2_過去に目を開く

 視界が晴れたとき、繁茂は地面に座り込んでいた。

 同じ場所、同じ体育倉庫の裏手だ。立ちくらみを起こしたのかもしれない。倒れていないということは、ほんの一瞬のことだったのだろう。頭を打たなかったことに、ほっとし、立ち上がろうとして、自分に違和感。手の平が撫でたスカートの丈は長い。

 それもそのはず、いつの間にやら着ていたのは中学二年のセーラー服。首筋に風が当たり手を伸ばせば、肩口までしかない髪。恐る恐る立ち上がれば、視線の高さが低い。

 先ほどは見下ろしていたパイプの残骸が、顔に近い位置にあった。


「中学生に、戻ってる……?」


 その事実に、なぜか繁茂の胸には安堵が溢れた。あの頃は何も考えなくてよかったのだ。卒業したら、自動的に同敷地内にある高校に通うだけだったから。


 木陰から手をかざしてそっと顔を出すと、校舎の窓に人影が見えた。日は高い。昼休み頃だろうか。そして、繁茂は、この意味不明な現状を考えることから逃れるように身体の向きを変える。木々に埋もれるような校舎へと足を進めた。


 高校時代と変わらず、中学の生徒の数も少ないのだが、予想通り昼時特有の懐かしい空気が階上から響いてくる。

 繁茂にとってはこれが日常だが、世の中に木々の問題が無かった頃の建造物である。彼女はしばしば、景観から垣間見える過去について考えてしまう癖があった。これだけの大きな校舎が必要なほどの生徒がいたことを、不思議な気持ちで想像しながら、人の声に向かって階段を上っていく。廊下で立ち話しているのだろう生徒たちの声は、大きな空間に反響しながら彼女の耳に届いた。


 自分の姿を考えれば、本当に向かってよいものかという不安も過ぎった。それもつかの間、二階の廊下に踏み出せば、記憶の中の中学生時代と変わらぬ光景がそこにあった。


「どこ行ってたの?」


 幼い顔が振り返り声をかけてきた。丸い顔立ちのボブカット。クラスメイトだ。


(本当に中学に戻ったみたい)


 繁茂はとっさに涼みに行っていたとごまかす。


「よく景色見てるもんね」


 違う、と、繁茂は心で返していた。

 正確には木々だ。

 彼女が指摘したように、中学時代もぼんやりと、木々の存在を見上げていた。

 そこで、自分が本当は何を思っていたのかに気付いた。


(そうだ。確かに私は、それが当たり前と納得しようとして、それでも何か嫌だなって感じてたんだ)


 特に怪しまれることもなく、昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴ったことで教室に入った。

 懐かしい自分の席で、中学の生物の授業を受ける。教壇の教師は、この奇妙に繁殖した木々が、人類の驕りと科学の暴走で生まれたことを語る。


 ある時、環境改善のためといって全世界が緑化の研究に取り組んだ。

 そして生まれたのが、短期間で成長する草などだ。その植物は、日光の他には空気中の水分で十分な成長を促せるものだった。このため、たとえ植えたのが荒れ地のような場所でさえ、過剰な栄養となってしまった。

 まるでチョコレートの噴水のように、どろりと膨らんでいき、その勢いのまま成長していく。

 何より問題は、文字通り爆発的な繁殖をしたことだった。

 見る間に瘤のように膨らみ、それが重なり合い、その急激な成長と圧力に耐えられず破裂してしまう。当初は大量の粉塵が発生することが問題となったが、真の危険はその後だった。当時の研究者は成長の限界を見誤った。巨大化が進めば、破裂には殺傷力が備わってしまう。一般的な民家などは耐えられず、次々と呑みこまれていく事態になってようやく、今度は軍を上げて除去に奔走する。あまりに広範囲のせいで、他への影響を考えれば枯葉剤を散布するわけにもいかず、従来の製品では効き目も悪い。そこで、特効薬として開発した薬液を巨大な注射針で刺して回るという長い奮闘の末、現状の平和を取り戻したのだ。


 初めて詳しく説明される授業だったと、繁茂はぼんやりと思い出していた。

 これが当たり前の時代に生きている繁茂だが、実際に他の生物とは育ち方も強度も違うことは理解できる。短時間で目に見えて成長し、街を覆いつくしてしまう植物など他にはない。

 今では国の剪定省が管理をしているが、追いつかない末端のご家庭では遺伝子工学製剤『Boundup』などが手放せない。

 そうして、現在はこの奇妙な共生を成している。このままでどうにかなっているなら、自分が考える事でもない。

 そう結論づけ、彼女は目に映っている未来の問題から顔をそむけた。


 当時の繁茂は、ただ木々を見上げることをやめ、目を閉じたのだ。


 そして今、閉じた目の裏で高校二年生の繁茂の思考が、過去の時点で放棄していたこの微かな疑問に向き合う。

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