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  • 第35話 エピローグへの応援コメント

    日野原 爽さま

    こんにちは。
    植物を植物としていただく菜食から、植物性蛋白質で作った人造肉、細胞培養肉と、「肉を食べない」選択肢はバリエーションが広がってきました。肉を食べないのは、食肉となる生き物を殺さないためですが、生き物とは何でしょうね? 赤い血液を流す生物、くらいのくくりなのでしょうか? 赤い血液を持たない植物を殺すことはたいていの場合忌避されません。もしかすると、透明な血液を持つコオリウオだって、殺してはならない生き物に分類されないのかも、などと思ってしまいました。この「殺してはならない生き物」の定義のあいまいさに、常に悩んでしまいます。

    偽肉のバリエーションが広がってきたというのは、それこそが、人間が肉食を魅力的だと考え続けている証拠でもあるのでしょう。人間誰しも幼いころに一度は、生き物を殺して食べることの残酷さに悩んだ経験があると思います。殺さなくて済むなら殺したくない、そう思ったことでしょう。でも、その時には肉の味を覚えています。大人になって「肉」を食べずに過ごしている人たちは、強力な自制心を持った人、体質的に肉を食べられない人、それに代替肉をいつでも購入できるお金持ちの人でしょう。本物の「肉」としか思えない人造肉や培養肉に舌鼓をうつのは、いつ、本物の肉食に転んでもおかしくない、ギリギリのバランスのところで揺れ動いているように思えてなりません。

    毎回、考えさせられるお話でした。まだまだ私の中では消化不良かもしれません。考え続ける必要がありそうですね。

    読ませていただき、ありがとうございました。

    作者からの返信

    佐藤宇佳子様

    長い話を最後までお読み頂き、ありがとうございました。しかも、かなり無理な設定にお付き合い頂き、感謝しています。

    20代の頃、私自身、数年間、菜食主義を実行しました。魚は食べてよし、という不完全版でした。基準は、自分の手で殺せるかどうかでした。魚ならば私は頭を切って三枚におろすことも、細かくしてツミレにすることもできます。鶏、牛、豚、ウサギ、羊はできないと思いました。佐藤様は魚について造詣が深いので、生命について、また、別のお考えがあるかと思います。ちなみに、コオリウオが透明の血液を持つことは知りませんでした。生物の多様性、面白いですね。いつか、小説に使わせていただくかもしれません。

    今は、たまに、ハンバーガーや鶏からを食べます。その度に良心が痛むという荷厄介な性分を抱えて生きています。
    普通はそこまで考える必要はないのでしょう。厳格なヴィーガンは、ビタミンBを補給するためにピルに頼るといいます。肉食はごく自然な行為であり、人間が生きるために必要だということは認めます。トマトをちぎることと、子豚を殺すことは同じにみなすべきだと、ある農夫は言いました。私には同じではありませんが、一理あります。

    ただ・・
    ここに、「ただ」があるのです。私たちは感謝しているだろうか?
    私に食べられるために命を失った子牛のことを一瞬でも考えたことがあるだろうか。「焦げちゃった」「ダイエット中」と言ってチキンをポイとゴミ箱に捨ててなんとも思わない人が多過ぎないか。動物は人間以下の存在だから、それでいいのだと言う人があまりに多くないか。もし、人間もまた狩られ、食べられる存在だとしたら、同じことが言えるのかというところからこの物語を発想しました。

    能登地震の、羽田空港で旅客機と自衛隊機が衝突するという悲劇が起きた時のことを憶えていらっしゃるでしょうか。旅客機の乗客乗員は奇蹟的に脱出して全員無事でしたが、貨物室に載せられていたペットの犬猫は放置されました。燃える旅客機を見て飼い主は泣き叫んでいました。その後、ネット等で起こった、ペットを客席に載せられないのかという議論に対して、ある党の国会議員は、人間と動物は違うのがわからないのか。そんなにペットが大事なら、自分で飛行機をチャーターしろ、と無理かつ無慈悲な意見を述べました。今回の衆議院選挙でその議員がめでたく落選するようにと、私は心から願っています。(名前、ちゃんと憶えています)

