聖剣の守護乙女
きなかぼちゃん
第1話 幼馴染
「おかあさーん! 礼拝堂の椅子これで足りてるー!?」
使い古してがたついた古い木椅子を運びながらわたしは大声をあげた。
「マザー・クラリエッタ。
「だってマザー・クラリエッタ、なんていちいち呼ぶのに長すぎるって」
「ならばマザーと」
「それこそお母さんでいいじゃん。何も変わらないし。それにいつもお母さんって呼んでるんだからそんな取り繕わなくてもさ」
「そういうことではなくてですね……」
珍しく人がバタバタと行き交い、沢山の机や椅子が並べられている礼拝堂。
ゆったりとした白い法衣を纏った、この教会の聖女であるマザー・クラリエッタがやれやれとかぶりを振って溜息をついた。
そして明日に迫った儀式の準備を手伝いにきてくれている近所の狩人のおじさんが壁にオリーブの枝葉を飾り付けながら、からかうように笑う。
「ははっ、いいじゃねえか。俺らだって皆マザーとユーリアちゃんは親子みたいなもんだと思ってるぜ。よっ、お母さん!」
「みたいなもの、では済まされないのです。我ら聖女は女神マルグレーテのもと戒律を守って生活しております故に」
「誰がそれに難癖付けるってんだい? マザー・クラリエッタ。こんなド田舎じゃ、あなたを咎める司祭なんて誰も来ないだろうよ。それに産まれた時からユーリアちゃんを立派に育ててきたんだ。そのくらい胸を張ってもいいと思うがね」
お母さんはばつが悪そうにほんの少し目を逸らした。
わずかに表情が憂いを帯びる。
マザー、とは教会に赴任する聖女たちの長が名乗る役職のことだ。
こんな回りに丘と森しかないような、3ヶ月に1回行商人が巡回すればマシな辺境の村では1人聖女がいればいい方で、そうなれば自動的にそのただひとりの聖女が『マザー』と呼ばれることになる。
わたしの育ての親であるマザー・クラリエッタもまた、辺境の村では全くもって珍しくないワンオペ聖女のひとりだった。
聖女の戒律はいくつもある。
婚姻および配偶者を持ってはならない。
他にも沢山あるらしいけれど、わたしはそこまで詳しく知らない。
要は生涯独身でいろってこと、らしい。
養子すらダメなあたり、わたしたちが信仰するこの女神はなかなか厳しい。
まあ聖女や修道女に処女性を求めるのはわからなくもないので、そういうものか、と納得する部分もある。
そんな戒律に生真面目に従うわたしのお母さんは、こうして他の村人の目があるときは「マザー・クラリエッタと呼びなさい」と口酸っぱく言ってくる。
2人でいるときにお母さんって呼んだところで別に怒らないのにねえ?
戒律なんて言っても今更だろうにさ。
「……とにかく! 教会は女神安息の地であり、最も神聖なる礼拝堂で戒律を犯すなどあり得ません。分かりましたか? ユーリア」
「はいはいわかりました、お母さん」
「成程、私もよく分かりました。ユーリア、貴女は今晩久しぶりに納屋の
「おぉこわい」
声を潜めながら冗談めかすと、お母さんのただでさえ切れ長の浅葱色の瞳がすうっと細まる。
やばっ、これ以上擦ると本当に納屋にぶち込まれそう。
前に罰で納屋に閉じ込められたときのことを思い出して、思わずぶるりと身が震える。
なので逃げてうやむやにすることにするよ!
わたしは踵を返して礼拝堂の正面からぴゅーんと逃げた。
「ユーリア! “はい”は1回で止めること! 分かりましたね! あと、外に出かけるなら、マーガレットの花を摘んできてください!」
「はーいはい」
不思議と、そういうところを注意するのはどんな世界でも共通のようだ。
※
教会の裏に広がる森の入り口付近の草むらで、網カゴを抱えて白いマーガレットの花を茎の根本からぷちぷちと摘む。
できるだけつぼみに近く、咲き始めのものを探す。水差しに活ければちょうど明日綺麗に咲くような花を選ぶのがコツ。
明日は女神マルグレーテが信徒たる人間に《祝福》を与える儀式を行う日だ。
この国、エル=ラピス輝教国に住む人間は10歳を迎える年に《祝福》と呼ばれる特殊能力を授かる。
マルグレーテの瞳と呼ばれるハンドボール大の蒼い水晶玉に手を触れると、それだけで祝福を得ることができる。
只人では到底実現できないような破格のチート能力を得る子もいれば、そもそも祝福そのものが宿らない子までいてピンキリだ。
大抵はちょっと力が強くなるとか、目が良くなってちょっと遠くの景色を見られるようになるとか、手元に小さな火が出せるとか、ほんの少し暮らしが便利になるくらいの祝福がほとんど。
信心深いほど良い祝福をくれるというわけでもない、本当に何のコツもないただの運試しである。
女神マルグレーテというのはある意味平等な神様なのかもしれないね。
「ねーっ、ユーリア~!」
考えながら作業を続けていると、背後からわたしを呼ぶ頼りなさげな声が聞こえた
本人的には大声で叫んでいるつもりなんだろうけど、腹に力が入っていない、どこか消え入りそうな声だった。
振り向けば、腰くらいまである草むらをかき分けて近づいてくるのはわたしより背の低い、金髪のくせっ毛が目立つ線の細い男だった。
