砂漠の歌姫
月兎耳
歌・拍手・砂 前
乾いた風が荒野を吹き抜ける。
広大な砂の大地の上に、沢山のテントや荷車が並んでいる。
大きな駱駝に幾つかの輿、沢山の人。
中には動物と見紛う姿の者や、小男などもいる。
砂漠を渡り、世界の珍しい物や不思議、美しい歌や踊りで人々を楽しませることを生業とする、カーニバルの大キャラバンだ。
異様な姿の生き物や、恐ろしい展示物もある為、眉を顰められて石を投げられることも多いが、ユウマはこのがやがやした雰囲気が好きだった。
なんの特技もない、みなしごの自分を下働き兼楽師見習いとして拾ってくれた事にも感謝している。
それに何より、ここには彼女がいる。
荷物を運んでいる少女に、ユウマは声を掛けた。
「おはよう、エバ!」
快活なユウマの声に、エバは黙って頷いた。
エバの顔や剥き出しの手足には幾つも痣が出来ていた。
団長に殴られたのだ。
彼女は踊り子の筈だが、団長の暴力のせいで、舞台に立つことは滅多になかった。
エバの華やかで繊細な、時に妖しい踊りは見事としか言いようが無く、このキャラバンの踊り子は誰も彼女に及ばない。
その彼女が舞台に立てないほど目立つ傷を作ってしまうのだから団長の気が知れないと、皆は興行がある度に陰口を叩いている。
「顔すごいね。大丈夫?」
声を潜めて聞くとまた静かに頷く。
エバはほとんど声を出さない。
彼女の声が聞けるのは彼女が歌を歌う時だ。
彼女の歌は、ユウマの知らない不思議に揺れる言葉と旋律で紡がれる。
ユウマは彼女のその歌声が大好きだった。
ユウマだけではなく、キャラバンの中にも彼女の歌を好む者が多い。
しかし、団長だけは違った。
彼女の歌は、彼女が暴力を振るわれる大きな原因になっている。
エバは占い師の娘だった。
彼女の母はキャラバンの主力メンバーであり、興行を打てば彼女のテントには長い行列ができる。
しかし、時に奇妙な彼女ら母子の言動を団長は疎ましく思っているようで、不幸を呼ぶと言ってはエバの声をひどく嫌っていた。
しかし、殴られる事がわかっていても決して彼女は歌うことをやめなかった。
なぜそんなにも執着するのかは誰にもわからない。
また、舞台で歌ってはどうかと言う者もあったが、それには絶対に頷かなかった。
見せ物で金を取るのだ。
芸などについて多少厳しく教えられるのはよくあることだし、団長の気質が荒いのも皆が承知の上だ。
誰かが殴られることなどもう誰もが見慣れてしまっている。
ただエバに手を上げる時の団長は、普段と違い、どこか鬼気迫る様子があるようにユウマには思えるのだった。
団長は不幸を呼ぶと言うが、ユウマも彼女の歌には不思議な力があるのではないかと思っている。
ユウマが拾われてすぐの頃、予定していた水場が干上がっていて、キャラバンが苦しんだ事があった。
その時エバは、渇きによろめきながら隊列から離れ、1人声を上げた。
それはまさに、大地を震わせるような、何かに訴えかけるような歌だった。
その直後のことだ。
にわかに空が曇り、雨季でもないのに大量の雨が砂漠に降り注いだ。
彼女の事は、偶然目撃したユウマ以外、誰も知らない。
キャラバンはある時立ち寄った街でカーニバルを開いた。
そこでユウマは久々にエバの踊りを見る事ができた。
沢山の拍手と歓声を浴びてお辞儀をするエバに、ユウマも舞台袖からできる限りの大きな拍手を送った。
美しい彼女の踊りに、もしあの不思議な歌が重なることがあれば、あまりの神々しさに自分は膝を折って彼女を拝むだろうと、ユウマは思うのだ。
その後兄弟子に見つかって、サボっていると頭をどやされたがそれはまた別の話だ。
そんなことはユウマにはどうでも良かった。
とにかく、エバの踊りを見られただけで、その時はもう天にも昇るような、死んでもいいような心地だったのだから。
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