第3話 妖刀の声

学園を覆う濃霧の中、龍馬とさなえは必死に駆け抜けた。

妖魔の咆哮が後ろから追いかけてくるたび、足がすくみそうになる。


「龍ちゃん……はぁ……! こっち……!」


さなえが震える手で龍馬の袖を引っ張る。

普段は物腰柔らかく落ち着いた彼女の声が、ひどく不安で揺れていた。


霧の向こうに──一つの古びた鳥居が見える。


「ここ……神楽院の古社……?」


「とにかく、隠れよう!」


二人は鳥居をくぐり、苔むした石段を駆け上がる。

息を切らしながら社殿へ滑り込み、扉を強く閉めた。


──ぴたり。


外の咆哮が、嘘のように消えた。


「はぁ……はぁ……龍ちゃん……」


「大丈夫、さなえ姉。ここなら──」


そう言いかけた瞬間。


さなえが龍馬の背後にぴたりと張りついた。

「りゅ……龍ちゃん……なんか……ここ……“見られてる”……気がする……」


か細い声。


いつもの優しく穏やかな雰囲気ではない。


彼女は昔から、こういう“得体の知れない気配”にとても弱い。


「……気のせいじゃ、ないな」


龍馬は足元を見た。


──破れて散乱する封印符。


風もないのにカサリ、と紙片が揺れた。その瞬間、社殿全体の空気がひやりと冷える。


「りゅ、龍ちゃん……これ、本物の……封印……?」


「……多分な。何かを閉じ込めてた痕だ」


さなえの指先が震え、龍馬の袖を強く掴む。


「やだ……ほんとにやだ……ここ絶対おかしいよ……帰ろ? ね? 龍ちゃん……」


そのとき──


社殿奥の闇が、ゆらりと揺れた。


「……!」


黒い靄がゆっくりとうねり、中心から“何か”が浮かび始める。


黒い鞘。深紅の紋。

まるで生き物のように僅かに角度を変えながら、宙に浮かぶ一本の刀。


「──っ! 龍ちゃん! あれ……なんか、生きてる……!!」


さなえは完全に涙目で龍馬の背中にしがみついた。


そのときだった。


『……ずいぶんと騒がしい夜だな、人間』


「「うわああああああああああああっ!!?」」


龍馬とさなえ、完璧にシンクロ。


「龍ちゃん! やだやだやだ! 喋ってるぅ!!」


「俺も怖い!! 待て、一回落ち着こう!!」


『耳が痛ぇよ、嬢ちゃん。そんなに怯えんなっての』


「怯えない方が無理だよ!!」


『俺の名前は村正、しがない妖刀ってヤツだ。別にテメェらを喰うつもりはねぇから安心しな。』


「“つもり”って言わないでぇ!!」


刀はくつくつと笑うように霊気を揺らした。


『……しかしまあ、お前──変な“匂い”してんな』


「匂い……?」


『“弱ぇくせに逃げねぇ奴”の匂いだよ。普通ならとっくに泣き崩れてる』


龍馬は息をのむ。

さなえが小さな声で絞り出す。


「りゅ……龍ちゃん……帰ろ……ね……? こんなの……絶対、悪いものだよ……」


『悪いかどうかは、お前ら次第さ。だが外の妖魔は、もうすぐここを見つけるぜ』


外から、獣とも人ともつかぬ咆哮が響いた。

さなえの顔が青ざめる。


「やだ……来てる……! 龍ちゃん、どうしよう……!」


『助けが欲しけりゃ──オレを握れ、小僧』


「……は?」


『簡単だろ。触ってみりゃわかる。嫌ならすぐ離せ

ばいい』


「龍ちゃんダメ!! 絶対ダメ!! なんでそんな誘いに乗らなきゃ──!」


「……さなえ姉。外には妖魔がいる」


「っ……でも……!」


龍馬は震える手で、ゆっくりと刀へ近づく。

さなえは涙を溜めて必死に袖を掴み続ける。


「ほんのちょっと触るだけだ。すぐに離す」


『ハッ……良い目になってきたじゃねぇか、小僧』


「黙れ!」


龍馬の指先が──黒い鞘に触れた。

その瞬間。


世界が、弾けた。


「う、ああああああああッ!!」


凄絶な霊力が龍馬の腕から胸へ逆流する。

全身が焼け、凍え、軋む。骨の軋む音すら聞こえる錯覚。


「龍ちゃん!! やだ、離して!! お願い!!」


『握ってろ!! ここで離したら腕が吹っ飛ぶぞ!!』


「なんでそんな物騒なこと言うのぉおおお!!」


さなえの悲鳴が遠のいていく。

龍馬の意識は白く染まり──そして。


ふっと、全身を蝕んでいた痛みが消えた。

代わりに胸の奥が、黒い炎に照らされたように熱を帯びている。


『……よく耐えたな、小僧。気に入ったぜ』


龍馬は膝を震わせながら立った。


外では──


霧を裂いて妖魔が古社へ迫っている。


「……やるしか、ないか」


『ああ。行こうぜ、小僧。斬り合いってやつを教えてやるよ』


龍馬はさなえの方を振り返る。


「さなえ……すぐ戻る」


「いや……行かないで……行かないでよ……龍ちゃん……!」


彼女は涙で顔を濡らしながら、震える両手で龍馬の制服を掴んだ。


それでも──龍馬は微笑んだ。


「大丈夫だよ。俺が守るから」


さなえは、絞り出すように頷いた。


「……絶対、帰ってきて……龍ちゃん……!」


龍馬は扉を押し開け、霧の中へ踏み出した。


妖魔が咆哮する。


『さぁ──始めようぜ。ここからが、お前の物語だ』


龍馬は村正を握りしめ、霧夜の校庭へ赴く。

鼓動が、胸の奥で強く鳴る。


そして───


一歩踏み出した。




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