白星さんは気付いてない

九十九井

白星さんは雪中花に気付いてない いち



「っう、寒い」


 鼻先がしびれるような寒さ。俺はコートの襟に顔を埋めるようにしながら、商店街の通りを歩いていた。

 冬だからか、日が落ちるのが早く、辺りはすっかり暮色ぼしょくに染まっている。それでも、商店街近くの公園ではきゃらきゃらと子供の声が響いていた。


『続いてのニュースです。昨夜未明、イギリスで原因不明の地震が起き──』

『ザザッサザッ──ぉ駅周辺で車数台を巻き込む大きな事故が』

『一家惨殺事件の容疑者は「やれと言われた。やれば救われると言われた。俺は死にたくなかった」と容疑を認めているそうです』


 電気屋の横を通ると、いつも通り、世界中で起きている事を伝えるニュースキャスターの声が聞こえた。

 ぱっと見た時計は、閉店時間まであと少しのところを指している。今日は店が早く閉まる日。急がなければあの人に会えなくなる。

 冬場は時間の感覚が鈍るから少し苦手だ。


「聞きました? あの、ほら受験生の子の話」

「急に頭が良くなったっていう?」

「そうそう。あの子、行方不明なんですって」

「まあ、そうなの?! 親御さんも大変ね」

「ほんとよね、今年で何人目かしら」


 買い物帰りのおばさま達は忙しなく口を動かしている。今日も物騒な事件があったのか、なんて考えながら、その間を足早にすいすいと進んだ。


「ねぇねぇ、ないしょだよ。あのやおやのおじさん、人間じゃないんだってぇ」

「え〜! うっそだぁ。だってあんなにオレたちと似てるんだぜ」


 母親の買い物を待っていたのだろう子供達が、八百屋の前で話し合っている。平穏な日々を象徴するような、微笑ましい光景。


「ウソじゃないよ。おれ見ちゃったんだ! あのおじさんがさ、」

「ヒロト〜! 帰るわよ〜!」

「あ、帰らなきゃ。じゃあな」


 丁度八百屋から出てきた母親らしき女性を避け、目的地へとひたすらに歩く。

 夕日に照らさせた電柱の影が不自然に伸びた気がした。


「あの子、ヒロトの友達?」

「ちがうよ? 遊んでたらきたの」

「そうなの」

「うん。お空からこんにちはって。すごいまほうみたいなんだ」


 後ろから聞こえた声に、俺はため息を吐いた。

 帰路を急ぐお母様方を避け、商店街の外れへと急ぐ。肉屋を通り越す頃には人もまばらになっていた。


 そこからまた暫く行くと人通りは完全になくなる。それと同時に柔らかなオレンジの明かりが見えてきた。どうやら間に合ったらしい。


 商店街の外れにある小さな花屋。店の前に置かれた黒板には、“白星生花店”という店名とともに、おすすめの花が書かれていた。

 湿り気を帯びた土の匂いが鼻をついた。ここ最近で嗅ぎ慣れた匂いだ。

 大きいはずの窓は沢山の植物達に塞がれていて本来の役割を果たせていない。そろそろ配置を変えればいいのに。


 木製の扉を開くと、外とは打って変わって花の香りが鼻腔びこうをくすぐった。カウンターでは一人の店員が作業をしている。どうやらこちらには気付いていないみたいだ。

 

「こんにちは白星さん……いや、こんばんはですかね。こんな時間ですし」


 そう声をかけると、店員──白星さんは顔を上げた。


「いらっしゃいませ、お客様。そうですね、この時間ならこんばんはでしょうか」


 にこやかに出迎えてくれた白星さん。

 この店はいつ来ても、どんな時間でも四季折々の花と店主の白星さんが迎えてくれる。だから俺は、この店が好きだった。とは言え、理由はそれだけじゃないのだが。


「今日の花束もおすすめのものですか?」

「はい。あ、おすすめの花はダッフィなんとかってでしたっけ」

「ダッフィなんとか、ふふっ。ダッフォディルですよ。日本語名では水仙です」


 毎日のように来る俺の為に置かれた椅子に座った。

 白星さんはカウンターから出て花の方へ向かう。ダークウッドで出来た床がキィと軋んだ。


「ああ、水仙なら知ってます。白い花……でしたよね」

「そうです。水仙は白い花弁と真ん中が黄色という見た目から金盞銀台きんせんぎんだいと呼ばれていまして。それと雪の中でも咲くことから雪中花とも」


 ふ〜んと返事を返す。戻ってきた白星さんの手の中には水仙があった。言葉通り、白い花びらとそれに囲まれた黄色い中心部。

 綺麗ではあれど、花にさして興味がない俺は、すぐに白星さんへと視線を移した。


「さて、今日はどんなお話をしましょうか」


 その言葉で、俺の心が浮き立った。そう。これが俺が白星生花店に通う理由、白星さんのお話。

 白星さんは客である俺が暇しないよう、いつも話をしてくれる。

 それは白星さんが体験したことだったり聞いたことだったり。話にはオチがあったりなかったりするものだから、奇妙な話に寧ろ現実味を帯びさせていた。そこがいいのだけれど。


「やっぱ今日もしてくれるんですね」

「嫌でしたかね」

「いや、凄く楽しみにしてましたから」


 穏やかに微笑む白星さん。花屋の空気が変わった気がした。


「それで、今日はどんなお話ですか?」

「そうですね、バレンタインも近いので、昔体験したバレンタインにしましょうか」





 

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