「役立たず」とダンジョン最深部に捨てられた【修復師】、絶望の果てに神スキル『概念修復』に覚醒する 〜俺を追放したSランクパーティが泣きついてきてももう遅い〜

久喜崎

第1話 役立たずの烙印

 太陽の光など一度も届いたことのないダンジョンの最深部には、生物の生存を拒絶するかのような濃密な魔素がヘドロのように淀んでおり、肌にまとわりつく不快な湿気が俺の神経をじわじわと逆撫でしていた。


 視界の先には見慣れたはずの三人の背中があったが、彼らが振り返り俺に向けた眼差しは、長年苦楽を共にしてきた仲間に対するものとは到底思えないほどに冷え切っていた。

 パーティのリーダーであり剣聖の称号を持つアレクが口を開いた瞬間に、周囲の空気が凍りついたかのような錯覚を覚えたが、彼の言葉はあまりに淡々としており、俺は最初その意味を正しく理解することができなかった。


「レン、お前はここで終わりだ」


 俺は彼の言葉を頭の中で何度も反芻してみたが、現実感が伴わず、乾いた笑い声と共に間の抜けた問いを返すことしかできなかった。


「え、どういうことだよ」


「言葉通りの意味だが、理解できないほど頭が悪かったのか。お前はクビだと言っているんだ」


「クビって、こんなダンジョンの深層でか。冗談にしては笑えないぞ」


「冗談などで貴重な時間を浪費するつもりはない。これからのボス戦において、お前のような非戦闘員は邪魔な荷物でしかないと判断したんだ」


 アレクの隣で薄ら笑いを浮かべている魔道士のリサと僧侶のガイルもまた、俺をゴミ屑か何かを見るような無機質な瞳で見下ろしていた。


 俺の職業は【修復師】という地味なものであり、壊れた武器や防具を直すこと以外には何の能もない生産職だと蔑まれてきた。

 Sランクパーティ『光の剣』の荷物持ちとして、彼らの装備を毎日毎日徹夜でメンテナンスし続けてきたのは他ならぬ俺自身だ。

 刃こぼれした聖剣を研ぎ直し、ヒビの入ったミスリルの鎧を新品同様に修繕することで、彼らが万全の状態で戦えるよう影から支え続けてきたつもりだった。


 彼らが華々しい戦果を上げるたびに、俺はその装備の傷を見て彼らがどれほどの死線を潜り抜けてきたかを知り、密かに誇らしく思っていたのだ。

 それなのに彼らは、俺のこれまでの献身をあざ笑うかのように、あまりにもあっさりと俺を不要だと断じた。


「装備を置いていけ。それは俺たちの金で買ったものであり、お前のような無能が持っていていい代物ではない」


 リサが冷酷な声で告げると同時に、俺の背負っていたマジックバッグを乱暴に奪い取った。

 その中には俺が寝る間も惜しんで調合したポーションや、緊急時のための食料、それに彼らの予備の武器が入っていた。


「待ってくれ、装備がないとここでは死んでしまう。せめて武器の一つくらいは残してくれてもいいだろ」


「知ったことか。雑魚にはお似合いの末路だと思わないか」


 ガイルが聖職者とは思えない卑しい笑みを浮かべながら、俺の腹を思い切り蹴り飛ばした。

 肺の中の空気が強制的に吐き出され、俺は無様に地面を転がり泥水を吸い込んだ。

 激痛に視界が明滅し、息が詰まり、地面に這いつくばる俺を見下ろす彼らの目には、侮蔑と嘲笑の色しか浮かんでいなかった。

 リサは奪った鞄の中身をあさり、中に入っていた貴重な高純度魔石を確認して満足げに鼻を鳴らした。


「これだけの魔石があれば新しい荷物持ちなどいくらでも雇えるわね。今までご苦労様でした」


「おい行こうぜ。こいつの死臭に釣られて魔物が寄ってくる前に、ボス部屋へ向かうぞ」


 アレクが吐き捨てるように言い放ち、懐から転移結晶を取り出した。

 それはダンジョン内での脱出用ではなく、特定のポイントへ移動するための高価なアイテムだ。

 彼らは最初から俺をここで捨てて、自分たちだけでボスに挑む計画を立てていたのだと悟った瞬間に、全身の血が逆流するような怒りと絶望がこみ上げてきた。

 ガイルが憐れむようなふりをして、俺たちを魔物の探知から隠していた聖域の結界を解除した。

 結界が消えた瞬間にダンジョンの奥底から響いてくる無数の唸り声が耳に届き始め、肌を刺すような殺気が四方八方から押し寄せてきた。


「じゃあな、せいぜい長く苦しんで死んでくれ」


 彼らは笑いながら転移結晶の光に包まれて消え去り、俺だけをこの地獄の底に残していった。

 残されたのは尽きかけの松明一本と、泥にまみれたボロボロの服だけであり、身を守る武器はおろかポーションの一本すら手元にはなかった。


 周囲からは魔物たちの飢えた唸り声が聞こえ始めており、新鮮な獲物の匂いに興奮しているのが気配だけで伝わってきた。

 ここは深層のモンスターハウスであり、本来ならSランクパーティが万全の準備をして挑むべき死地であるにも関わらず、今の俺はただの無力な餌でしかない。

