VTuber殺人事件

折瀬理人

プロローグ

プロローグ

 この話は、ブイチューバーブームの初期、あるいは過渡期に起きたある事件の詳細を記したものである。

 あなたがこの記録を手にしているのがいつ頃なのかはわからないが、当時の大まかな技術レベルや直面していた問題、業界の成熟度などを振り返り、歴史資料として読んでくれると大変嬉しい。

 ささやかながら、あらゆるものがいまよりも進歩していることを私は信じている。


――――――――――――――――――――――――――――



 六月某日。今日は競合他社にとって上場後初となる株主総会の日だった。

 しかし初ということ以外にも内外問わず大きな注目を集めている。

 それは身も蓋もない言い方をすれば、ブイチューバー事業で成功を収めた企業だからに他ならない。

 そもそもこの種の新興企業が株式上場すること自体がまだ稀有な時代だった。その理由は歴史の短さもさることながら、この業界でそこまで成就することが困難だからである。

 故に投資家のみならず株に興味のない人々からも関心を集めている、という景気のいい状況となっていた。

 その動向をデスクで注視する私もまたその一部であり、同じの業界に身を置いているひとりだった。

 遡れば、私はかつて芸能事務所でマネジャーを務めていた。しかしそこで人間関係のトラブルに遭い心を病んだ末、思い切って退社をした。その後、当時まだ人手不足に喘いでいたこの『サンバディノウズ株式会社』にスカウトされ、身ひとつで新たなジャンルへ飛び込んだ。

 女性ブイチューバーグループ『カラーズ』を擁する、今や業界上位の企業。そこに私は中途採用された形である。

 発展途上な当業界はなかなかのブラックぶりだと噂には聞いていたが、かといってまったく異業種を始める勇気もなかった。働き始めて半年と少し、この判断が正しかったのかどうかはいまだわかっていない。

 ブイチューバー事業といっても中はかなり分業化されていて、各自で担っていることはまったく違う。企画、制作、営業、様々あるが、私が任されているのは依然と変わらずタレントのマネージャーである。

 正確を期すなら、顔を出さない『ネットタレント』のマネージャーだ。

 その立場に身を置きながら今日も既定の業務をこなしつつ、合間に匿名掲示板内を巡回する。

 俯瞰しチェックしたのは件の株主総会への反応だ。

 ネットユーザーの監視などくだらないことのようにも思えるが、情報ひとつで株価が急降下するこの時代、多角的な分析や観測は必要だ。弊社が株式上場するのも時間の問題だ、と車内で噂されていればなおさらである。

 まずトラブルの有無が気になった。株主総会は株を所有し議決権行使書を持参すれば、理論上は誰でも入れる。なので『厄介な株主』が来ても何らおかしくはない。特に鳴り物入りの企業ともなれば、その危険性はずっと高くなる。

 我が身のことのように想定したのは、暴走したブイチューバーのファンが会場に突撃、という図である。考えられる理由は炎上した事案に対しての抗議。

 そんな余計なお世話を焼いていた頃、新人広報の七瀬優依が血相を変えて私の部署に入ってきた。所属が違うので他のマネージャーも何事かと顔を上げている。


「ちょっとまずいですよ先輩」

「まずいって誰かまた炎上したのか?」


 業務用ノートパソコンから目を離して半ば冗談半ば本気で返すと、七瀬は濡れた犬のように体をぶんぶん振る。


「そっちじゃなくて会社のほうです」

「じゃあ火事とか?」

「もう真面目に」


 そう言う彼女が真面目なトーンだったので私は居住まいを正し、回転椅子ごと向き直る。


「それで、何がまずいんだ?」

「それが、天宮織姫さんに会わせろって人が下まで来てて、しかも勝手に生配信までしてる始末で」


 思わず私は唸る。誰か会社まで押しかけてきたらしい。冗談にも聞こえるが、本社の住所は公開されているのでこういう事態は普通にあり得た。ネットで検索すればすぐ出てくるのだ。『カラーズ、会社、住所』と打ち込めばあっさり出てくる。

