その8
「――はっ!?」
僕がその長い眠りから目を覚ました時、周りの景色は今まで見たことのないものに変わっていた。
どうやら百年もの間、僕は死んでしまっていたらしいということを……人に聞いて回っている間に知った。
「あいつに、会いたい」
その時ふと、親友のことが……頭に思い浮かんだ。
彼とは僕らがまだ人間だった頃からの付き合いで……何をするにもいつも一緒だった。
何もかもが違って見えるこの世界でも、彼さえ居てくれれば……またやり直せる。
天望人は不死なのだから、きっと何処かで今も元気にやってるはずだ……。
それから僕は、彼を探して旅を始めた。
手がかりは少なかったけれど、何せ時間なら永遠にある。
その間に何度か事故で死んでしまったり、色々トラブルもあったりして……結局十年以上もかかってしまったけれど。
僕はようやく、彼を見つけることができた。
「おーい! ――!」
正直、最初顔を見た時……僕は彼が『探していた彼』なのだと、一瞬だけ分からなかった。
でも一瞬だけだ。その顔は確かに記憶の奥底にあったあの日のままで、そこにあった。
僕は忘れてなどいなかった。ずっと君に会うために、旅をしてきたのだから。
――でも。
「――すいません、どちら様ですか?」
彼の方はそうではなかった。
その可能性に、僕は今の今まで……思い当たることが出来なかった。
彼は長い時間の中で……僕のことを綺麗さっぱり、忘れてしまっていた。
時間というものは、それほどまで凶悪で……無慈悲で、残酷だった。
今の彼には、今の彼の世界と生活があり……そして僕らが大切にしてきたものは、もう何一つ戻りはしなくて。
そんな世界に、僕は独りきりだと……そう気付いた時、僕は。
――死にたい。
そう、思った。
◇ ◇ ◇
「――最初、ポット君の話を聞いた時、ね……君は僕と同じだと……そう思ったよ」
苦し気な声で、アダムスは話を続ける。
「自分を取り巻く状況が、何一つ不確かで……自分という存在の足掛かりすらない。その不安は……よく分かるから」
――『大丈夫さ! あぁ、大丈夫……きっとな……!』
……震える声でそう言いながら、頭を撫でてくれた……あの夜のことを思い出す。
――あれは……自分自身への言葉、だったんだ……。
「結局ね、人は……誰かに覚えておいて貰わないと、生きていけないのさ。独りで生きること、それを生きるとは言わない。ただの生存だよ、それは……。自分の価値を誰かに認めてもらって、初めて人は自分の存在を世界に見出すんだ」
「ゲホッゲホッ」……話しながら、アダムスは血混じりの咳を吐き出す。
これ以上は体力が保たない……そう思って、隣に座って話を止めさせようとするけど、彼はそんなボクを片手で制止した。
「旅を続けながら、こんな人助け紛いのことをして……うっ……一人でも多くの人に自分を覚えて貰おうとしたけどね……ゲホッ――本当は分かってたんだ、こんなことに意味はないって」
零れる言葉に、涙が滲む。
「旅の道すがらの一期一会なんて、誰の記憶にも残らないさ……。本当はね、僕はただ怖かったんだ――誰かと深い関係を作って、それが再び失われることが」
だからこんな、危険が蔓延る世界で……ただ独り、世界中を巡る旅を続けて来た。
どこか一つ所に落ち着くことをせず、それを出来ず……。
彼は自身を苛む孤独を癒すように、他者を求め、そして切り離し続けた。
そうすることでしか、自身の心を、守れなかった。
「――話には聞いていた。黒装束の介錯一家、拝宇……。まさか本当に実在するなんて、驚いたよ。こんな機会は、きっとこの先そう訪れないだろう……もしかすると、僕の精神が限界を迎える方が先になるかもしれない。――だからこのチャンスに……頼む、シャル君」
アダムスは懇願するように、シャルを見上げる。
今回源生物に襲われたことなんて、本当は関係なくて。
初めて出会った時から……彼はきっと、こうするつもりで一緒に居たのだと……ボクはそう気付く。
「――……解った」
長い沈黙の後、シャルは苦しみを堪えるような声で、短く呟いた。
そしてペストマスクを手に取り、その表情を隠し始める。
「ま、待ってよシャル! そういうことなら、ボクがアダムスさんのこと、覚えていますから! だからここで死ぬなんて……」
「五十年先、たった数日過ごしただけの友人を、果たして覚えていられるか? 仮に覚えていられたとして……同じように接することができるか? ……無理だよ、そんなことは」
マスク越しの、くぐもった声が響く。
「人は変わる……どうしようもなくそういうものなんだ。『ずっと一緒』、『ずっと忘れない』……死という終焉が失われた今の世界で……そんな言葉はただの、まやかしだ」
「それでも、それでもボクは……!」
ボロボロと、熱い涙が零れ堕ちる。
喉が熱くて、上手く口が回らない。
――でも、言わないと。
例え彼女の言葉が、全て真実であったとしても。
それを否定する今のボクの気持ちは、嘘にはならないのだから。
「――ボクは、『ずっと忘れない』ですから……!」
どうしようもなく、時間というものがボクの記憶を奪い去ろうとして。
どんなに彼の姿を薄れさせたとしても……。
きっと、ボクは憶えている。
憶えていたい……そうしたい。
それが……嘘偽りのないボクの、今の本心だった。
「――は、はは……」
アダムスは小さく笑いながら、ボクに手を伸ばした。
そのまま、いつかのようにわしゃわしゃと頭を撫でる。
固くてごつごつとした、大きな手のひら。
……お父さん、みたいな。
「ありがとう、ポット君……最期にそう言って貰えただけで、僕は救われたよ……」
優しい、彼の眼差し。
その満足げな表情と、湿った言葉を前に……僕はもう、それ以上。
何も言うことは……出来なかった。
それが、彼の長年の切望であったなら。
止めることは……彼の願いを踏みにじることになってしまう。
「――離れて」
隣に立ったシャルが、大鎌……ベルを大きく振り上げる。
それを見たアダムスがそっと力を込めて、ボクの背中を押し出した。
「――拝宇の名を以って、私が君を殺す。もう二度と、君は朝に目覚めることはない……永久の夜で、どうか安らかに眠らんことを」
――木陰に、銀の瞬きが揺れている。
横切る風が黒衣をはためかせ、幻のようにその影が躍る。
澄んだ静寂。
差す陽光は、輝きの舞台を今か今かと待っている。
「――」
項垂れる男が、小さく笑った。
その瞬間――。
――リリ――ン……。
鈴の音色。
空に弧を描いた銀光が、大気に擦れた刃と共にその福音を奏でた。
巻き起こった旋風に、木々の葉がざわめく。
……遅れて。
――ゴトリ……。
地を転がる、男の首。
その表情は穏やかさに満ち、ただ安らかだった。
やがて男の肉体は、まるで砂のように崩れて解けていく。
ただ風だけが、魂と共に彼を空に届けるのだろう。
遥か天上、きっと宇宙の果てへと。
「――」
それを為した黒衣の少女が、振り抜いた大鎌を背中に直し、顔に付けていたマスクを取る。
そしてボクを振り向き……言うのだった。
「――それでも、付いてくる?」
日の光を受け輝く、頬を伝う涙。
悔しまぎれの笑顔の上を濡らす、その涙に。
――ボクは……。
立ち上がって……シャルの潤んだ藍色の瞳を見据える。
「――付いていくよ」
ボクは……ボクの両親は、きっと。
ボクの幸せを心から願って……そうして、ボクに種を授けてくれた。
それと同じように。
きっと誰もが誰かの幸せを願って、今の世界は形作られたんだ。
……それなのに、今のこの世界は、こんなにも歪んでしまっている。
不死という、本来人の手に過ぎた力によって、当初の願いも、想いも……長い時間で捻じれてしまった。
もしその歪みを、シャルは正す人なのだとしたら……。
ボクは彼女を手伝いたい。
人が人として、正しく死ぬことのできる世界。
それを創る手伝いを。
そして、ボクたちは幸せになって良いんだと……。
幸せになって良かったんだと……。
そう思って、終われるように。
「――そう。それじゃ、よろしくね……」
風に飛ぶアダムスの土塊を見上げながら、シャルは呟いた。
同じように、ボクも空を見上げる。
澄んだ青空。
その先には、地球を祝福した星々が隠れる宇宙がある。
ソラの落とした奇蹟を、呪いに変えてしまわないように。
――これはそのための……終わることのない、旅。
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