第18話 模範的な怪物
午前七時半。朝食。
配膳口から、プラスチックの弁当箱と、ぬるいお茶が入った容器が差し入れられる。
いわゆる『
冷め切った白飯。
具のない薄い味噌汁。
申し訳程度の沢庵と、衣ばかり分厚いコロッケ半分。
生命維持に必要なカロリー計算だけはされているが、味覚という概念が欠落している。
「私には関係ないが、非効率な給餌システムだな」
私は割り箸を割りながら呟いた。
ちなみに、この割り箸も食後に袋に戻して回収される。凶器や自殺の道具に使わせないためらしい。
素手を超える武器などないのに、意味のない回収に
「文句言うな。シャバじゃ食えない貴重なメシだぞ」
ヤクザが、不味そうな飯をかきこんだ。
「度胸はあるみてぇだが、何やって入ってきた? 見たところ、極道の人間じゃねえし、シャブ中でもなさそうだが。動物園のテロリストって、どういう意味だ」
「生命を、あるべき場所へ解放しただけだ」
二人が箸を止めた。
詐欺師が卑しく笑う。
「ラジオでも大々的に取り上げられてましたよ。動物園の電子ロックを解除し、園内が大パニックになってるって」
「……てめぇ、どうやった? 一人で、やれる芸当じゃねぇだろ」
「手を
詐欺師が、腹を抱えて笑った。
「君、相当に変わってるね。サイコパス全開だ」
「……サイコパス?」
私は箸を止め、その単語を
世間一般では、反社会性人格障害を指す差別的なレッテルとして使われる言葉だ。
「お前のサイコパスとは、具体的にどういう定義だ? 共感性の欠如か? 良心の不在か?」
「まあ、そんなところだよ。普通はさ、こんな所に放り込まれたらビビるし、将来を悲観してメソメソするもんだろ。君にはそれがない」
「なるほど」
私はコロッケを口に放り込み、咀嚼した。
安っぽい油の味が広がる。
「お前らは勘違いをしている。サイコパスとは精神の欠陥ではない。進化だ」
「はぁ?」
詐欺師の開いた口が塞がらない。
「共感性や良心といった感情回路は、決断速度を遅らせるだけのノイズに過ぎない。可哀想だ、怖い、申し訳ない……そんな不必要な処理に脳のリソースを割いているから、お前らの思考は鈍重なのだ」
私は割り箸で、二人を指した。
「企業のCEO、外科医、弁護士、政治家。社会の頂点に立つ人間は、多かれ少なかれサイコパスの資質を持っている。彼らは他人の痛みよりも、全体の利益と目的達成を優先できるからだ」
二人が呆気に取られたように放心した。
「つまり、私は欠陥品ではない。不要な機能を削ぎ落とし、目的に対して最適化された次世代機そのものだ。恐れる必要はないが、敬意は払え」
「……ハッ」
ヤクザが、吹き出した。
「面白ぇ。自分のイカレ具合を進化だと言い切った奴は初めてだ。気に入ったぜ、兄弟」
「ボクもだよ。なるほど、君みたいなのが、これからの時代を生き残るのかもね」
空気が変わった。
コイツらは、私を訳の分からない異物から、『一目置くべき同居人』へと認識を改めたようだ。
頃合いだ。
私は残りの白飯を飲み込み、本来の目的――
「……さて。腹も満ちたところで、授業を頼みたい」
私は詐欺師を見た。
「お前は、結婚詐欺で捕まったんだな」
「そうだよ。被害者は五人。総額一億円ちょいかな」
「どうやって、赤の他人からそれだけの信頼と金を吸い上げた? もはや才能の域だ」
「君、まさか弟子入り志願なの?」
詐欺師が得意げに鼻を鳴らす。
犯罪者は、自分の手口を語りたがる。肥大化した承認欲求を満たせるからだ。
「簡単だよ。人間ってのはね、信じたいものしか見ないから。だから、僕は嘘をつかない。相手が勝手に思い描いた理想像に、ただ、イエスと言って合わせるだけ」
