第21話 新しいインナーウェアの購入と自己肯定

**視点:美咲(私)**


 悠人(ゆうと)と共に私の実家(川上家)へ必要な私物を取り急ぎ運び込み、その足で私は隣の家、私たち夫婦の新居となる高橋家へと戻された。私の部屋に残されたのは、小さなリュック一つだけ。母(香織)の「実家での生活は認めない」という冷徹な言葉は、私の背中のリュックの重さよりも、遥かに重くのしかかっていた。この重さは、私にとって逃げ場のない永久就職という独占の勝利を意味していた。


 その日の午後、雅美(悠人の母)は、私を連れ出した。彼女の目的は、高橋建設の跡取りの妻にふさわしい「品格」を私に与えることだったが、そのプロセスは私の予想を遥かに超えていた。雅美は、私たちを、まず市役所へと向かわせた。


 「美咲さん。事実婚は、ただの口約束ではありません。今夜、ご両家の父親たちの前で最終決定する前に、社会的なけじめをつけます。婚姻届を出すわけにはいきませんが、私たちはあなたの住民票を高橋家へ移し、あなたを高橋家の人間として、正式に社会に認めさせる手続きをします」


 雅美は、そう言って、私を市役所の窓口へと向かわせた。雅美の指導は、愛のロマンスよりも、社会的な契約と責任を優先するものだった。私という存在が、正式に「高橋家の嫁」という身分を、住民票という形で受け入れた瞬間、私の心臓は、逃げ場のない未来への確信で、激しく脈打った。愛の契約が、社会的な手続きによって裏打ちされたのだ。


 市役所での手続きを終え、雅美が私を案内したのは、下着を扱うブランドショップだった。雅美の指導は、外面的な品格だけでなく、私の内面にも及ぶ。彼女は、私の体型を一切の感情を交えず、プロの査定者のように観察した。


「美咲さん。あなたは、今着ているそのインナーでは、駄目です。それは、あなた自身の自信のなさを象徴していますわ。気が付いていなかったかもしれないけれど、サイズも合っていないように見える。高橋家の妻は、内側から自信を持つ必要があります。あなたの身体は、悠人との愛の契約を証明した身体です。それにふさわしい、美しいものを身につけなさい」


 雅美の言葉の鋭さに、私は反論できなかった。彼女の言う通り、私はいつも自分の身体を隠そうとし、窮屈なインナーをつけていた。雅美が手に取ったのは、柔らかなレースが施され、淡いピンクやベージュの色合いを持つ、華やかなランジェリーだった。私は、その美しい下着の質感と、自分のBカップの胸とを比べて、思わず顔を赤らめた。


 (私の胸の小ささが、余計に目立ってしまう……。でも、サイズが合っていないって、母さんも気づかなかったのに。雅美さんは、こんな細部まで見抜くんだ。)


 雅美は、私を連れて店員を呼び寄せた。店員は、私の身体を改めて測定し始めた。メジャーの冷たい感触が、私の肌を這う。私は、その測定の間、恥ずかしさよりも、自分の身体が客観的に評価されるという、奇妙な高揚感の中にいた。


 店員が、測定を終えて、雅美に報告した。


「失礼いたしました。お客様のサイズは、以前測られたときから、トップバストが豊かになって、カップサイズが一つ上がっております。以前のインナーでは、バストが抑えられてしまっていましたね」


 店員の言葉に、私は思わず息を呑んだ。Cカップ。私の長年のコンプレックスの象徴であったBカップから、カップサイズが上がっていた。それが、最近の激しい衝動的な愛の行為によるものなのか、単なる成長によるものなのか、私にはわからなかった。しかし、長年の自己否定の対象が、他者によって、肯定的な変化を遂げたと指摘された事実は、私に強い衝撃を与えた。私の身体が、彼との愛の契約に応じて、妻としての変化を始めたのだ。


 私の不安を察した雅美は、冷徹な中にも、指導者としての目的を込めた視線を投げかけた。


「美咲さん。あなたは、あなたの身体を、愛の証明の道具として利用しました。それ自体は、もう過去の事実です。今必要なのは、その身体に、妻としての価値を与えることです。その身体が、悠人の愛を掴んだ、かけがえのない身体だと、あなた自身が認めなさい。あなたは、高橋家の妻になる。もう、以前の依存的な娘ではないのです」


 雅美の言葉は、私のコンプレックスを否定しなかった。むしろ、そのコンプレックスを抱える身体こそが、悠人の愛を掴み、さらには成長したのだと肯定した。それは、私の心に、今までの人生で感じたことのない、強い自己肯定への意欲を湧き上がらせた。私の価値は、私の胸の大きさではなく、彼との契約の絶対性にある。その事実が、私に、妻としての自覚を持つことを強要した。


 私は、雅美が選んだ下着を手に取り、試着室へ入った。鏡に映る私の身体は、ボーイッシュな服に隠されていた時よりも、確かに女性らしい曲線を帯びているように見えた。レースの繊細な触感が、肌に心地よく、私の内側から自信が湧き上がってくるのを感じた。正しいサイズのインナーが、身体を優しく包み込み、成長した胸を、美しく見せることができることを知った。


 私が試着室から出てくると、雅美は満足そうに頷いた。


「よろしい。美咲さん。あなたは、今日から、高橋家の妻として、その身体を大切にしなさい。この下着は、あなたに課せられた、妻としての最初の戦闘服です。内面から変わらなければ、悠人の妻としての修行は、乗り越えられません。さあ、この他にも、後継者の妻としてふさわしい、フォーマルな普段着を数セット選びます。あなたは、常に高橋建設の体面を背負っていることを忘れないで」


 雅美は、私に数セットの下着と、新しい服を購入させた。それは、私にとって、Bカップコンプレックスを克服し、妻としての自覚を得るための、小さな、しかし重要な一歩となった。雅美の冷徹な指導は、私の独占欲を、自己変革のエネルギーへと変換し始めたのだ。私たちは、高橋家の車へと向かい、これからの厳しい修行生活に備える。


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