もはや顔すら見飽きた幼馴染である。
「なにシオン、またいじめられたの?」
「違うってばっ。マザーからここにいるって言われて、せっかく手伝いに来てあげたのに」
そのぱっちりとしたエメラルドの瞳で不満そうに睨まれるが、背が低いのと声が小さいのもあって全く怖さがない。
「え~? 大丈夫かな、シオンわたしより力無いしなあ」
「そんなこと、ない……」
「じょーだんだって。力作業じゃないからさ。はいこれ持って!」
「わっ」
からかいすぎて泣かせるのもダメなので切り上げて、マーガレットを入れたカゴをシオンに押しつける。
マーガレットは比較的どこにでも生えている野草だけれど、女神マルグレーテが愛し、己の名を付けた花ということで何かしら教会で儀式を行う際には必ず飾り付けとして必要になる。
わたしはシオンを引き連れ、摘んだそばからぽいぽいとカゴにマーガレットの花を投げ込んでいく。
「ねえユーリア、こんなに必要なの?」
「そりゃあ祝福の儀式はウチの教会の一大イベントなんだから飾り付けも豪華にしなきゃいけないし」
「だ、だよね! ユーリアだって楽しみだよね! 明日っ!」
ずい、とシオンがわたしの隣に座って食い気味に顔を近づけてきた。鼻息は荒い。
あー、もう話したくて話したくて仕方ないって感じの顔だ。わたしはげんなりした。
「近っ、顔近くない?」
「ねっねっユーリアはどんな祝福が欲しい?」
「スルーかい。わたしは別になんでもいいかなあ。特に困ってないし」
「えー!? つまんないよそんなの……」
「そういうつまらない暮らしが好きなんだよ。わたしは」
わたしは教会でお母さんと静かに暮らす今の生活に満足しているので、どんな祝福を貰えるのかにはあまり興味がない。暮らしがすこし便利になるくらいのものなら歓迎だけれど。
まあ子供らしく素直になれないわたしが異常なだけで、普通の子供はみんなシオンみたいにワクワクするのが普通だ。
だから話くらいは合わせてあげようと思う。
「そういうシオンは欲しい祝福があるわけ?」
「うん、あるよ!」
待ってましたと言わんばかりにシオンは瞳を輝かせた。
ああ……これが言いたくてわざわざ会いにきたんだなぁ。そして欲しがっているものはなんとなくわかる。
「シオンが欲しいのはどうせ喧嘩が強くなるとかそういうのでしょ」
「どうしてわかるの!?」
「むしろわかりやすすぎるでしょ……」
びっくりして口をあんぐり呆けているシオンにわたしはため息をついた。
まったくこの男は単純というか、純粋というか……。
わたしたちは今年で10歳になる。
同い年のシオンは内気でうじうじしがちな子供で、そんな風なので他のやんちゃな子供からは舐められていじめの対象になるのにそう時間はかからなかった。
他の同年代の子供たちがシオンをいじめているのを見かけてなんかヤダなあと思ったのが始まり。
口で言ってもいじめがやむことはなく、最終的にわたしはそいつらを喧嘩でボコボコにすることで解決した。
激怒したお母さんに納屋に一晩放り込まれたのはこの時のことである。
その結果シオンは今ではそういじめられなくなったみたいだけれど、その代わりにわたしの腰巾着のように付いてくるようになってしまった。
こういう依存っぽいの、シオンの精神的成長のためにはあんまよくないんだよなあ。と思いつつも相手をするのをやめることはできなかった。
自分から手を出した以上、鬱陶しがるのも気が引けたから。
別にわたしはシオンを特別大切に思っているわけでもないし、あくまでただの幼馴染だ。ましてや恋愛感情なんてない。
いじめを見て見ぬふりをするのが心苦しかっただけだ。
つたない子供の喧嘩なら勝つ方法はいくらでもあるし、なんならこの年代なら男より女の方が身体の成長が早くて力も強かったりする。
ただ、大人が子供にするようなお節介で手を出してしまっただけ。
わたしは前世の記憶がある。でも、死因はあまり覚えていない。
かつてはただの日本人の女で、今のこの世界が地球ではないことだけは知っている。
考えてみれば当たり前のことかもしれないけれど、前世の記憶を持ってるからって何でも要領よく上手くいくわけじゃないよなあ、なんて最近は思わずにはいられない。
思い出した頃には既にこの教会でお母さんのもと暮らしていた。
わたしの産みの親はどこからか現われた流れ者の妊婦だったらしい。
この教会に駆け込んで来た頃にはすでに虫の息で、最後の力を振り絞ってわたしを産むとそのまま息を引き取ったそうだ。
ユーリアというわたしの名前は産みの親が遺言代わりに付けたものだとお母さんはかつて話してくれた。
だからお母さんはあくまでわたしを実の母から預かったつもりらしいけれど、わたしの母はマザー・クラリエッタであるという認識は揺るぎない。
そのくらい愛情深くわたしを育ててくれたことは、分かっているつもりだからだ。
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