第5話 共喰い
湿った土を掘り返す音が、深夜の山林に吸い込まれていく。
スコップを握る私の手は、機械のように正確なリズムを刻んでいた。
一方、神山の作業効率は、著しく悪い。
「ったく……なんで俺は、柳田をやっちまったんだ。クソッ! 気持ちわりぃ」
神山は先ほどから、数回、土を掘っては手を止め、胃の中身を吐き出していた。
陥没した柳田の頭部を先に埋めたいというから、神山が持参した牛刀で切断してやった。
柳田の頚椎の隙間に刃を、ねじ込んだ時の感触が、まだ手に残っている。
ゴリ、という硬い音。
筋肉繊維が刃に絡みつき、脂が私の指を濡らした。
構造は単純だった。スーパーで売られている鶏肉や豚肉と何ら変わらない。
ただ、サイズが少し大きいだけだ。
それなのに神山は、解体作業を見て気を失った。
理解できない。失神するくらいなら、依頼しなければいいだけのこと。
どうせ全て埋めるのだ。部分的に埋めても、作業が長引くだけとは思わないのか。
嘔吐物の酸っぱい臭いが、森の腐葉土の香りに混じっている。
「……頼む、さっさと埋めてくれ」
神山が震える声で私に願った。
まだ、切断した下半身がブルーシートに包まれ、足元に転がっている。
もはや、同僚ではない。処理すべき産業廃棄物だ。
私は、深さ一メートルほどの穴を見下ろした。
十分だ。
野生動物に掘り起こされない最低限の深度。
「残りを埋めるぞ。脚を持て」
「触りたくねぇよ」
私たちは無言でシートを持ち上げ、穴へと落とした。
鈍い音が、終わりの合図だった。
土を被せる。柳田の輪郭が、闇と泥に塗りつぶされていく。
有機物が土に還り、微生物に分解され、植物の養分となる。
美しい循環だ。
柳田のような非効率な個体も、肥料としてなら、この星の役に立つ。
◇
帰りのワゴン車内は、葬式のような静寂に包まれていた。
神山がハンドルを握りしめ、視線を泳がせている。殺人という過度なストレスが、彼の中枢神経を蝕んでいるらしい。
「……腹減ったな、おい」
唐突に、神山が呟いた。
私は耳を疑った。
直前まで吐いていた生物が、もうエネルギー補給を求めているのか?
「吐いたくせに、食べるのか?」
「吐いたから、食うんだろ。相変わらず、意味不明な奴だ。何か食わねえと、頭がおかしくなりそうなんだよ。星野、付き合え。何が食いたい?」
拒否権はないらしい。
これは、共犯関係を強固にするための儀式だ。
同じ釜の飯を食うことで、罪の意識を希釈しようという、人間特有の防衛本能。
「好きにしろ。私は胃袋の唸りが止まれば、それで構わない」
連れて行かれたのは、あろうことか街道沿いの焼肉屋だった。
肉の塊である人間が、肉を喰らう。
深夜だというのに、店内は『共喰い』を楽しむ人間で溢れていた。
奥の席では、幼い子供が口の周りを脂でテカらせながら、肉を頬張っていた。
「美味しいね、パパ」
無邪気な笑顔。その歯の間には、焦げた死肉が挟まっている。
「当たり前だろう。特上なんだ」
父親らしき雄は、満足げに子供の頭を撫でている。
狂っている。
ここは洗練された処刑場であり、奴らはそれを娯楽として消費する狂人だ。
なぜ、悲鳴を上げない? なぜ、その皿の上のモノが、死の象徴だと気づかない?
席に着く。
テーブルの中央には、鉄の格子と、赤々と燃える炭火。
デジャヴだ。
つい先日、ガラス越しに見た『地獄の光景』が、今は目の前にある。
「カルビ、ハラミ、ロース。あとビール、特大を二つで。星野も飲むだろ?」
神山が早口で注文する。
「運転はどうするつもりだ?」
「てめぇ、人を埋めておいて、んなこと気にすんのかよ」
法というルールも、個体によっては絶対ではないらしい。国家が定めた規則に従わない。下等な生物が混じる現象は、この星でも仕方ないのか。
店員が無表情で肉を運んでくる。悲痛も弔いの心もない。
「これを本当に食うのか」
「お前、焼肉はじめてか? 冗談よせよ」
私は皿を見下ろした。
薄くスライスされた筋肉繊維。白い脂肪のサシ。その赤色は、先ほど柳田が床に撒き散らした体液の色と、酷似していた。
神山が肉を網に乗せる。
脂が炭に落ち、炎が上がる。
焦げる臭い。
死だ。細胞が熱で破壊される、断末魔の叫び。
それなのに、ゴクリと私の喉が大きく鳴った。
不快だ。
「食えよ、星野。俺の奢りだ」
脳が『これは死体だ』と認識している。
だが、肉体は違う。
鼻腔をくすぐるメイラード反応の香りに、脳内麻薬が猛烈に分泌される。
神山が、頼んでもいないのに焼けた肉を私の皿に放り込んだ。
茶色く焦げ、脂が滴る肉片。
私は箸で、それを摘み上げた。
重い。
たかが数グラムのタンパク質が、鉛のように重く感じる。
これを口にすれば、私は私に戻れなくなる気がした。
観察者から、捕食者へ。
高潔な精神体から、野蛮な獣へ。
だが、胸ポケットの内側の盗んだ金が、大胸筋を通して熱を伝えてくる。
私はもう、手を汚している。
ならば、口を汚すことになんの躊躇いがある?
私は、口を開けた。
肉を放り込む。
咀嚼する。
電流が走った。
歯が繊維を断ち切った瞬間、舌の
信号は延髄を通り、視床を経由し、
美味い。
絶望的なまでに、美味い。
死体処理で疲れ切った筋肉に、糖質と脂質が染み渡っていく。
私は無我夢中で顎を動かした。
タレの塩分。焦げの苦味。肉の弾力。
すべてが快楽となって、私の理性を犯す。
「おい……何泣いてんだよ、お前」
私は我に返って、頬を拭った。
――濡れている。
「……バカな。あり得ない」
涙腺の故障か?
いや、違う。これは、刺激性の煙に対する防御反応だ。あるいは、過剰なカロリー摂取による血糖値の急上昇が、自律神経を乱したのか。
神山が、ビールを煽りながら笑っている。その目はまだ怯えていたが、共犯者が肉を貪る姿に、安堵の色を浮かべていた。
認めない。
私が、死肉の火葬に感動しているなどと。私が、この下等な肉の塊ごときに、魂を震わされているなどと。
肉を吐き出したいのに、脳が飲み込めと命じてくる。
喉を通る熱い塊。それが胃袋に落ちた瞬間、私も堕ちた。
箸が止まらない。
視界が滲んで、網の上の肉が揺れる。
「……もっと、肉を」
私の口から出たのは、紛れもない、獣の要求だった。
目の前の網の上で焼かれているのが、牛なのか、豚なのか、それとも柳田なのか。
もはや、どうでもよかった。
私はただ、この星の『味』に、完全に敗北したのだ。
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