良心的すぎる訪問販売

冷雨傘人

良心的すぎる訪問販売

 おばあさんが家から出たのと、訪問販売の青年がインターホンを押そうとしたのは、ほぼ同時だった。

「あら。私、ちょうど買い物に行こうとしていたんだけど。どちらさま?」

「どうも。わたくしこの度、奥様に良い話があって伺わせて頂いたんですけども」

「そうなの。何かしら」

「ええ。こちらの商品が…」

 と、青年は何かをカバンから取り出そうとしたが、辞めた。

「ところで、奥様はどちらへお買い物に?」

「それが今日は、色々行かなくちゃなのよ。スーパーでしょ? 花屋さんでしょ? そしてペットショップ」

「それは、大変でございますね」

 青年はしばし考えこんだ後、答えた。

「では、お手伝い致しますよ」

「え!? そんな。悪いわ」

「いえいえ。わたくしどもの話を聞いて頂こうとしてるのですから。せめてお手伝いくらいはさせてください」

「そんなこと言われても。私、そんなにお金は持ってないわよ? 買ってあげられるかどうかも分からないし」

「いいんです。こちらの商品よりも奥様が求めてるものがあるのでしたら、まずはそちらの用を済ませてしまいましょう」

 こうして買い物に出かけた二人。

「奥様。わたくしがいるからと、遠慮してませんか」

「してないわよ。一人だもの。買うものも少ないのよ」

「だといいのですが…」

「次はお花屋さんよ」

「花は、どなたかに贈られるのですか?」

「ええ。すごく親しい友達にね」

「そうですか」

「ちょうどいいわ。どの花がいいか、選んでちょうだい」

「わたくしがですか!?」

「ええ。あなたの方がいいセンスをしてそうだもの。彼もきっと喜ぶわ」

「と言われましても…」

 青年は困りながら、一つ花を選んで渡した。

「あら。面白いのを選んだわね」

「そうでしょうか…。すいません! 別のを」

「いいえ。この花がいいわ。クロバナタシロイモっていう花ね。漢字で、黒花田代芋とも書くのよ。私もこの花、すごくいいと思うわ」

「…お気遣いいただきありがとうございます」

「気遣ってなどいないわ。あなた、本当に訪問販売の方? なんだか、どこかで会ったみたいな…」

「ああ! 奥様! ペットショップでしたっけ。私も業務時間が限られてますから、早く行きましょう」

「あら、そうよね。ごめんなさい」

 二人は道を急ぐ。

「ところであなた、どうして私の後ろを歩くのかしら」

「え!? ああ。申し訳ありません。癖でして」

「癖? やっぱりあなた、おかしいわ。よくこちらに来て、顔を見せなさい」

「…」

「早く」

 青年が横に立つと、おばあさんはじっと見た。

 そしてその顔に手を伸ばし――

「ダメです! 触るのは、その。申し訳ありません!」

 おばあさんも慌てて謝る。

「ああ! ごめんなさいね。なんかあなたには、初めて会ったような気がしなくて」

「いいんです。ただ、わたくしも立場がありますので」

「そうよね。私ったら、おかしいわ。おかしいのはあなたじゃなく、私ね」

 おばあさんが微笑むと、青年も柔らかく笑った。

「じゃあ急いでペットショップに行きましょうかね!」

 おばあさんがそう振り向いた矢先だった。

 何か不思議な引力に引かれるかのように、おばあさんの上体が倒れていく。

「…え?」

 倒れるおばあさん。

 道路に飛び出す。

 そこに、急に曲がる赤い車。

 「奥様!!」

 青年が飛び込んだ。

 おかげでおばあさんは轢かれずに済む。

「おい! 気をつけろ!」

 赤い車の運転手は、こちらに罵声を放って消えていった。

 あまりにも急な出来事に思考停止していたおばあさんは、そういえばと青年の方を振り返った。

 あの青年に引っ張ってもらったのは分かってる。

「ごめんなさい! あなたは!? あなたは大丈夫!!」

「ええ。大丈夫です、奥様。安心してください」

 青年は手を差し伸べ、おばあさんはその手を取って起き上がる。

「よかったわ! 急なことだったから。私ったら、あなたがいないとどうなっていたか」

「いえ、いいんですよ。奥様がご無事で、本当に良かった」

 突然、買い物袋が落ちる音がした。

 青年の背負っていた荷物が、身体を透けて落ちたのだ。

「…え? あなたは…」

 次第に薄く透けていく、青年の身体。

「申し訳ありません。奥様。わたくしはもう、行かなくてはならないみたいです」

「そんな。どういうこと? 訪問販売なんでしょ?」

「奥様。一つだけ、わたくしのお願いを聞いてくれないでしょうか」

「お願い? ええ。私に出来ることなら」

「ありがとうございます。では」

 青年はかがんだ。そしておばあさんの胸に、頭をうずめる。

「最後に、撫でてください」

「…そういうことだったのね」

「隠していて、申し訳ありません。上手くできなくて、ごめんなさい」

「いいのよ。いいの。会いに来てくれただけでも、嬉しかったわ」

 優しい手つきで頭を撫でた。

 手に、青年の、硬い毛質の黒髪が当たる。

 ああ、懐かしいわ。

 なんて懐かしくて幸せな感覚なのかしら。

 やがて手の感触は消え、実体がなくなった。

 おばあさんの目には、青年の姿は映らない。代わりに映るのは、彼との思い出だ。

誰もいない、無人の道。

 だけど一つ、声がした。

「お元気で!」

 風が吹き、おばあさんは笑顔で頷いた。

 青年がいた場所に、ぽつんと置かれたおもちゃ。

 それは竿の先に毛玉がついた、猫用のおもちゃだった。

「ふふっ。あなたはこれが好きだったわね」

 それを拾って、彼女はペットショップへ行く。

「今日はあなたの三回忌だったのよ」

 仏壇に、猫の缶詰と花と、青年が持っていたおもちゃを置いた。

 写真を見ながら、青年が考えていたことを、ふと予測する。

「バカね。私はあなたと違って、おもちゃで一日中遊んだりしないわよ」

 黒花田代芋。花は黒く、細い髭がたくさん生えていることから、別名こう呼ばれている。

 ブラックキャット。

 こんな猫の恩返しも、あるかもしれない。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

良心的すぎる訪問販売 冷雨傘人 @HiyaameKasato

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