    食物連鎖で人間が他の生物に食べられる、というテーマについて、友人に話したことがあります。昔、同じような設定のテレビドラマが英国であったそうです。「全然人気なかったよ」と友人は(警告を込めて)言いました。にもかかわらず、こういう小説を書いてしまいました。

    楽しい話ではないと思います。それでも読んでいただけたこと、感想をお寄せいただいたこと、感謝に堪えません。この返信をここまで読んでいただけたことも含め、本当に、どうもありがとうございました。
    日野原 爽





  • 第28話 潜伏への応援コメント

    日野原 爽さま

    こんにちは。
    うららさんの我儘な行動には最初から最後までイライラとさせられました。でも、彼女はふつうの頑張り屋の女の子なのですよね。こんな、とんでもない運命が降りかかって来なければ、人並み以上の努力でちょっとした幸運を勝ち取って、米国留学も実現させていたのでしょう。そして幸せな人生を送ることができていたのでしょう。
    自らの人生は自らの手で切り開こうという自立した少女であったがゆえに、中学生らしい未熟な思慮で大人の狡猾さの前に墓穴を掘ってしまったというのは、ただただいたましくもあります。

    作者からの返信

    佐藤宇佳子様

    うららちゃんは、一生懸命なんですが、あまりにも思慮が浅い。作者も書いていてそう思いました。ただ、こういう人は、普通にいるように思います。人の言う事を鵜呑みにして自分で深く考えない、うららちゃんのお母さんもそういう人だったみたいです。周囲の大人達もいい影響を与えてはいなかった・・・。もう少し人生経験を積めば、うららちゃんも変わったかもしれません。変わらなかったかもしれないとも思います。同じ中学生と言っても、ナオシ君のような子もいる。人は生まれ持った性格、育ち方で全く違った考え、行動をとる人間になる。それがうまく描けていればいいのですが。
    コメント、ありがとうございました。

  • 第22話 脱出への応援コメント

    日野原 爽さま

    こんにちは。
    いちど特別留学生に選ばれてしまったら、どうしたって、自分のこれまでの人生計画は全うできない。それならば、両親を危険な目にあわさず、きょうだいたちに自分の絶たれた人生の分まで生きてもらいたいと考えるナオシくんの気持ちもわかります。というか、この八方ふさがりの状況に置かれてしまえば、もはやそれしか考えられないような気がします。
    でもそうやって、みなが物分かりよく殺されていっていれば、この制度は決してなくなりはしないのでしょう。誰かが、周囲の人よりも大きな犠牲を払い、大きな痛みを感じなければ、何も変えることはできないということでしょうか。

    作者からの返信

    佐藤宇佳子様

    この小説では、国家と個人の関係について考えました。日本は一応、民主主義国家ですので、国家の重圧感というものはあんまり感じないで済んでいるように思います。感じるのは、2月の確定申告の時ぐらいでしょうか。この政府、大した仕事もしてないくせに、とブツブツ文句言いながらも、まあ、私は税金払ってますが。
    ただ、世界には、もっと重い国家も確かにあります。日本にしても、司馬遼太郎が、明治維新について、「庶民にとって、近代国家というものは重いものだった」という趣旨のことを書いていました。そんなことを考えながら、この小説を書きました。
    コメント、ありがとうございます。
    つたない小説の中身について、こんな風に考えて頂けるのは、本当に光栄です。

  • 第18話 集会への応援コメント

    日野原 爽さま

    こんにちは。

    > 亮が、大介のシャツの裾を引っ張って、すわれ、と合図した。

    上記の大介は弘毅でしょうか? 

