第8話 奉仕局
国際協定実行奉仕委員会の奉仕局から来たという男は、三十代ぐらい、細い銀縁眼鏡をかけていた。とがった鼻と合わせて、どことなく、ふくろうを思わせる容貌だ。名前を晴見という。
「会田大介君がどこへ行ったか、知らないかね?」
「知りません」
何度同じ質問を受け、何度同じ答えを返したか、と弘毅は思う。飽きたぜ、いい加減、と腹の中で毒づいた。
「しかし、君は会田君と仲が良かったんだろう?」
「同じクラスですから」
「クラスの外でも、いつも一緒に行動してたそうじゃないか」
「いつも、というわけじゃありません」
「会田君は君に、留学の話をしたかね?」
「しました」
「なんて言っていた?」
「驚いたって」
「君は、どう思った?」
「同じです」
「同じ、とは?」
「驚きました」
「会田君が失踪した前日、君は会田君と一緒に下校したね?」
「あいつが、勝手にくっついてきたんだ」
「君たち、まっすぐに家に帰ったかね?」
弘毅は、素早く考えをめぐらせた。ここで嘘をつくのはまずいだろう。弘毅も大介も家に戻ったのは暗くなってからだ。だが、大島の名は出したくない。
「寄り道しました」
「どこへ?」
「あっちこっち、適当に、ぶらぶらと」
「具体的に名をあげてくれないか」
弘毅は心のうちで、舌打ちした。
「川っぷちの土手とか公園とか…よく覚えてない」
「会田君も一緒だね?」
「はい」
「それから?」
「うちに帰りました」
鳥飼のマンションに行ったことは、絶対に知られちゃならない。弘毅が思っている通り、大介が鳥飼にかくまわれているとしたら。
晴見は、とんとんと、ボールペンでこめかみを叩くような仕草をした。
「鳥飼正吾」
弘毅の心臓が、一瞬、鼓動を止めた。晴見は、眼鏡の奥から、じっと弘毅の表情をうかがっている。
「知っているね?」
「サッカー部の?」
「親しかったかね?」
「それほどでも」
「じゃあ、なぜ、鳥飼君の家を訪ねたのかね?」
顔からさっと血の気が引いた。弘毅は、本当にそう感じた。チッチッ、と晴見は舌を鳴らすような音をたてた。
「桧原君、嘘はいけないよ。会田君が失踪した日の夕方、君は鳥飼正吾君の家を訪ねた。だが、正吾君は留学中だ。何のために訪ねたのか、聞かせてくれないか?」
弘毅は黙っていた。自分のうかつさに腹を立てていた。こいつは、どうしてだか鳥飼が関係してると睨んで、マンションに網を張っていたらしい。俺はそこに馬鹿みたいに飛び込んじまった。うるさ型の隣のおばんの顔が浮かんだ。あいつがしゃべったんだ。それに、そうだ、あいつ、俺の前に誰かがやって来たようなことを言ってたじゃないか。
「鳥飼君が、会田君の失踪に関わりがあると、そう思ったのかね?」
弘毅は沈黙を守った。
「不思議だな。鳥飼君は今、外国にいるのに…」
弘毅はかっとなった。鳥飼はあの世にいる。平然と嘘をつく目の前の男が憎かった。
「大介のことなんか知らねえよ。俺は、鳥飼に用があったんだ」
「しかし、彼は…」
「あいつに金、貸してたんだ。なのに、知らん顔して行っちまった。だから、親から返してもらおうと思ってさ」
「大して親しくない鳥飼君に、お金を貸したのかね?」
「頼まれたら、イヤって言えない性分なんだ。おかげでいつもピーピーしてる」
晴見はこめかみをペンでトントンと叩いた。
「ま、そういうことにしておこう」
「そういうことって、どういうことだよ? 俺は本当に…」
「君の印象としてね、会田君は、留学の話をどう受け止めていたかね?」
弘毅はむっと押し黙っていた。晴見は同じ質問を、全く同じ調子で繰り返した。
「実感わかないってさ。あんまり突然だって」
「怖がっている様子は?」
ヒヤリとした。晴見の目がじっと注がれる。弘毅は強いて普通を装った。
「別に」
また、トントン。
「ま、いいだろう。会田君から連絡があったらすぐ、誰か大人に知らせてくれ。君のご両親でも、先生でもいい。警察に知らせてくれてもいい。会田君のご両親も心配されてる。帰ってくるように、説得してくれ」
「あいつが自分で姿をくらましたって、そう思ってるってこと?」
「ひとつの可能性だ」
「誘拐かもしれないじゃないか」
「その可能性も考えてはいる。ちゃんと捜査はしている。君が心配することはない」
晴見は冷たく言うと、もう、弘毅の方を見ようともしなかった。
生徒相談室から出ると、待っていたように、ナオシが駆け寄ってきた。
「何、聞かれた?」
「大したことじゃない。大介が、留学の話をどう思っていたか、とか、そんなこと」
「あの朝のことは言ってないよな? 大介と鳥飼が一緒のとこ、僕が見たって」
「言ってない」
鳥飼が大介の失踪に一枚かんでることなんか、彼らはとっくに知ってる。
ナオシは安心したように、ため息をついた。「こんな大騒ぎになるとは思わなかったな。警察の尋問みたいじゃないか」
廊下の向こうから、小柄な女子が歩いてくる。怯えたような顔をしている。弘毅たちの方には一瞥もくれなかった。ノックをしてから、一礼して、生徒相談室へ入っていった。
「あれ、誰?」
弘毅には見覚えがなかった。
「2Cの近藤ゆりかだよ。バレンタインデーに、大介にチョコをやったやつさ」
「へえー。ふたり、付き合ってたの?」
「じゃないだろ。銅メダルだもん。だれかが、あいつが大介にチョコをやったって言ったんだ。それで、呼ばれたんだろ」
その程度で。
「すごいな」
「指名手配みたいじゃん。でなきゃ、大がかりなドッキリ」
実際、指名手配なのだ。ナオシはサンクスギビング協定のことを知らないから、のんきに構えてる。弘毅は、大島と約束した通り、ナオシにも昴にも協定のことは話さなかった。
「知ってる? 大介の家の前に、おまわりが張り込んでるんだ。うちの親が話してた」
ヒソヒソと秘密めかしてナオシが言った。
廊下の向こうに、昴が現れた。急ぎ足で近づいてくる。
「ナオシ。赤城が探してた。この次が僕で、次がお前だ」
ナオシが怯えた顔をした。「何、聞かれんだろ」
「だから、行方不明になる前の大介の様子とか、そんなことだよ」
ドアが開いて、ゆりかが出てきた。ちらりと三人に目をやってから、逃げるように走って去っていった。
昴がドアをノックし、一礼して入っていった。
「しまった」と、ナオシ。「鳥飼のこと、口止めしとくんだった」
「大丈夫だよ。昴はうまくやるさ」
ナオシをなだめてやりながら、弘毅は思った。
ちがう。これは、ドッキリなんかじゃない。大人は、こんなに真剣に、ジョークで遊んだりしない。サンクスギビング協定は実在するんだ。
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