切り取られた家ー勇者レオンハルトは戦いたくない

本間 腕

プロローグ

プロローグ 切られゆく部屋

 部屋が切り取られた。


 そう書くと、巨大な重機か兵器で、大音量とともに部屋が切断される様子を想像する人が多いかもしれない。

 しかし、音などしなかった。

 火花や光が飛び散ることもなかった。

 ただ、静かに、唐突とうとつに部屋が切り取られたのである。


 多分、ニュクスが足元で鳴かなければ、気づきすらしなかっただろう。

 ただ、珍しいことだと思って、読みかけの本から目を離し、黒猫ニュクスのほうに目をやっただけだ。


 すると、黒い糸らしいものが床に落ちているのが見えた。

 それは、庭側の書架と、隣室との入口との間の床を真っ直ぐに、部屋の形状を無視して斜めに横切っている直線だった。

 このため、部屋の5分の1ほどが糸の向こうにあることになるが、途中で隣室とのふすまさえぎられているため、上から見るといびつな五角形になるはずである。


 こんなところになぜと思う間もなかった。

 次の瞬間、その黒い線は天井に延びて壁になったからである。


 その黒い壁は、天井に達しており、その向こうにあるはずの隣室は見えなかった。

 そこにあるはずのベッドも箪笥たんすも見えなかった。

 ただ、真っ黒な闇だけである。


 それは、実に虚無的な闇で、昔、高校の地学の授業で聞いた話を思い出させた。


 別当という老齢に近い担当教師は、時折、興味深いことを言われる人であった。

 中でも印象に残っているのは、闇を作る話であった。


 その方法は、磨き上げたい針を大量にたばね、その尖った先を正面から見るというものであった。

 光は針に反射するが、針先はとがっており、つまり、傾斜しているので、その角度の影響を受ける。

 束ねられているので、反射した光は隣の針に向かうしかないが、そこも傾斜しているので、入射角を小さくしながら、奥に入っていくしかない。

 そして、針束の奥に向かった光は針と針の間の狭い空間に閉じ込められ、戻ってくることがない。

 このため、光が反射しない。


 すなわち、闇が生まれるのだそうだ。


 後年、あの話は本当だったのかと思って、通信販売で25本入りの針を買った。

 すると、針本体が銀色に光っているのに、針先の方向から見た束ねた円形の小指の先ほどの部分だけが、本当に黒かった。


 いや、闇であった。


 しかし、その25本の針が作り出す小さな闇は恐ろしかった。

 人工的に作られた空間の中に、光が次々と吸い込まれていく姿を想像してしまったからである。

 いわば、ものすごく小さなブラック・ホールを作ってしまったような恐怖を感じたのである。

 と同時に、奇妙な親近感も覚えたのである。


 この目の前の黒い壁は、そういう種類の闇に似ていた。


 ここまで考えてきて、自分がパニックに陥っていることに気がついた。

 これが現実かどうか知らないが、普通に考えたなら生命の危機であり、一刻の猶予ゆうよもないはずである。

 もし、1メートル手前に壁が出現していたら、自分は身体を両断されて生きていなかったからである。

 そして、断りもなく、こういう壁が出現することはない。

 にもかかわらず、次は自分の真下に壁が出現するかもしれないのだ。

 そして、これが現実であれば、両断された自分が生きておられるとは思えない。

 もっとも、死んでも特には困らないのだがと思いながら振り返ったが、猫はそこにはいなかった。

 ただ、入口のドアの下部にある、専用の戸口が前後に揺れている。

 まだ揺れているところをみると、物思いにふけっていた時間は思ったよりも短いのかもしれないが、すでにニュクスはこの部屋を脱出したのだろう。


 手に持っていた本を畳んで机に置く。

 ドアを解錠する。

 廊下に出る。

 右手の窓から伸びる太陽の光が白くまぶしい。

 世界が白っぽく見えるぐらいである。

 昼の光って、こんなに明るかったのだろうか。


 ドアを閉じ、辺りを見回す。

 廊下の左手は、部屋と同じ角度で切断されていた。

 やはり、その向こうにあるはずの景色はなく、濃厚な闇が支配している。

 部屋だけでなく、この家は、巨大なギヨチン*か、レーザー・ビームに一瞬のうちに切り取られて、残りは消滅したらしい。

 ただし、それ以外は特に変わった点はなかった。

 切断する音さえ聞こえなかったのだから、よほど切れ味のよいものが相手だったのだろう。


 ニュクスが見当たらなかったので、仕方なく階段を下りた。

 階段は無事だったが、1階の廊下も、2階と同じ位置と角度で切り取られている。

 そして、その向こうは、やはり闇である。

 その先がどうなっているのかは分からない。


 それを確かめようと一歩踏み出した時、ニュクスのうなり声がした。

 振り向くと、猫は玄関の三和土たたきにいた。

 体中の毛を逆立てて、玄関の扉をにらみつけている。

 この猫がそんな声を出すなどとは知らなかったので、かなり驚いた。


 その時、体が浮いた。

 エレヴェーターが動き出した時に感じる、あの浮遊感の巨大版である。

 経験したことはないが、一瞬、無重力状態におちいったような気がした。

 猫も、唸るのをやめて、不思議そうにこちらを見ている。


 玄関の手前にある台所の引き戸を開けると、中は白い光があふれていた。

 庭に面したき出し窓から外をうかがう。

 その中に、黒いマントらしいものをまとった長身の男が、こちらに背を向けて立っている。

 どうやら、その白い光は巨大な炎だったようで、急速に近づいてくる。

 明らかに、その人物に向かっている。

 つまり、こちら側に向かってである。


 赤い炎は1500度、黄色は3500度、白は6500度、青は1万度と言われる。

 これは色温度と呼ばれるもので、物質そのものの温度であり、星の表面温度を知るのに使う。

 もっとも、燃える成分によっても色は異なり、メタン・ガスなどは青色になるが、それを主成分とする都市ガスで出せる温度は2000度もいかない。

 しかし、この白い炎が、燃えているそのものの色だったとすれば、その温度は数千度はあるはずだ。

 耐熱特性が一番高いとされるタングステンの融点が3407度、5555度で昇華しょうかするのだから、溶けないものなどないだろうという温度である。

 しかし、熱は感じない。

 そして、炎は命中しなかった。

 男の直前で消滅したのだ。


 少し間をおいて、世界が吹き飛んだ。

 台所の左手の窓が今まで以上に白く輝いたと思ったら、壁ごと吹き飛んだのだ。

 体が空中に浮き、急速に加速していく。

 このまま何かにぶつかったらと思って、首を前方に向けようとしたが、動かなかった。

 ただ、視界の端に何か黒いかたまりが見えた。

 ニュクスだろうかと思って、そちらに手を伸ばそうとしたが、やはりできなかった。


 周囲は、やはり、闇である。


 そのうちに、その塊もどこかへ消えてしまった。



                   ☆


 ギヨチン*guillotineは日本でギロチンと言われるもののことであるが、これは英語読みである。もともと、フランスのジョゼフ・ギヨタンJoseph-Ignace Guillotinという医師の名前を取ったものだから、フランス語読みのギヨチンが正しいはずだが、実は、彼は発明者ではない。

 なお、レヴェル、エレヴェーター、ディスプレイ等、一般と異なる表記があるが、これは、この作中人物のこだわりである。筆者は、そこまで堅苦しい人物ではない…と思う。


                   ☆


 この話はプロローグとして書いたものです。話が動き出すのはその先です。

 お急ぎでしたら、 https://ncode.syosetu.com/n2087jh/ に改定前の版がありますので、そちらをご覧ください。

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