    弘毅くんにとってはこの集会はもどかしくて仕方がないでしょう。自分にとっては大事なのは大介くん。でも参集している人たちにとっては制度を打ち壊すことが重要なのであって、悪く言えば特別留学生ひとりひとりを個性ある人間として見ているわけではない雰囲気もあります。かといって、やみくもに動いても大介くんを救えるわけでもなく……

    作者からの返信

    佐藤宇佳子様

    うっかりしました!大介ではなく、弘毅のシャツです。何度も改稿したにもかかわらず、あるいは改稿したためか、間違えました。ご指摘、ありがとうございました。早速、元の原稿とカクヨムの両方を修正しました。

    >ひとりひとりを個性ある人間として見ているわけではない

    その通りなのです。組織になるとどうしてもその傾向が出てきます。ビッグデータとかマーケティングとかビジネスでも、政策とか集票など政治行政面でも「森を見て木を見ない」態度になります。ただ、個々の人間にとっては、森はどうでもよく、一本一本の木が、というより、特別な一本の木が大事なんですよね。私はどうしても組織とか制度より、個々の人間の方に関心が向いてしまうんですが。
    コメント、ありがとうございました。

  • 第12話 組織への応援コメント

    日野原 爽さま

    こんにちは。
    「非合法で、誰にも感謝されず、金にもならず、勲章ももらえない。ただ、自己の良心に恥じないだけ」という沢井さんの言葉ですが、難しいですね。少数の犠牲に目をつぶり大多数の幸福を保証するという行為を糾弾していますが、少数の犠牲を救うだけでは大多数を危険に陥らせることに繋がります。これだって同様に糾弾されるべき行為ですね。根本的に人類を救うには結局ゴルゴン人の脅威とやらを取り除かねばならないのでしょうが、そうすればゴルゴン人を苦しめることになります。人間じゃなければ苦しめてもいいというものではないでしょう。もっと言うなら、ゴルゴン人と協定を結んでいたなら救えていた難病の子供たちを見殺しにすることにもつながるわけで…… 出口が見えませんね。

    作者からの返信

    佐藤宇佳子様

    まさにそうなんです。多数の幸福と少数の犠牲。昔から議論されていて、いまだに出口の見えない問題です。
    佐藤様は、フェルディナンド・シーラッハの『テロ』という法廷劇をお読みになったことがありますか。ドイツで、テロリストに旅客機がハイジャックされた。犯人は、7万人で満杯のサッカー場の爆破を狙っている。旅客機に乗っている乗客は164人。ドイツ政府は手が打てない。旅客機を追尾していた空軍の戦闘機のパイロットは、自己判断で旅客機を撃墜した。殺人罪で起訴されたこのパイロットは有罪か無罪か。
    70000人vs164人。
    本の終わりに、有罪と無罪の両方の判決が用意されています。あなたはどちらを選びますか、と作者が問いかけています。
    もう一つ、人間でなければ苦しめていいというものではない。これも大きなポイントだと思います。
    長い話をお読み頂いてありがとうございます。

    日野原 爽


  • 第11話 帰宅への応援コメント

    日野原 爽さま

    こんにちは。
    ひとつの中学校からひとりかふたり選ばれるって、かなりの数の『留学生』を集めているんですね。
    すでに他の留学生たちはそろっていて、交流可能。彼らが何を考えているのか、気になるところです。

    作者からの返信

    佐藤宇佳子様

    普通は一人で、二人目が選ばれた時は何かの事情があった場合、と想定しています。中学生は、自分達は一人前のつもりでも、まだまだ子供です。それを見越して奉仕局ー国家の制度が作られたと考えています。
    お読みいただいてありがとうございます。子供たちの運命については、これから少し長くなりますが、最後まで見守っていただけたらと思います。
    日野原 爽

  • 第9話 テロへの応援コメント

    日野原 爽さま

    こんにちは。
    そうか、おばあさんにも関連する過去があったのですね。その時の選択にずっと忸怩たる思いを抱いていたからこそ、大介くんを匿うという危険な仕事を手伝ってくれていたと。
    どちらに進んでも、皆が幸せになる結末はありえず、それでも自分の信じる道を選び取らねばならないというのは、苦しいことです。

    作者からの返信

    佐藤様
    コメントありがとうございます。
    その通りで、人間、なかなか日常からは踏み出せないものです。そこを敢えて決断して、危険な行動に出るからには、よほどの覚悟がないと。
    作者は軟弱で、そんな覚悟はないのですが、それを持っている人は尊敬したいと思ってます。
    お読み頂いてありがとうございます。
    日野原 爽

