第23話 一難去ってまた一難
「ごめんなさい……マヤさん、機嫌直してくださいって……」
「いや、送らなくても大丈夫だから……また明日な」
若干マヤさんの機嫌が悪い。そりゃあそうだ。許されたことに暴走して散々喘がせて腰を痛めさせてしまった。ただでさえオペ室の看護師は力仕事が多いのに。
もうすぐクリスマス。恋人同士のいいムードが高まる大イベントを前に失敗して情けない。
ため息をついてマンションへ戻るとエントランスに見覚えのある人物が立っていた。
「……母さん、どうしたの」
「どうしたの……ってこっちの台詞よ……堅祐、あなた、研修医になったのに一体どういう生活をしてるの? まさか、お父様の顔に泥を塗る気?」
母親に会うのは大学卒業以来だからほぼ一年ぶりに近い。
久しぶりに会っても「元気か」の一言もなく、面倒な空気を匂わす話。
本来なら母親と口も聞きたくないのだが、わざわざここに来たという理由はあるはずなので、現状を端的に話す。
ただし母親を部屋に入れない。先ほどまで真弥と蜜月を過ごした空間に、他人に入られたくないのだ。
「俺は外科のオペの
「このひと、あなたとどういう関係なの?」
やっぱりか、という気持ちで思わず我が母親ながら面倒くさいと感じた。A4サイズの茶封筒を乱暴に渡されてため息をつく。
息子の素行を調べるために、興信所か。
堅祐は以前も興信所の探偵に付きまとわれたことがある。あの当時は未成年だったので、遊んでいた素行の悪い女達は母親に消された。
一応確認の為に渡された写真をパラパラ見てみると、EDENで飲んで、その後に真弥とホテルに消えたところまでしっかり撮られていた。
そして真弥に嬉しそうに微笑みかける俺と、マンションに肩を組んで一緒に入る写真もあった。
なんだ、隠して撮りとは言え、こんな顔をいつも向けていたんだ。これじゃあいくら恋愛感情を隠してもバレバレか。
「どういう、って……母さんはもう分かってるんだろ? 俺の好きなタイプにどストライクなんだよ、マヤさんは……」
「堅祐、この人は」
「興信所なんてくだらないことやるんだったら、俺は医者なんてやらない。あんたらの言いなりなんてもううんざりなんだよ!」
堅祐は吐き捨てるようにそう言うと、ヒステリー気味にまだに叫ぶ母親をエントランスでさっさと追い返した。
◇
真弥の住んでいるアパートは小さな1LDKだが、一人暮らしには十分な広さだ。昨日は堅祐のところに急遽泊まったので、やや部屋の空気がこもっていた。
いつものルーティンで、玄関前にある洗面所で手を洗ってからリビングを抜けた先にある仏壇の前に座る。
「ただいま、麻衣ちゃん」
この仏壇に家族が揃った写真はないが、妹が生前、手の拘縮予防の為に握っていたボロボロのうさぎのぬいぐるみが置いてある。
天国の両親と妹に真弥はほぼ毎日色々な報告を続けていた。
叔父夫婦に養子として引き取られた際は仏壇も何も無かったが、仕事を初めて一人暮らしをスタートしてから死んだ両親達をようやく供養できる環境が整ったのだ。
「麻衣ちゃん……俺、人を初めて好きになれそうだよ」
真弥は今まで誰かに恋をしたという経験がない。
EDENの話をされ、あれをネタに堅祐に強請られるかと危惧したが、あの時からあいつはずっと好きだ好きだと言い続けてくる。
最初はただの戯言だと聞き流していたが、堅祐のストレートな告白は変わることなく、言葉の魔力が真弥の心に突き刺さった。
両親を早くに亡くしてしまい、頼りにした叔父夫婦も自殺してしまい、誰かに縋って生きるという選択肢はなく、同じ男の堅祐に一途な愛情を向けられてもどう対応して良いのか分からないのだ。
でも、この初めての感情はくすぐったくて、心はほんわかする。