 すると事務所なのだから社屋にタレントの『中の人』もいるはずだと安易に思い込む人がいる。しかし基本ブイチューバーの配信は自宅かスタジオで行われるため、絶対ではないにしてもほとんどいることはない。

 加えて厄介なのは、


「彼女はもういないし、弊社に言われてもどうすることもできない。知的財産権はこちらにあるんだろうが」

「というわけで警察に来てもらってるみたいです。現場からは以上です」


 彼女は一旦そこでデスクに手をつき一呼吸してから、私のノートパソコンをぐいっと覗き込む。


「大手の株主総会、ネットの反応はどうです?」

「社長のメンバー限定配信だとか、リアルでスパチャ投げに行こうぜとか、いいおもちゃにされてるよ」

「次に上場するのはきっとうちですから、いい勉強になりますね」

「だといいけどな」


 会話はそれくらいで七瀬はせわしなくまたどこかへ消えていった。

 企業というものは急成長しすぎると必ずといっていいほど内部に歪みが生じる。人間でいうところの、内面と外見のギャップだ。子供はあるとき親を追い越すくらい身長が伸びたり体格が大きくなったりする。しかし体は大人と同格でも、中身は幼い子供のままなのだ。それとまったく同じことが企業にも起こる。

 その最たるものが知名度にそぐわない経験不足、リテラシーの不足だ。そのために多くの判断を間違え、たびたびとんでもないピンチを迎える。

 さきほど出たファンの暴走やネットで起こる炎上も、エラーを吐き出すかのように、その過程で生じるものだ。

 商売にノウハウがあるように、トラブルの対処にもノウハウがいる。その中でもっとも重要なのが早期発見と真偽の調査。それこそが、芸能界で長年マネジャーをやっていた私の教訓であり結論だった。

 七瀬が言っていた騒動の反応をエックスで調べてみたが、まだ話題にはなっていないようだった。だが膨大な情報の中から異常者を発見するのはさして難しくない。目立ちたい人間のやることは往々にして決まっているからだ。すなわち、奇行に走り、異常行動や犯罪行為を自らアピールする。

 思い返せば一時期流行った外食テロがその典型だ。自身の犯罪をわざわざ証拠として録画しネットにアップする。こんな馬鹿げたことをする人間が実際にいるのだ。

 しかしこういった軽犯罪者、バグやイレギュラーは必ずしも明確な原因があって生まれるわけではない。ただ純粋な割合の問題である。つまり一定数の善人がいれば、一定数の悪人が出てくるのは仕方がないということだ。

 働きアリにしてもそうだ。よく働くアリと普通に働くアリがいると、その中からまったく働かないアリが絶対に出てくる。比率はだいたい二割六割二割だそうだ。

 であれば、ファンの中からアンチが出てくるのもむべなるかな。

 私の持論のひとつにこんなものがある。

――人が集まるところにトラブルあり。

 監視の途中、ふとあるポストが意識に止まった。

 いいね数やリポスト数はまだ大して多くはない。とはいえこの数がある種のバロメーターとなっている以上、それが無視できないレベルのものでもあるのも確かだった。

 そのポストにはこう書かれている。


『人気女性アイドルブイチューバーの男性スキャンダルを近日中にリークする。知りたいものはフォローしろ』


 私は片手で髪をかき上げ、それから半分ほど頭を抱えた。

 真偽のほどは定かではないが、こんなものでフォロワー数を稼げるとも思えない。

 どうせまたどこかの目立ちたがり屋がふざけたことをやって承認欲求を満たそうとしているだけだ。そう思った。

 それでも、私は頭を抱えた。

 何故なら、サンバディノウズが売り出しているのがアイドル路線の女性ブイチューバーグループで、私の知る限り、それが弊社のことではないと否定できなかったからだ。

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