土づくりフィールド・オペレイション-農業高校と地底人の攻防-

植原翠/新刊・招き猫⑤巻

開幕土壌クライシス

 見渡す限りの、広大な農地。野菜が生まれ育つための耕地と、その畑を管理するための農具、農具小屋、立ち尽くす案山子。およそ学校の敷地の中とは思えない光景である。

 ジャージを着た生徒たちが、各々の畝を囲んでいる。僕も、その農地の一角で同じジャージを着て立っていた。

 一畳分ほどの小さな区画を前に、同級生の北堀がきゅっと拳を握った。


「今日からここが、俺たちの畑だ!」


 県立伊江寿農業高校の造園生産科では、毎年、二年生になると、作物栽培実習が行われる。三人一組で班になり、そのメンバーでひとつの畑を育てるのだ。

 育てる作物も、育て方も、各々の班の判断に委ねられる。三年生に上がる前の冬に発表会を行い、よその班と畑の仕上がりを競う。


 我が班の班長である北堀は、まだなにも植えられていないふかふかの土を前に、小刻みに震えていた。


「ここが……俺たちの……!」


 ジャージの膝が汚れるのも気にせずズサッとしゃがみ込み、彼はその手にそっと土を掬った。


「なんて美しい団粒構造。水はけも通気性も良さそう。微生物っぽい匂いもする。この畑が一年間俺のものなんて……幸せすぎる」


 始まった……。僕は彼を見下ろして小さくため息をついた。

 北堀達也は、土壌オタクである。明るく爽やかな熱血漢で、顔がかっこいいしモテそうなのに、彼は土しか愛せない。

 土に頬ずりしそうな北堀を足元に見て、女子生徒が長い髪の先を指で弄ぶ。


「ウケるー。ウチの班はもう全部北堀に任せとけばよくね? よっ、頼れるリーダー」


 西川瑠璃、同じ班のメンバーだ。校則違反のカラーリングの髪と、キラキラのアイシャドウと潤んだリップは、学校指定のイモいジャージに似合わない。

 ヘアスタイルもメイクもはばっちりだが、ネイルアートとアクセサリーはしない。彼女曰く「髪と顔は、飾っても農業の邪魔にならんじゃん」だそうだ。


 僕は、僕らに与えられた畑――といってもまだなにも植わっていない四角い区画だが、その狭い範囲に目を落とした。


「なにを植えるか、まずは計画を立てないとな」


 僕、東野旭は、西川同様、北堀ほど土に情熱はない。とりあえず、成績に直結するから、畑はそれなりに真面目に育てようと思っている。


 この一年で畑をどう育てるか。なんの苗を植えるかを決めるのはもちろん、畑の整地や施肥、病虫害防除、除草、そして収穫後の作物でなにを作るかまで、全て生徒に委ねられている。

 隣の班は早くも話が纏ってきているようだ。夏に向けて夏野菜を植え、収穫して、空いた土地に秋冬の野菜を再度植える、二毛作作戦らしい。


「うちの班も早いところ計画を立てよう。ふたりとも、意見はある?」


 僕が呼びかけると、西川がうーんと首を捻った。


「んー、失敗しにくいのがいいよね」


「だよね。難しい作物を選んで、失敗したら、発表会のときに詰む」


 僕は西川に同意した。あっとを驚かせるような作物を作れば、発表会でも映えるだろうし、成績評価も良いかもしれないが……ここは安定を取って、手間がかからない作物を選びたい。

 西川が頷く。


「それなー。で、収穫後に調理しやすいといいよね。どうやって食うん? みたいな変わった野菜じゃなくて、食べやすいやつ」


 それも同意見だ。奇を衒わず、シンプルにおいしいものを作りたい。


「ジャガイモはどうかな。芋は痩せた大地でも育つ作物の代表。強いから失敗しにくそう」


 僕が言うと、西川はぽんと手を叩いた。


「いいじゃん! じゃがバター、カレー、肉じゃが……なんにでもなる。あっ、ポテチ作るのとか良くね?」


 すると土と戯れていた北堀も、顔を上げた。


「賛成。この辺りの地域は暖かいから、春に植えたジャガイモを夏に収穫して、続いて秋ジャガを作る二期作も叶う」


「春と秋で品種を変えて、比べてみるのも面白そうだね。そういうテーマ性があると、発表会のときに纏めやすそう」


 土に詳しいリーダー北堀、ムードメーカーの西川、無難にまとめる僕、東野。僕らはこのメンバーで、一年間この畑と向き合う。案外、いいチームバランスなのではないか。

 僕はよし、と北堀と西川の顔を見比べる。


「ジャガイモで決まりだね。じゃあ、タネイモの準備をしよう。品種は……」


 と、話を進めようとした矢先、北堀がまた、土に頬をつけた。


「いや、タネイモを用意するのはまだ早い。ジャガイモの土づくりは、一ヶ月必要だ」


「は!?」


 僕は目を剥いて、地べたに這いつくばる北堀を見下ろした。


「いや、こだわってるジャガイモ農家さんならそうかもしれないけど、これは授業だよ。そこまで徹底してやらなくても」


「そんな心で畑の土と向き合う奴があるか!」


 くわっと、地べたの北堀が瞳孔を開いた。


「ジャガイモに適した土は弱酸性、pH5.0から6.0。酸度計によると、この土は7.0を超えてる。ピートモスを混ぜて酸化させるぞ。それから完熟堆肥と元肥を混ぜて深く耕し、微生物を増やし、よりジャガイモが伸び伸びと育つ土壌にする」


「ええ……でも充分良い土なんじゃないの? さっき美しいって褒めてたじゃん」


「今の状態でも良い土だけど、ジャガイモを作ると決めたなら、より一層ジャガイモの生育に合ったコンディションに寄せていく。それが畑と真摯に向き合うってことだろ!」


 なんでここまで熱くなれるんだろう。困惑する僕の隣で、西川が笑う。


「いいじゃん? 北堀が言うようにやれば、超最高のジャガイモができそう。あたしたちはそれに乗っかればいいんだから、ラッキーだよ」


「そうかあ、うん、最終的に発表会のときに困らなければいいや」


 僕は西川の言うように、北堀に委ねることにした。

 北堀は目を輝かせ、飛び起きた。


「じゃあ早速、ピートモスを撒いて酸度を調整し、土を耕そう。畜産課から貰ってきた堆肥も混ぜていくぞ」


 傍の農具小屋から、北堀がピートモスと堆肥を持ってきた。僕と西川も、それぞれ鋤と鍬を握って北堀に従った。北堀がピートモスを撒いたら、その土を深く掘り返し、土塊を崩し、空気を含ませるように耕す。

 北堀が満足げに土を見つめた。


「俺はこの畑で、究極の土壌を作る」


 その頃、僕らは知る由もなかった。

 この畑の地下で、起こっている出来事なんて。


 カタン。土の層の奥深く、薄暗い湿った空間に、音が響いた。


「……む」


 食器が倒れている。彼は倒れたそれを起こし、天井を見上げた。


 僕ら農業高校の生徒たちは、まだ、彼らの生活なんて、なにも知らなかった。

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