  • 第5話 協定への応援コメント

    日野原 爽さま

    こんにちは。
    サンクスギビングとこうつながって来るとは……。ひとりの犠牲とひとりの救い。これは人間側にとってはかなりシビアな条件ですね。助ける人間と見捨てる人間の選び方がとても気になるところです。

    作者からの返信

    佐藤様
    コメントありがとうございます。
    人間が(他のほとんどの生物もですが)命をつないでいくためには、他者の命を奪わなければならない。
    元々、アニマルライツやヴェジタリアニズムについて考えていた頃に発想した物語です。(大分、昔で若気の至りの青臭さもあるかと思います。ご容赦ください)

    コロナ禍の頃、トリアージについて、様々に議論されました。
    この小説は、コロナ禍の前に完成していましたが、やはり、納得できる解決は難しい。永遠に未解決かもしれない、と思ったのを憶えています。
    小難しい上に無茶な設定の物語ですが、お付き合いいただけるとありがたいです。
    日野原 爽


  • 編集済

    第3話 冬への応援コメント

    日野原 爽さま

    こんにちは。
    弘毅くん、今のところ身の程には合わないとはいえ、将来をきちんと考えようとしているんですね。大介くんとしてはうっとおしいかもしれませんが、こういう友達がいると刺激になるのもまた真実でしょう。
    昴くんが紙巻きたばこを吸う場面、大昔(私も日野原さまに近い年代だと思います)に夢中になった、家出少年四人組が彷徨する漫画を彷彿とさせました。優等生の子が吸ってるというのが、また……。

    追記)そうです、『はみ出しっ子』です。私もグレアムいち推しです(笑)

    作者からの返信

    佐藤様
    コメントありがとうございます。
    4人組の家出少年とは、三原順の「はみ出しっ子」でしょうか? それならば、私も全部読みました。名作でした。印象に残る場面、台詞、まだ忘れていません。4人の少年それぞれに個性があり、行動、思想、口にする言葉それぞれが見事に描きわけられていたと思います。ちなみに私は、陰険な理想主義者、グレアム君のファンでした。(笑)
    この小説は、「はみ出しっ子」から直接インスパイアされたわけではありませんが、三原順のようにそれぞれのキャラクターが描き分けられていたら良いな、と身の程知らずの希望を持っています。
    お読み頂いてありがとうございました。

  • 第2話 祝宴への応援コメント

    日野原 爽さま

    こんにちは。
    この世界は日本でありながら、現実の日本とはちょっと違った世界観という設定なのでしょうか? サンクスギビングが当たり前のように祝われて、学校で中学生が飲酒するのも目くじら立てられることのない世界。ところどころに現実世界とはちがう歪みのある、面白い設定だなと思いながら拝読しています。

    作者からの返信

    佐藤宇佳子様

    コメントありがとうございます。

    はい、日本が舞台ですが、現実とは少しずれているところがあります。サンクスギビングは日本では一般的ではないですが、クリスマスやハロウインの普及を考えるとあってもおかしくはない。小説のテーマに関わってくるのでどうしても必要で、強引に入れてしまいました。

    中学生の飲酒ービール程度は、私の中学時代(大昔!)には、それほど珍しくなかった、もちろん大っぴらにではなく、こっそり、ですが。多分、あの頃の中学生は今よりもっと自由、野放図だったのかもしれません。子供の数が多くて大人の目が行き届かなかったのも一つの理由でしょう。令和と比べて昭和は万事につけてルーズでした。大人からの保護も監督もなく、今なら問題になりそうないじめや差別がごく当たり前にまかり通り、それでも、教師の権威は揺るがず、生徒も保護者も尊重していたように思います。意識して変えたわけではないのですが、自分の中学時代を思い返しながら書いた結果、こうなりました。

    これから、もっと変わった設定が出てきますが、物語の一部として、「まさかね」「噓でしょ」と思いながらでも読んでいただけると嬉しいです。そうならなかったら、説得力を持たせられなかった作者の力不足です。こうやって読んでコメントを頂けると、思ってもいなかった点に気付かされ、本当に勉強になります。
    ありがとうございました。
    これからもよろしくお願い申し上げます。
    日野原 爽