海と魔法使い

海と魔法使い

 すべてが嫌になった私は海に来ていた。


 仕事とか人生のこととか人間関係のこととか、とにかく色々が嫌になってしまったのだ。


 なので、私は海に来ていた。


 中年男性が岸壁に座り、一人寂しく晩秋の日本海を眺めている。海は青いというのは多分太平洋側の話だ。北国の日本海は黒い。まるで清々しさなんかない。


 私の重たい気持ちをさらに重たくする寂しい景色だった。



「もうなにもかも投げ出して逃げたいな」



 私は一人呟いていた。



「やぁ、中年男性が寂しく黄昏ている」



 そんな私に声がかかった。


 通行人が陰口を叩いたのだろう。私はそんな声には目もくれず海を眺め続けた。



「何か悩み事かな、中年」



 しかし、その声は気づけば私の真後ろに来ていた。


 私は振り返る。


 そこには女が立っていた。


 赤みがかった髪の美しいお姉さんだった。


 いや、お姉さんと言ったが私より年下だろう。


 だが、お姉さんは何歳になってもお姉さんなので仕方ない。



「色々嫌になって海を見ています」



 私は答えた。



「そうか、30を超えれば色々思い悩むことも増えるだろう。若い時とは体も立場も変わってしまうからな。大変だな中年」


「いや、その中年っていうのやめてもらえませんか」


 

 少年、と若者を呼んで導くお姉さんは漫画の鉄板キャラだが中年、と言って年上を導くお姉さんは居るのだろうか。


 お姉さんは俺の横に座った。



「中年は中年だ。仕方がない」


「もう良いです」



 少年と響きが似ているが、言葉の意味が正反対だから返って悲しい感じがする。



「君はどうやら独身だな」


「だったらなんです」


「周りが結婚していくから焦っているのかい?」


「なんでそんなこと言うんですか」


「職場で少しずつ立場が上がって、会社の人間関係で苦悩しているのかい?」


「なんで言い当てるんですか」


「そして、自分の人生はこれで良いのかと不安になっているんだね。周囲は変わっていく、自分も変わっていく、健康診断の結果も悪化していく。なるほど、悩みは尽きないな中年」


「もうやめてください」



 お姉さんは嫌なことばかり言ってくる。現実から脱出するために海に来たのに現実を突き付けてくる。



「だが、中年。そう悩んでばかりもいられないだろう。時間は有限だ。三十路でそれでは先が思いやられるぞ」


「ちょっとはゆっくりさせてくださいよ。っていうか、もう良いでしょう。あんたはなんなんですか。わざわざ僕の隣に座ってなにがしたいんです。嫌がらせですか?」


「いやいや、迷える中年に手を差し伸べようかと思ってね。答えを与えることは出来ないが気晴らしぐらいはさせてやるとも」



 そう言うとお姉さんはすっと指を上げ、軽く振った。


 すると、



「な、なんだ」



 砂浜にポコポコと花が咲いた。それは次々と咲き続け、気づけば砂浜は一面花畑になった。



「それ」



 そう言ってお姉さんがまた指を振るう。すると、海から魚が次々と跳ねとんだ。イルカやクジラも居る。それらが跳ねたまま宙に舞い、そして、泳ぐようにして飛び始めた。



「な、なんなんだあんた」


「私はね、魔法使いなんだよ、中年。君のような迷える子羊の気晴らしに付き合うのを趣味にしている」



 黒い日本海を前にした砂浜は今や花と魚が入り乱れるファンタジー空間となっていた。


 魚は飛ぶ、花も咲き続ける。見たことのない大きな花が咲く。見たことのない鮮やかな魚が泳ぎまわる。



「君も行こう」



 そう言ってお姉さんは俺の手を取る。


 俺はお姉さんと一緒に空に浮き上がった。



「ははは、空を飛ぶのは初めてかな、中年」


「おおお、おお」



 お姉さんはジ○リ映画のワンシーンみたいに俺の手を取り空中を歩く。俺もそれに合わせて歩く。本当にあの映画のワンシーンみたいな空中散歩。歩いているのは年若い少女ではなく中年男性だが。


 だが、気分は良かった。こんな不思議なことに巻き込まれるというのは。



「どうやら少し表情が柔らかくなったね。少しは気は晴れたかな、中年」



 ファンタジーな砂浜を見下ろしながら俺たちは宙を歩いている。それは、なんだか楽しかった。



「なんかちょっとは晴れました」


 

 俺はクシャっとした笑顔を浮かべた。



「それは良かった」



 そう言って、お姉さんは舞い上がる花のひとつを取ると俺の胸ポケットに差した。



「先は長いな中年。四十路になったらさらに迷うことになるとも」


「悩んでばっかりですね、人生は」


「そうとも。生きるというのは迷い悩むことだからね」



 そう言って、お姉さんは俺の額に指を添えた。



「中年、良き旅を」



 お姉さんは言った。そして、俺の意識は途絶えた。
















「うあ?」



 俺は目を覚ました。


 海岸の岸壁の上で。気づけば日は傾きかけていた。


 随分寝ていたらしい。


 なにか、妙な夢を見たような。



「寒いし帰るか」



 俺は立ち上がった。


 目の前には砂浜と、黒い日本海。なんて寂しい景色だろう。


 しかし、何故だろう。来た時より俺の心は晴れやかだった。


 気晴らしにここに来たが、思ったより効果があったようだ。


 と、



「なんだこの花」



 俺の胸ポケットには見慣れない花が一輪差さっていた。


 虹色にさえ見える、色んな色が混じった花。


 花を見るとなんだか暖かい気持ちになった。


 まったく記憶にない花なのに不思議だった。誰かがいたずらで差していったのだろうか。粋ないたずらもあったものだ。



「帰るか」



 そして、俺は一回背伸びをすると車を停めた駐車場に向かって歩き出したのだった。

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海と魔法使い @kamome008

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