嫌悪
@dagon31
第1話
時に悲しく、時に嬉しく。人というものは無常の感情を持ち合わせている。
とあるうららの陽気であったその日は、何気ない日常と思われた。いつも通りに遅く起き、せかせかと支度を済ませた。最初は慣れなかった早朝の涼しさにも慣れてしまった、こんなに忙しく時間の足りない生活も身についてきた時分であった。
朝食もろくに取らずに時間ばかりに気を取られる。嫌な現代人になってしまったと思いつつ、立派に社会に迎合したフリをしてそっぽを向いた。
今日も自転車で街を進む。「コンクリートジャングル」とはよく言ったものだ、こんなさっぱりとした見た目の木々がジャングルを名乗ってたまるものか。怒りを覚えて道を進む。ふとした瞬間の冷たさに季節の変わり目を感じるこの頃。手袋無しでは自転車には乗れないのだ。
凍てつく肺に耐えながらも学校近くの駐輪場へ着いて、ふと手袋を外す。この安心感といえようか、寒さから守られる四方の塀に安堵する。ここだけは私の安らぎである。近所のボランティアなのだろうおじさんから挨拶をかけられる。「行っておいで」というありきたりなものの中にある優しさ。社会生活では感じられない人との繋がりを、うっすらと感じる。
学校までの道のりでは知り合いもいないものだから、一人黙々と歩いている。この道の静かさは今では常と化したが、側から見ると非常である。学舎へ着けば案外声の出るものである、と落ち着くわけである。久しく話していないのに、ほんの一言交わせばすぐに話し出せるのだ。氷が溶けていくようにさらさらと言葉が紡がれていく。これまた安堵。席へ着けば間もなく朝礼が始まるわけである。
何気ない登校が少し楽しくなった。何も考えぬよりも楽しいわけだ。側から見たら何やら考え込んでいるようなもんだが、それが愉快でまたよい。
人の良いところは、人に視線を向けるところである。人は視線をあまり好いていない。複数人に見つめられて、何もこそばゆく、へも言えぬ不快感に顔を歪める者は多い。視線とは、自身の視認の意思表示であるとともに感情を含んでいる。その眼は何を思っているのか。それに当てられる方は堂々と考え込んでしまうわけである。
真っ先に思い浮かぶのは間違いなく嫌悪であろう。嫌悪の念。それは人々が最も忌むべき存在と思われ続けてきた。なんのことはない、自身が嫌悪されたくない防衛本能なのだから。
あぁ、担任からのこの視線。学友からのこの視線。全て嫌悪に見える。だから我々大和民族は、人に嫌われないように生きるのだ。
考えよう。私はS君を友だちとして好いていよう。そしたらS君は私のことが苦手だと言う。その予想外の宣言に私は呆気にとられるだろう。人の受ける嫌悪の大半はこれである。
例えばくしゃみがしたくなったとしよう。ここは教室という閉鎖空間である。知り合いが沢山いる。恥を晒すと思い引っ込めようとしてしまう。例えそれが知らない人だけであろうとも。なおさら引っ込めようとするであろう。その人ともう二度と会わずとも。二度と会わない人の顔色を伺うから自身の本性を暴けないのであろう。隠し事が言いづらいのはこのせいだ。
あーだこーだ考えていると朝礼は終わりを迎える。そんな秘密について熟考してみる。人と何かが違う時に、人はそれを恥と思う。その事実を引っ込めたくなる。社会的に見て少数で理解のされない存在であればあるほどだ。これは読者の内面であるとともに筆者の吐露である。
社会的孤立は苦痛である。自身の部屋にこもってそれを楽しむがちょうどいい。
そんなくだらんことを考えると1限が始まる。そしてまた私は、人に嫌われない私を演じて過ごしていく。そんな自身はあまり好きではない。
嫌悪 @dagon31
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