「イエスと言うだけ? それでは論理が破綻する」
「破綻してもいいんだって。相手は、自分が騙されていると思いたくないから、勝手に脳内で辻褄を合わせる。これを心理学で認知的不協和の解消、あるいは確証バイアスって言うんだけどね」
――なるほど。
「……面白い理論だ。実に有益な講義だった」
私は箸を置き、詐欺師の男を真っ直ぐに見据えた。
「では、礼代わりに実験をしよう」
「実験? 何のだよ」
私は、詐欺師の顔の微細な筋肉の動き、視線の揺らぎを観察した。
「お前は先ほどから、自分は余裕のある犯罪者であり、新入りに知恵を授ける先輩であるというポジションを取ろうとしている。そうだな?」
「まあ、事実はそうだからね。君は面白いから、特別に教えてやってるんだ」
詐欺師が口元を歪めて笑う。
だが、その余裕は作られたものだ。
「それが、お前の脳が作り出した信じたい現実だ。だが、私の目には別のデータが映っている」
「……なんだって?」
「お前は、三・五秒に一回のペースで、無意識に鉄格子の向こう――面会室への通路をチラ見している。そして、食事の手が微妙に震えている。空腹なのに、白飯を三分の一も残している」
詐欺師の余裕の表情が凍り付いた。
図星か。
「お前は誰かを待っている。弁護士ではない。女だな?」
「な、何を……」
「結婚詐欺師が捕まるパターンは、大きく分けて二つ。被害者の通報か、あるいは共犯者の裏切りだ。お前は、嘘をつかないと言った。つまり、ターゲットに対して本気で惚れさせる、あるいはお前自身も本気になった相手がいたはずだ」
私は、冷徹に畳み掛ける。
「お前は今、こう考えている。彼女が裏切るはずがない、何かの間違いで捕まっただけだ、すぐに助けに来てくれるはずだ、とな」
詐欺師の顔色が、土気色に変わっていく。
呼吸が浅くなった。
「適当にカマをかけんなって」
「だが、現実はどうだ? 逮捕から数日経っても、誰も面会に来ない。お前は薄々感づいているはずだ。自分が信じていた愛こそが、お前をここに送り込んだ最大の騙しだったという事実に」
「やめろ!」
詐欺師の口調が変わった。
「だが、認めたくない。認めてしまえば、お前のアイデンティティである『人の心を操る天才』という自負が崩壊するからだ。だからお前は、余裕のある先輩を演じることで、不安というノイズを必死にかき消そうとしている」
私は、白米を目線までゆっくりと持ち上げた。
「これこそが、お前の言う認知的不協和の解消だ。違うか?」
詐欺師が立ち上がり、弁当箱をひっくり返した。
顔を真っ赤にし、涙目で私を睨みつけている。
「君に何が分かる! あの子は違う! あの子だけは……」
看守の足音がした。
「騒ぐな! 静かに食べろ!」
看守の怒号が飛ぶ。
詐欺師は肩で息をしながら、力なくその場に崩れ落ちた。
両手で顔を覆い、すすり泣き始める。
――実証完了(Q.E.D.)。
私は散らばった沢庵を拾い上げながら、隣のヤクザに話しかけた。
「見たか?」
「……あぁ。やりやがったな」
ヤクザの男が、信じられないものを見る目で私を見ていた。
その目には、先ほど以上の畏怖が宿っている。
「人間は、図星を突かれると激昂する。今の詐欺師の反応こそが、私の仮説が正しかったという何よりの証明だ」
私は、ひっくり返った詐欺師の背中を見下ろした。
「進化して、感情を持たないサイコパス相手に、心理戦を挑んだのが間違いだ。授業料は、これで免除にしてもらおう」
私は、詐欺師が残したコロッケを箸でつまみ、自分の口へと運んだ。
冷え切っていたが、感慨深い味がした。
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