メドベッドと副作用
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メドベッドと副作用
※メドベッドとは、医療技術で、2026年以降出現すると一部で言われているベッドである。
そのベッドに数分横たわっていると、遺伝子情報を参照して完治させてしまう装置である。
外科医や内科医など一般の医者はいなくなるといわれている。
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田中夫妻は、ありがたいことに、男の子と女の子に恵まれた。ふたりともセラピストとして、専門技術を身につけて元気に働いている。母親の紗絵は、30歳までには家を出ていくようにと折に触れて、子どもたちに言ってきたが、彼らは働き始めて3年ほどでふたりとも家を出て独立した。
子どもたちは、両親に対して『冷たい』と思ったことはなかった。むしろ深い愛を感じていた。なぜなら、両親のもとでしか生活してこなかった男女は婚活市場では非常に不利だからである。夫妻にとっては、自分たちの保護から彼らが独立して彼らの配偶者たちへバトンタッチできたら最高と思っていたが、子どもたちが30歳前に配偶者を得てくれたことが、うれしかった。親としての責任をはたした達成感を噛みしめてコーヒーを飲んでいたところ、息子も娘も結婚しようと思っている人を紹介したいからと、週末の予定を聞いてきた。紗絵は、今回は縁がなかったとしても、二人とも生涯独身は無さそうだなと思わず安堵の笑みをこぼした。息子も娘もさらに子宝を授かれたら最高なんだけど....空になったコーヒーカップの底を見つめながら二人の幸せに思いを馳せた。
60歳になった沙絵は、脳腫瘍を患っていると診断された。かつては不治の病の一つとして恐れられた病気も、今やメドベッドの出現により完治されるようになり、紗絵の夫も子どもたちも悲惨さは微塵もなかった。娘は、『虫歯も治るし、ママは若がえって、あたしと並んで歩いたら、美人姉妹に思われるね。』とウキウキしながら話していた。
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紗絵は、リビングルームでコーヒーを飲みながら、このままガン(腫瘍)で死んでしまった方が良いかもしれないと少し残ったコーヒーをぼんやり見つめていた。
ガンの痛みは半端ないだろうからな、痛いのはいやだな。私にはたえられないな。でも、主人には私の気持ちや過去を知られたくない。あの時の出来事も。
子どもたちへの責任はもはやないし、人生にやりのこしたといえる悔いはなかったので、死んでも仕方ないと思った。
メドベッドに数分横たわっていると遺伝子情報を元に病を治してくれる。ガンも例外ではない。あらゆる病が対象となっている。一部例外となるのはコロナワクチンによりスパイクタンパクで遺伝子が変更されている場合には治癒されないらしい。
メドベッドによる治療の後には、テレパシーの能力が付加されると流布され始めていた。
新しい時代では、嘘のない世界が展開されるとのことらしい。テレパシーは、人の心を隠しつづけることができなくなるようである。ビジネスでも、夫婦でも社会に変革をもたらすことは必定となるであろう。
メドベッドによる医療革命は起きたが、テレパシーを副作用とみるか次への社会の変革との人間との共生とするかは人類への宿題となりそうである。
社会がこれからどうなっていくかよりも紗絵にとっては、夫婦や家族の関係に差し迫る危機だった。
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紗絵は、中学校2年生の時に、体育館の倉庫にて、二人の中学生にレイプされた。明るく笑顔が眩しい女の子だったが、表情の乏しい中性的な女の子になってしまったのはそれ以来だった。。その事件の記憶が紗絵にはほとんどなかった。あるのは、振り向いた先に紗絵の目に入ってきたマットに残った血のシミだけだった。
淡々と学生生活を送っていた紗絵だったが、パンづくり教室のチラシが紗絵の目を捉えた。週一回の教室で、興味があったベーグル、さらにフォカッチャ、そしてピザも作れる。あの日の出来事以来初めて受け身ではなく前を向いて紗絵は動き始める事ができた。姐がパン教室に一緒に行こうと後押ししてくれたことが大きかった。心配していた両親の作戦だったのかもしれない。でも、紗絵も自然に乗っかれた。楽しく学べたし、なにしろ後々子どもたちの大好物となった。
