ボイス・プリズン)
Tom Eny
🎙️ 声の檻(ボイス・プリズン)
🎙️ 声の檻(ボイス・プリズン)
Ⅰ. 汚れたレッスンと神の冒涜
光山アオイの人生は、その**『声』によって作られ、そして汚されていった。二十三歳、声優養成所の特待生。彼の持つ卓越した声帯模写の才能は、今、彼自身が最も汚いと知る特殊詐欺の『道具』**となっていた。
テーブルには、使い古したマイクと、その日の指示書。イヤホンからは、彼の人生を変えた**「師」**であり、国民的アニメのヒーロー役で知られるトップ声優、神崎リュウの冷徹な声が響く。
「アオイ。おばあちゃんは、電話の向こうに『本当の孫の焦り』を感じたいんだ。最高の演技は、人を完璧に騙すことだ。演じる役に、お前の魂を売れ」
アオイは罪悪感で胃の底から鉄の味がせり上がってくるのを感じながらも、指導に食らいついた。神崎の言葉は、人を欺くための技術でありながら、声優の卵にとって喉から手が出るほど欲しい**『プロの極意』**だった。
「お前の声は、本物だよ。大事にしなさい」
初めて神崎に才能を認められた時の、蜂蜜のように甘く、同時に鼓膜を焼くような冷徹さを秘めた声が、彼の心の鎖となった。
神崎の声が、耳元で響く。それは、悪魔の誘惑であり、歪んだ芸術論だった。
「真実の声とは、お前の魂を売った声ではない。聞いている相手に、一瞬でも『それは真実だ』と錯覚させる声だ。それは、役者しか到達しえない、神への冒涜に最も近い境地だ。お前は今、最高の舞台に立っている」
「……ごめんね、おばあちゃん。本当にごめん。会社のお金を……横領しちゃったんだ。すぐに五百万用意しないと、僕、捕まっちゃうんだ……」
アオイのモノローグに、**「僕がやっていることは、声優という仕事の、全ての努力と尊厳への侮辱だ」**という苦痛の認識が流れ、彼は窓の外に目をやった。一人の高齢の女性が、ゆっくりと散歩をしている。その女性の顔に、被害者となるおばあちゃんの顔が重なった瞬間、神崎の声が鋭く響いた。
「いいか、アオイ。この声の技術は、いつかお前を**『警察官』にも『検事』**にもさせる。人を救う光の声も、人を追い詰める闇の声も、全て同じ喉から出るんだ」
Ⅱ. 夢と裏切りの舞台
闇の訓練は、皮肉にもアオイの実力を飛躍的に向上させた。
ある日、神崎はアオイに言った。「ご褒美だ。君を僕がプロデューサーを務める新作アニメの主役に推薦した」
信じられない大抜擢だった。彼の名前は「次世代のスター」としてニュースで報じられ、彼は家族の絆を訴えるヒーローを演じることになった。
収録現場に向かう途中、大抜擢されたアニメの真新しい台本を抱きしめた。彼は今、昼は人々に勇気を与えるヒーローを演じ、夜は家族の絆を破壊する詐欺師を演じるという、光と闇の二重生活を送っていた。
スタジオのブース。他のベテラン声優たちが真摯な眼差しで台本を読み込む姿を見た瞬間、アオイの心臓が警鐘を鳴らした。台本がめくられる紙の擦れる音、張り詰めた静寂。この場所には、**神崎と自分たちが持ち込んだ悪意は存在しない。**このコントラストが、彼の罪悪感を極限まで高めた。
その夜の仕事で、アオイは電話の向こうの老婆を欺くため、**『溺愛する孫が必死に助けを求める声』**を演じた。その声が、自分自身と家族を脅かす『嘘』だと自覚した瞬間、アオイは決意した。この夢を守りたい。もう、闇の仕事で汚れた声を出すのは嫌だ。
「もう、やめさせてください……!」アオイは勇気を振り絞り、神崎に懇願した。
イヤホンの向こうで、一瞬、息を殺した沈黙(ま)が流れた。その間が、アオイの恐怖を倍増させた。
「君が動けば、君の住所も、君の夢も、すべて終わる。警察に駆け込む?いいだろう。その時、君は**“組織を裏切った裏切り者”**だ」