 血の匂いに誘われて集まってきた影が一つ、また一つと暗闇から姿を現し、その数は瞬く間に数十を超えた。


「嘘だろ……」


 震える足で後ずさると、背中が冷たく湿った岩壁に当たり、これ以上の逃げ場がないことを残酷なまでに突きつけられた。

 松明の炎が頼りなく揺らめき、巨大な影がぬっと暗闇から現れた瞬間に、俺の心臓が早鐘を打った。


 深層の主であり生態系の頂点に君臨するレッドドラゴンが、圧倒的な捕食者の眼差しで俺を見下ろしていた。

 その巨体は岩山のように巨大であり、全身を覆う深紅の鱗は鋼鉄よりも硬く、あらゆる魔法を弾き返すと言われている。

 ドラゴンの鼻孔から漏れ出る熱波のような吐息が顔にかかり、硫黄と死の匂いが鼻腔を満たし、本能的な恐怖が背筋を駆け上がった。


 死ぬ。

 間違いなくここで死ぬ。

 死にたくない。

 俺は今まで何のために生きてきたんだ。

 あいつらの道具としてボロボロになるまで使い潰されて、最後はドラゴンの餌として捨てられるために生きてきたのか。

 来る日も来る日も剣を研ぎ、鎧を直し、彼らが輝くための踏み台として人生を消費してきた結果がこれなのか。

 悔しさと惨めさが涙となって溢れ出しそうになるのを、奥歯を噛み締めて堪えた。


「ふざけるな」


 心の中で何かが弾けた音がして、燻っていた感情が爆発的な熱量を持って全身を駆け巡った。

 俺はただ直してきただけであり、来る日も来る日も壊れたものを元通りにしてきただけだ。

 誰よりも丁寧に、誰よりも真摯に物に向き合い、その本来の輝きを取り戻すことに心血を注いできた。

 それの何が悪いというのか。

 なぜ俺がこんな理不尽な目に遭い、こんな無意味な死に方をしなければならないのか。


「ガアアアアアッ!」


 ドラゴンの咆哮が大気を震わせ、鼓膜が破れんばかりの轟音がダンジョンの壁を揺らした。

 ドラゴンの太い腕が振り上げられ、鋭利な爪が俺の命を刈り取るために振り下ろされる。

 迫りくる死の瞬間。

 走馬灯のように過去の記憶が駆け巡るかと思われたが、俺の脳裏に浮かんだのはあいつらへの激しい憎悪と生への渇望だけだった。

 俺の視界が真っ白に染まり、頭の中に無機質で感情のない声が鐘の音のように響いた。


『熟練度が限界値を突破しました』

『ユニークスキル【修復】が覚醒します』

『対象の概念定義への干渉権限を獲得しました』

『事象の巻き戻しを開始します』


 俺は無意識に手を伸ばしており、それは助けを求める手つきではなく、目前の絶望を拒絶する意志の表れだった。

 迫りくるドラゴンの爪に向かって、喉が裂けんばかりに叫びながらスキルを発動する。


「直れ……ッ!」


 それは破壊への抵抗ではなく、世界があるべき姿であれという強烈な渇望だった。

 俺が願ったのは単なる「傷の修復」などではなく、「俺を脅かす脅威が存在しない平穏な状態への回帰」だったのかもしれない。

 指先から溢れ出した黄金の光が太陽のように輝き、暗黒のダンジョンを昼間のように照らし出した。

 光はドラゴンの巨大な爪に触れ、その肉体を包み込み、さらに周囲の空間そのものを浸食していった。

 次の瞬間。

 世界が裏返ったかのような奇妙な浮遊感が俺を襲った。


 振り下ろされたはずのドラゴンの爪が、俺の体に触れることはなかった。

 轟音と共に地面を砕くはずだった衝撃もまた、訪れることはなかった。

 恐る恐る目を開けた俺の目の前には、信じられない光景が広がっていた。

 つい先ほどまでそこにいたはずの山のような巨体を持つレッドドラゴンの姿はどこにもなく、代わりに地面には巨大な卵が一つだけ転がっていたのだ。

 それはまるでドラゴンという存在が生まれる前の状態にまで時間を巻き戻されたかのような、異様な光景だった。

 周囲に群がっていた魔物たちもまた、光に触れた瞬間に塵となって消滅したか、あるいは幼体へと姿を変えて無力化していた。

 俺の手からはまだ微かに黄金の粒子が立ち上っており、それは俺の意思に応えるように脈動していた。

 俺は自分の手が震えていることに気づいたが、それは恐怖によるものではなく、今しがた起きた現象への驚愕と興奮によるものだった。

 俺は「直した」のだ。

 ドラゴンを「傷つく前の状態」へ、いや「脅威となる前の状態」へと、強制的に修復してしまったのだ。

 静寂が戻ったダンジョンの最深部で、俺は一人立ち尽くし、自分の手を見つめながら呟いた。


「これが……俺の力なのか」


 置き去りにされた絶望の底で、俺は世界を改変するほどの理不尽な力を手に入れてしまったことを自覚した。

 この場所で、俺の本当の物語が始まろうとしていた。

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