姉のパン作りの熱心度はあまり強くなかったからか、妹の付き合いだからか、教室をお休みがちになっていった。
2名一組のグループになってレッスンを受けるのであるが、姉が休みがちになり始めてから、一人で参加している30代の既婚男性と組むことが多くなった。
あの事件以来男性は苦手になった。自然に避けるようになってしまっていたが、その男性とはなぜか自然に接することができた。その男性は男を意識させるタイプでなかったからかもしれない。それからしばらくして、熱意が薄れていった姉に代わって、その男性と組んでパン教室でレッスンを受けるようになった。紗絵には自分となにか噛み合うところがあるからでないかと思い始めていた。
パン教室の最後に自分たちがつくりあげたパンの試食時間に、紗絵はその既婚男性から、近くに美味しいハーブティーを出してくれるCAFEがあるのですが、飲みに行きませんか?と誘われた。紗絵は男性からナンパもデートに誘われたのは生まれて初めてだった。自己評価も他人からの評価も容姿もスタイルも抜群だったにもかかわらず、女の子の青春時代とはかけ離れていた。「はい」とシンプルに紗絵ちゃんが答えることによって、紗絵の人生が一歩踏みだせたようだった。二人は、注文したハーブティーを一口、二口に含んで『おいしい』とひとりごとのように呟いた後無言の時間がながれた。20分ほどしてカップ空からになり男性は、「帰りましょう。できたら、またつきあってくださいね。』と店を出て駅に向かった。
その男性は、30歳代の結婚歴10年の男性で、子供はいなかった。結婚相談所で知り合った女性との生活はこんなものだろうと違和感を感じていなかった。幸福であると思えた。
男性は、出張が1日早くきりあげられたので帰宅した。ベッドルームにスーツケースをあげると半裸の妻と全裸にバスタオル姿の見知らぬ女がベッドに仲良く腰掛けていた。
男性には、驚きもショックもあった。しばらくしてからも過ぎ去ってしまった人生をかえして!』というよりも『今までありがとう。本当に。』と返した言葉がふたりがかわした最後の言葉となった。【ありがとう】の言葉には嘘いつわりはなかった。こんな自分とでも一緒に暮らしてくれたと素直に思っていたからだった。
パン教室の紗絵と男性は、カフェでハーブティーを無言で飲んで帰宅していた。変化があったことは男性の指に結婚指輪がなくなったことだけだった。それはパン教室が終わるまで続いた。ふたりにとっては、ハーブティーの時間の沈黙は自分を整える時間だった。紗絵は、駅に向かう男性の背中にお誘いいただきありがとうございましたと頭を垂れた。人生が前に向き始めていた。これは恋だったんだろうかと紗絵は思った。
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紗絵は、10代に自分の身に起きたことやあの男性への思いがどのように主人に伝わってしまうのかが怖かった。いつも笑顔で寄り添ってくれて、子どもたちにも優しく、最高の主人の顔に泥を投げつけるようで、生き恥をさらしたくない気分だった。人生を60歳まで生きて子どもたちの独立を見届けられたので、悔いはない。
そんな折、長女夫婦の不意の田中家訪問があった。紗絵に妊娠したと知らせるためだった。
娘が人の親になれる。授かるものなら授かって欲しかったので、めちゃくちゃ嬉しかった。
これでは孫の顔を見れないのでは死んでも死にきれない。
メドベッドで治療を受ける部屋の前で、主人を20秒ほど抱きしめると涙が一筋の涙が頬を伝わり床に落ちた。『今まで本当にありがとう」と最後に主人の背中に投げキッスをして思いを送って治療室に入った。
夫婦で、メドベッドのエンジニアからがんはきれいになくなりましたと告げられた後、二人は寄り道せずに車で帰宅した。紗絵がベーグルを焼いて、主人がサイフォンでブルーマウンテンをいれた。一言も会話はなかった。二人のコーヒーカップが空になると主人はもう一杯づつコーヒーをいれて、二人は、静かにコーヒーとベーグルを美味しくいただいた。
お皿からベーグルがなくなり、コーヒーカップの底がみえると主人が近くの公園に散歩に行こうとの誘いで、30分ほど木立の中を歩いてベンチに腰掛けた。
『紗絵ちゃんの頭の中に土足で入り込んでしまってごめんね。』
『われわれもおばあちゃん、おじいさんになるし、これからもよろしくね。』と主人が言った。
紗絵は、『はい』と言って、横にいる主人の肩に首を掛けてしばらく前を見つめていた。
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