第3話 レイカ

 目の前の無垢な少年が、自分の書いた小説の魔王であるという非現実的な事実。

 自分の脳が全力で理解を拒絶する。

 そうだろう。誰だってそんなことが起こるなんて信じられるわけがない。


 例えそれが、目の前で確実に、実際に起こったことだったとしても。

 おいそれと信じるわけにはいかない。

 全身から急速に血の気が引き、指先が氷のように冷たくなっていく。


「ありえない……そんなことは絶対に、ありえるわけがない」


 その言葉を繰り返しても何も変わることは無い。

 突然目の前に現れた紫の髪の少年がかき消えてしまうなら、どんなに強く願っただろうか。

 どうこの場を乗り切ろうかと、真っ白になった頭を必死に動かしていた。


「頭の中に靄がかかったみたいで記憶が定かではないが……それはそれで面白い」


 にこりと笑った顔からは、純粋に自分の置かれた状況をただ楽しむかのような、そんな雰囲気を醸し出していた。


 しかし俺は知っている……レイカの性格を。

 アイツはそんなまっすぐな性格じゃない。


 純潔無垢な悪。楽しむためには周りの全てを引っかき回すことも全くいとわない。

 俺が書いた物語だとそういうキャラだ。

 

 「レイカ……レイカなのか」


 独り言のように俺が呟く。

 その言葉を聞いた紫の髪のアイツは嬉しそうに笑う。

 ゾッとする何かを含んでいるかのようだ。


 「そう。そうだ……いいね、キミ。そうだよ。ボクの名前はレイカだ。思い出した」


 レイカはこの暑い季節には全く似合わない、底の厚い革靴のような履物を引きずるようにして、床に描かれていた魔法陣の中央から一歩前に進み出る。

 その時、彼は周囲に散らばった原型すら既に留めていない、灰になってしまったノートの残骸に目を移した。

 引き寄せられるようにレイカが指でその灰に触れる。


「これが無いと、なんだかボクがボクじゃなくなるような、そんな気がする」


 彼は首を傾げるようにして、困惑したように呟いた。

 次の瞬間、レイカの手の中に眩い光が凝縮する!

 その光は、小さな包丁のような姿を形どり、ふわりと掌の上に浮かんでいる。

 アイツは不思議そうに手の中に出現した包丁のようなものを見つめると、小さく頷いた。


 『…………』


 レイカの整った唇から発せられた言葉が全く理解できなかった。

 まるで生きて蠢いている言霊とでもいうような、言葉そのものに生命が籠っている様な感覚。

 

 「そんな、逸平君のノートが!」


 彩音が引きつるような表情を浮かべ、俺の肩をガタガタと何度も揺すった。されるがままの俺の目に映った信じられない状況。

 レイカが手にした光る包丁で灰を撫でると、それは光の粒子となって集まり、ノートの形を再構成したんだ! 


 アイツは復元されたノートを手に取ると、少し驚いたように目を見開く。

 まるで自分の行った行為が信じられないでも言うように。

 しかしそれはすぐに力強い笑みに取って代わり、確信を含んだような表情となる。

 もうレイカの手の中には光り輝く包丁は握られてはいなかった。


 「うん、復元完了だ……なんだかやり方が分かったような気がする」


 (なんだろう。なんか違和感を感じないか?)


 俺は思考の停止した頭を何度も左右に振って強引に脳みそを動かそうと藻掻く。すると隣の彩音の震える声が聞こえてきた。


「逸平君。これってどういうこと?」


 その声にようやく俺も周囲の異変に気付く。

 オカルト部の棚の上にあったよく分からない生物の小さな模型、ミイラの手のレプリカだったもの。

 それが全てポテトチップスの袋菓子に変化している!


「ロウソクが……これってマヨネーズの容器になってないか?」


 その言葉に首をギクシャクさせながら、描かれた魔法陣の周囲に立てられてあった元ロウソクだったものを見つめる彩音。俺の言った事をようやく視界で確認したようで、ギュッと肩に豊かな胸を押し付けてきた。

 レイカはそんな慌てふためいている自分たちを面白そうに見下ろすと、片手に持っていたノートを手渡してくる。俺は何度も頷きながら、震える手でそれを受け取る。

 

「キミの物なんだろう」


 どこか平坦な声が室内に響き渡る。何事も変わったことが起きていないとでも言うような、優雅なお茶会がこれから始まるとでもいうような、そんなどこか緊張感がない感覚が伝わってくる。

 

 俺は麻痺したような思考の片隅で無造作に手を伸ばし、復元されたであろう自分のノートを受け取る。


(このまま俺の小説の中のアイツの力が、現実世界で使われ始めたら!)


 ごくりと唾を飲み込む。


 自分の震える瞳の先には、人当たりのよさそうな平和な微笑みを湛えている魔王が映っている。しかし、その紅い瞳だけは、目の前の惨状を観察する硝子玉のように、何の感情も映していなかった。

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