離れるとなんだか落ち着かない。側にいると安心するのだが、あいつが当直を詰め込んで休みが無くなると体調が不安になる。
「こんな報告しても困るよね……」
支離滅裂になりそうな報告を終えたところでインターフォンが鳴った。この家に来客なんて珍しい。基本的に真弥は仕事でいつも不在なので、ポストに不要なチラシは入れられるものの、勧誘すら来ないのだ。
「はい?」
恐る恐るドアを開けると、小綺麗に整った女性が真弥に冷たい眼差しを向けてきた。
その瞳からは背中が凍りつくような鋭い殺意すら感じる。
「あの……」
「失礼。私は花巻堅祐の母です。神野真弥さんですよね。少し、お話ししてもよろしいでしょうか」
「……どうぞ。狭い部屋で、お構いも出来ませんが」
あぁやはり、という気持ちと、いよいよか。という気持ちが入り混じる。
ここが正念場であると一切の感情を殺して、真弥はいつものポーカーフェイスを決め込んだ。
「私がここに来た理由はお分かりですよね?」
狭いリビングに彼女を通し、小さなテーブルに緑茶の入った湯呑を置く。
此処を訪れた理由、そして堅祐すらまだ知らないこの家にどうやって彼女がたどり着いたのか大体想像出来る。
「ええ。ですが、きちんとあなたの口から聞かせてもらえますか」
堅祐の母はわざとらしく大きくため息をつき、長茶封筒を取り出してテーブルの上に置いた。
「これで、もう二度と堅祐に関わらないで頂けませんか」
分厚いそれはわざわざ開かなくても中身は分かる。金持ちは何でも金で解決できると思っているのだ。この人達は今まで金で愛する息子の黒い噂を抹消してきたのだろう。
昔の自分ならば金に困っていたし、堅祐を捨てて有難くこの申し出を受け入れていた気がする。
しかし今は違う。堅祐の本気、そして自分の気持ち。これだけは、金と他人に土足で踏みにじられたくはない。
「手切れ金で息子との不毛な関係を抹消したいわけですか。そうですよね、堅祐は大手M銀行のエリート様のご子息ですから」
「あの子は医者です。研修期間を終えたらいずれ海外に行って有名になるんです」
彼女の手が小刻みに震えていた。手塩にかけて育てた大切な息子が、親の期待を裏切り不毛な関係に走ったことが赦せないのだろう。
しかし、今までも堅祐は相当遊んでいたはず。女遊びはうまく金で解決したのか。それとも目を瞑っていたのか。
「私は、堅祐の気持ちを汲み取ったに過ぎません。この関係を続けるも終わらせるも息子さんの意見はお聞きになりましたか?」
「あ、貴方が
四年前のことまで調べつくされている。これは逃げられないな、と真弥は思わず腹の裡で呟いた。
「その汚らわしい男は、あなたの大切な御子息様に先に穢されましたけど」
「男同士で……あなた達の関係が世間に認められると思ってるの!?」
売り言葉に買い言葉。逆上した堅祐の母は湯呑を手に取ると、真弥に向けてそれをばしゃっとかけた。
熱い茶を真正面から浴びた真弥はすぐに拭くでも動揺する様子もなく、静かに彼女を睨みつける。
「堅祐は外科医になる男だ。あいつの手を、もしこんな風に火傷でもさせてみろ。あんたらまとめてぶん殴ってやる。──今すぐその汚い金を持って出て行け!」
大人しそうな真弥がぶち切れたことに驚いた堅祐の母親は、唇をわななかせながら茶封筒を持って慌ただしく部屋から出て行った。
甲高いヒールの音が消えたのを確認して、重いため息をつく。
「分かっていたけど、やっぱりキツイな」
壁に背を預けた真弥は、火傷した左手を冷やすのも忘れて、右手に嵌められたシルバーリングをそっと抱きしめた。
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