絶望したアオイは、神崎に、全財産を奪い切り捨てるための、最後の仕事という名の最終シナリオへと誘導される。
Ⅲ. 偽りの断罪者と真実の声
その数日後、電話が鳴った。画面は**「警視庁」**。
受話器の向こうから響く声は、神崎リュウの、冷徹で威圧的な**「偽警察官」の演技だった。その声には、以前指導された『威厳と冷酷さを兼ね備えたプロの声』**が完璧に宿っていた。
「光山アオイさん。捜査の結果、あなたが送った免許証のデータは全て確認済みだ。逮捕を免れたいなら、不正な収益をすべて捜査協力金として指定口座に送金しなさい」
アオイは気づいた。これは、神崎による究極の裏切りだ。彼にとってアオイの「才能」は利用価値があったが、**「罪」**は邪魔になった。すべてを奪い、自分を切り捨てるための、**神崎による最後の『声の力』**だった。
すべてを失ったアオイに残されたのは、家族の安全と罪の清算という、二つの重い選択だけだった。彼は、警察署の前に立った。彼は、抱えていた主役アニメの台本を、静かにごみ箱の隅に置いた。**自分の手で、夢を殺す。**それが、彼にできる唯一の抵抗であり、罪への代償だった。
受付で、彼は口を開いた。
「すみません……。あの……詐欺をしました」
その声は、神崎に教わった**「人を騙す完璧な声」とは正反対**だった。声は震え、途切れ途切れで、技術的には不完全で、どのマイクも拾えないほどの静かな響きだった。その声には、プロの技術で作られた『焦り』ではなく、**自分の人生を終わらせる『本物の恐怖』**が宿っていた。
それは、彼が初めて、誰にも媚びず、誰にも従わない、彼自身の**「声」だった。この震えた自白の声こそが、自分がなりたかった『本物の役者』**の第一声だった。彼は、最後に、神崎の「悪の芸術論」を、自らの真実で否定したのだ。
Ⅳ. 永続する支配と静かな抵抗
アオイの自白は、すぐに大きなニュースとなった。**「若手スター声優の闇バイト関与」**というセンセーショナルな見出しと共に。彼の出演予定だったアニメは、白紙に戻った。
警察車両に連行されるアオイ。その車内のカーラジオから、神崎リュウの声が流れてきた。それは神崎が司会を務める**「若手声優応援番組」**。
「夢を追いかけるみんな、諦めちゃだめだ。君たちの真実の声は、必ず誰かに届くから!」
神崎の声は、優しく、希望に満ちていた。彼は緊急記者会見で、**「私の犯罪への関与は断じてありません」**と完璧な演技で切り抜け、**清廉潔白な『声の神』**として、世間から喝采を浴び続けていた。
アオイは、その声を聞きながら、静かに涙を流した。彼の人生は、「汚れた才能」によって最高の夢を掴み、その才能を育てた**「嘘の声」**によって、すべてを奪われた。
アオイの自首は、彼自身の夢と自由の終焉を意味したが、真の支配者である神崎リュウは、今もステージで光り続けている。彼の自白の「真実の声」は、社会的な裁きという点では「嘘の声」の前には無力だったかもしれない。
しかし、アオイは知っていた。彼は**「最高の技術」**を使い、人を騙した罪を犯したが、最後に、「最高の演技とは、人を騙すことではない」という、神崎の教えを自ら否定する、彼自身の真実の声を出すことで、魂の自由だけは勝ち取ったのだと。
彼は、静かに目を閉じた。
檻の中の彼は、もう誰の声にも支配されてはいなかった。だが、外の世界では、今も神崎リュウの『希望に満ちた嘘の声』が、無数の若者の夢を支配し続けているのだろう。
※ この物語はフィクションであり、実在の人物、団体、および事件とは一切関係ありません。
🎙️ 声の檻(ボイス・プリズン) Tom Eny @tom_eny
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます