おっさん4人と女子大生、ガラガラ電車での攻防戦

ハムえっぐ

おっさん4人と女子大生、ガラガラ電車での攻防戦

 ガタンゴトンと電車が揺れる。

 俺は仕事を終えて駅のホームに向かうと、どうやら数時間前に人身事故があったようだ。ちょうどホームに電車が到着したが、いつもの急行ではなく各駅電車が停車した。

 まばらに降りる人を見送りながら乗ると、いつもの満員電車が嘘のように空いていた。

 どうもこの電車は数十分遅れらしく、それまでホームで待っていた人たちは前を走る電車に殺到したようだ。


(こりゃラッキーだ。隅っこも空いているぜ)


 俺は仕事よりもぐったりする満員電車を回避できた喜びを胸に、扉付近の席を確保してスマホを見始めた。


 たまには悪くない。明日は土曜日、今日はのんびり帰るとしますか。

 車両に乗客はいるが、全員四隅の席を確保してスマホを眺めている。

 俺の前方も、向かい側の左の長椅子もスーツ姿のおっさんが座っている。

 誰もがくたびれた顔で存在していた。


 お仕事、ご苦労さまです。


 ガタンゴトンと心地よく電車が揺れる。

 俺はあくびを噛み殺しながら、今日のプロ野球ニュースをチェックしていた。


 すると突然、信じられない出来事が起こる。

 列車が発車するベルと共に、カッカッカとヒールで走る音がホームより響き……そして。


 どごおおおおおおおん!


 扉が閉まり電車は発車すると同時に、日常で耳にしない音が鼓膜を揺らす。


 ギリギリセーフで乗ってきた女の子がつまずいたのか、勢いよく反対側の閉まっている扉に激突したのだ。


「「「「⁉」」」」


 俺含む、四隅の席に座るおっさんたちの顔色が変わる。

 左側の長椅子の俺と同じ向きに座るおっさんが、口を半開きにして立ち上がり、座る姿が見えた。


 いや、座るんかい。


 女の子は清楚な格好をした茶髪の長い髪で、女子大生ぐらいの年齢の子だ。

 額を両手で抑えながら、懐かしい体育座りで塞ぎ込んでいる。


 おっさん4人の鋭い視線が交錯した。


(お前行けよ)

(可愛い女の子が困ってるぞ)

(人助けは義務だぞ)


 他のおっさんたちの心の声が……聞こえた。


 俺はスッと両手の指を、おっさんたちに見えるようにズボンの上に乗せる。

 年齢不相応な結婚指輪がない証明だ。

 一目で俺が非モテだとわかる証なのだ。


 すると、他のおっさんたちも両手をわかりやすくしてきた。


 なん……だと? 全員指輪なし……だと?

 おっさんたち……みんないい年齢だろうが。


 女の子は未だに塞ぎ込んだまま。

 ガタンゴトンと電車が揺れる。

 心地よさは、もうどこにも存在しなかった。


 どうする? 俺含むおっさんたちは全員恐れている。


「大丈夫ですか?」


 そう声をかけて捕まるのを。


 脳裏に嫌な思い出が蘇る。

 あれは数日前だ。バスに乗り遅れた俺は最寄りの駅から家路へと歩いていた。

 すると前方に、若い女性が歩いているのが見えた。

 彼女は俺の姿を確認すると、震え、怯え、脱兎のごとく去っていった。

 俺は後ろを見た。何も……なかった。

 うん、彼女はきっと霊能力者で、幽霊でも見えたんだろう。そう思い込んでも、100%ストーカー扱いされた心の傷は拭えない。

 ただ歩いていただけで、こんな目に遭うのだ。女子、しかもかわいい女子大生に声をかけたら、逮捕拘束死刑宣告される未来確定だ。


 くそっ。俺が男子大学生……4人のおっさんの誰かが若ければ……いや、駄目か。全員非モテだった過去しか思い浮かばないぞ。


 舞台で言えば、不幸な配役が連鎖している状況だ。

 イケメン1人いれば、この状況はラブロマンスの始まりだったに違いない。

 ドアと激突した女子大生も、これがおっさんだったら俺たちも何も思わず、スマホポチポチし続けていただろう。

 いや、冗談。きっと誰かが声をかけたはずだ。

 さらに問題なのが、配役が増えないこと。

 二駅停車したが、あろうことか我々がいる付近の扉からの乗降客ゼロが続いたのだ。


 おばちゃんさえ乗ってくれば、一気に好転するのに何たることだ。


 揺れる電車、女子大生は未だに体育座りで額を抑えている。


 すると一度立ち上がったおっさんが、再び立ち上がり、座った。

 いや、なんでだよ。


 そう思ったが思い直す。理由を察したからだ。

 そう……女子大生がついに体育座りから立ち上がったのだ。


 よかった。ぶつけたのは額だけのようで、鼻血もなければ額を切ったわけでもなさそう。立ち上がったものの、額が痛いのか両手でさすっている。


 意識ははっきりしているから大丈夫だろうが……脳だもんな。まだ心配する気持ちは変わらない。

 空いているから、席どうぞって譲るのも変だよな?

 頼むから自力で座ってくんないかな?

 ……は⁉ 再び、4人のおっさんの視線が交錯した。


(勝負はここよ)

(我ら4人が座るは別の長椅子)

(座った席に近い者が彼女に声をかけるべき)


 ちっ……おっさんどもめ。俺は人生で初めて『目は口ほどに物を言う』ということわざを身を持って知ったぜ。


 心臓がやばいくらいドキドキする。

 俺の近くに座ってほしいと思う気持ちと、面倒事は他人に任せたい気分で交互に揺れる。


 電車が徐行しだす。次の駅に到着するのだ。女子大生は立ったまま。

 この駅で降りるのかな?


 プシューと開く扉。そして俺の向かい側に座るおっさんが立ち上がる。

 彼は女子大生をそっとチラ見した。


(いけ! お席どうぞって言うんだ!)

(女子大生に降りる気配はなし!)

(頼む! ここで決めてくれ!)


 残る俺たちおっさんの藁にも縋る希望だったが、無残に打ち砕かれる。


「あとは……任せた」


 プシュー。ガッタン……ゴットン。ガタンゴトン、ガタンゴトン、ガタンゴトン。


 奴は降りたのだ。女子大生より先に、俺たちおっさん3人を残して。


 任せるなよ! なんでそのセリフなんだよ!

 そういうセリフは無念を残して死にゆく者が、主役たちに後事を託す時に吐くセリフだろうが!

 単に最寄り駅で降りただけのくせに!


 呆然とするおっさん3人を余所に、女子大生はまだ額をさすっている。

 いいから座ってくれよ。誰も座ってない長椅子空いたでしょ! 額が痛いのは十分に伝わってるから!


 ガタンゴトン、ガタンゴトン。電車は揺れる。俺たちおっさん3人の希望を打ち砕きながら。


 もう駄目だ。これ以上、こんな緊張状態耐えられない。

 俺はチキンだが、植え付けられた義務感にも弱いのだ。


 俺は意を決して、立ち上がった。


「あ、あ、あ、あ、あ」


 ちくしょう、なんで俺は、あのお、大丈夫でしたか? も言えないんだよ。


 電車が徐行する。ガッタン……ゴットン、プシューと。


 女子大生は一瞬訝しげな表情をし、「ちっ」と俺の顔を見て舌打ちすると、何事もなかったかのように降りていった。


「……」


 プシュー。ガッタン、ゴットン。ガッタン、ゴットン。ガタンゴトン、ガタンゴトン。


 俺は再び座った。


 うん。彼女は無事だったんだ。それでよかったじゃないか。それ以上、何を望むっていうんだよ。

 あれ? おかしいな? 視界が潤んでよく見えないや。


 一駅、二駅、電車は進む。時の流れと一体になったかのように。


 やがて、二度立ち上がっては座ったおっさんが立ち上がった。

 今度は、再び座らなかった。


「……カッコよかったぜ」


 そう言い残し、そいつは降りていった。


 さらに数駅。残るおっさんも立ち上がる。


「……さらばだ。同士よ」


 俺の視界は、再び霞んでいった。


 こうして、おっさん4人と女子大生による、ガラガラ電車内攻防戦は終わった。

 何も生まなかった、単なる日常の一コマなのかもしれない。

 それでも俺の心は、少しだけスッキリしていた。


(6缶入りのビールでも買って帰るか)


 そう思いつつ、俺も立ち上がる。最寄りの駅に到着したから。

 振り返り、降りるドア前に立つ。

 二度と会わない3人のおっさんと、女子大生を脳裏に刻みつつ。


(ん?)


 ふと、俺は自分が座っていた席の真上にあるボタンを見て絶句する。

 そこには、こう書かれていた。


『非常通報ボタン――非常の場合はこの下のボタンを押して乗務員に通報してください』


「これ押せばよかったんじゃん!」

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