第2話 死肉の火葬

 ――眠れない。


 安息は、暴力的な内臓の収縮によって、簡単に破られた。


 腹の底に、獰猛な野獣を飼っていると思えるほど、不可解で不気味な音が鳴り響く。


 実に不快だ。

 これが空腹か。


 この肉体は、常に外部からエネルギーを摂取し続けなければ、機能を維持できない欠陥品だ。


 燃費の悪いシステム。

 胃のを掻きむしりたくなる衝動を抑えながら、立ち上がった。


 色落ちしたデニムと、パーカーを手に取った。デニムの所々に穴が空いているのは、相当に貧困だからだろうか。


 服を着る。


 皮膚の上に布を巻く行為は、拘束衣を着せられているようで気が進まない。だが、全裸という様相は、この星では好まれないらしい。


 それどころか、治安維持機構に捕獲されるリスクまである。


 スマートフォンを尻ポケットにねじ込んだ。


 部屋を出ようと思ったが、また鍵が掛かっていた。


 オートロックだ。セキュリティが脆弱なくせに、やたらと鍵を掛けたがる生物に嫌気が刺す。


 エレベーターで地上まで降りた。


 フロントを出ようとするが、自動ドアが開かない。辺りを探すも、今度は電子ロックが存在しなかった。


 パネルに触れると、精算機が声を掛けてきた。数字を弾き出し、安息の対価を求められる。


 どうすべきか思案していると、デニムの尻ポケットに硬い感触があった。取り出す。二つ折りの財布が入っていた。


 中には、顔が印刷された紙切れと、金属の円盤が数枚。


 ――これが、貨幣か。


 経済活動を回すための、信用交換チケット。


 肖像画が描かれた紙を見つめる。この紙片が、この星では生命維持に必要な水や食料と等価交換されるという。


 滑稽な信仰に、思わず失笑した。


 紙を抜き取り、手を伸ばす。機械がそれを飲み込み、数枚の硬貨を吐き出した。


 取引成立。


 私は自動ドアをくぐり、夜の街へと出た――。


          ◇


 漆黒の街は、死臭と排気ガスの臭いで満ちていた。


 まだ腹は鳴り続けている。エネルギー源を探さねばならない。


 視界に、煌々こうこうと白く光る看板が入った。


『太陽mart・24時間営業』


 食料の集積所だ。自動ドアが開くのと同時に、冷気に包まれた。


 整然と並ぶ陳列棚。


 野菜、果物、加工食品。記憶の中の品々と、目の前の有機物を照合していく。


 腹の唸りを止めるだけなら安価で量が多い食材を選ぶが、人間の身体は栄養素を考えないと蝕まれる。


 食物の選択で己の身を滅ぼす、悪趣味なゲームのようだ。


 ふと、『精肉コーナー』の前で足が止まった。


「何だ……これは」


 初めて自ら声を発した。そこは、まるで死体の安置所だった。


 白く軽い合成樹脂の皿のトレーに、薄くスライスされた赤い肉片が並べられている。


 ――牛、豚、鶏。


 かつて命を持っていた生物の筋肉繊維が切り刻まれ、血抜きされ、ラップで密閉されている。


『半額』という黄色いシールが貼られた肉塊。


 人間という肉の塊が、肉の値踏みをする。生命の価値が、時間経過と共に暴落する。


 私は吐気を催した。


 他種の死骸を、ここまで無機質な商品として管理できるらしい。


 おぞましき存在。それが人間。文献で目にするのと、実際に目の当たりにするのと、これほどまでに違うとは。


 殺された人間が、輪切りにされて並べられる。想像すれば、自ずと手は止まるはず。


 パックの一つを手に取った。


 肉から滲み出る体液が、照明を浴びて毒々しく光っている。


 眩暈めまいがして、投げ捨てた。


 私は逃げるようにその場を離れ、エネルギー効率の高そうなシリアルと水だけを確保して、店を後にした。


          ◇


 公園の片隅で、固形物を口に詰め込む。


 パサパサとした粉末の塊。味気ないが、内臓の咆哮は収まった。


 とりあえず、延命措置は完了した。夜明けは、まだ遠い。

 

 どこかから、風に乗って、強烈な焦げ臭さが漂ってきた。


 火事だろうか。


 いや、違う。甘ったるい脂の焼ける臭いと、焦げた醤油のような刺激臭。


 五感に関するデータを徹底的にインプットしてきた甲斐があった。


 臭いの元へと歩く。


 ガラス張りの店に『本格炭火焼肉・炎獄えんごく』の看板。


 窓ガラス越しに、中の光景が見えた。


 ――絶句した。


 店内は、まさに地獄だ。


 各テーブルの中央に、脂ぎった鉄の格子が嵌め込まれ、その下で炭火が赤々と燃えていた。


 人間が笑顔で鉄箸を持ち、死肉の薄切りを、直火に投じている。


 肉の脂が炭に落ち、炎が上がる。


 細胞膜が熱で破壊され、タンパク質が変性し、炭化していく。死を弔うように、煙が立ち昇る。


 まるで火葬だ。


 遺体を焼く煙を、卓上まで伸びる換気扇で吸い込みながら、楽しげに会話をしている。


 窓際の席で、男が焼けた肉を口に放り込んだ。


 咀嚼する。死肉から溢れ出る脂質と、焦げた発癌性物質を、人間は旨味と呼んで嚥下えんげする。


 野蛮だ。

 あまりにも野蛮すぎる。


 生命を殺し、解体し、あまつさえ火で炙って食らう。その破壊行為を娯楽としている。


 窓際の男と目が合った。


 肉を焼いていた手を止めて、中に来いと手招きされた。


 私は軽蔑の眼差しを向けた。


 だが、意思に反して、ゴクリと喉が鳴った。


 肉体が、鼻腔をくすぐる焦げた脂の臭いに反応し、口腔内に大量の唾液を分泌させる。


 やめろ。


 あんなものは死体の炭化だ。単なる汚物。だが、脳裏に浮かぶのは『食べてみたい』という強烈な渇望。


 胃が再び、キュルキュルとうめく。さっき摂取した固形食では満足できないと、肉体が暴動している。


「今、行く」


 思ってもみない言葉を発する自分に、私は戦慄した。


 ガラスに映る私の顔は、口元だけがだらしなく緩んでいた。


 私は自分の顔面を殴った。


 男が慌ててジョッキの中の黄金の液体をこぼした。


 今度は自分の腹を殴った。


 鳴き止まない腹のうめきに、何度も腹部を強打する。


 緩んだ表情を嫌悪して、鼻の軟骨がゆがみ、出血が止まらなくなるまで殴った。


 店から人々が出てきた。


 奴らは、鼻血を流して腹を殴り続ける私を、まるで化け物を見るような目で見ている。


 ――違う。やめろ。


 化け物は、死肉を喰らっているお前たちの方だ。

 

 私は血の味で空腹を誤魔化しながら、よろめく足で闇夜へと消えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る