D+4d PM(第4話)
オレンジ色のルノーは目的地のインターチェンジを降りたが、ホテルのチェクインにはまだ時間があった。裕也は拓磨に、行っておきたいところがあると言った。そこは、裕也が葉月を助けて手の甲に傷を負ったロッジのある場所だった。裕也は、葉月が小学校を卒業してからそこへは行ったことが無かった。二十四年ぶりになる。ルノーは暫く曲がりくねった山道を走った。東京では季節は秋だがここでは既に冬が始まっていて、木々の紅葉も終わり、道端には落ち葉が積もっていた。走る車は時々それを舞い上げた。ロッジに入っていく私道への入り口に着いたが、そこは通行止めになっていた。三人は車を降りた。裕也と拓磨はハッとするほどの寒さを感じ、車内では脱いでいたコートを着て、綾にも纏わせた。三人は立ち入り禁止の黄色と黒の表示を吊して道に渡してあるロープを越えて、中に侵入した。枯れかけた雑草が道を覆っていたが、三人が何とか進んでいくことが出来る程の道の痕跡は残っていた。
暫く歩くと、昔のロッジの場所に着いた。建物は残っていたが、階段の板が抜け落ち、テラスの手すりが倒れて折れ、窓ガラスが割れ、屋根には苔や雑草が生えていた。ロッジの前に広がっていて子供の頃、葉月と裕也が虫を探し、見つけては追いかけていた芝生の広場は、一面、穂の綿毛を飛ばしたススキで覆われていた。そのために、あの頃二人で乗ったブランコがどこにあるのかさえ分からなかった。裕也が、今まで自分が繰り返し思い出してきた、ここでの子供の頃の葉月との記憶は夢だったのではないかと錯覚してしまうくらいの変わり果てようだった。裕也は、葉月が一人でハンミョウを追いかけて崖に落ちかけた場所に向った。そこへの道は、やはり、裕也の背丈ほどあるススキに覆われていて、その道はほとんど判別できないほどだった。しかし、裕也は、自分の記憶が夢でなかったことを確かめるために、それをかき分けて進んだ。まだ、穂に残っていたススキの綿毛が目の前を舞ったが、かまわずそこを目指した。だが、そこから裏の山に登って行けたはずの細道は、その入り口から少し先のところで、完全に崩れていて、裕也は、自分の手の甲に傷を付けた折れた木の痕跡すら見つけることができなかった。彼は深い喪失感を感じた。しかし、一体何を失ったのか、明確な言葉には出来なかった。
三人はホテルに入った。大理石の天板を乗せた深いブラウンのチェックイン・カウンターに収まっている二人のフロントクラークが四人を迎えた。彼らがこのロビーの落ち着いた雰囲気を醸し出していた。チェックインの手続きの途中で、そのクラークが、
「高瀬様にお手紙が届いております。」と言って、預かっていた手紙を裕也に渡した。宛名はフロント気付で「高瀬裕也様」とあり葉月の筆跡だった。封筒を裏返すとやはり差出人は「高瀬葉月」となっている。消印は東京のもので日付は十日前だった。裕也はその封筒に書かれた差出人を拓磨に見せて、
「葉月からだ。」と言った。
「部屋に入ってから読むよ。」裕也はそう言ってその手紙をコートのポケットに入れた。
裕也は一人部屋に入って、手紙をソファの前の小さなテーブルに置いた。コートを脱いで、荷物をバゲージベンチに落ち着けてから、ソファに座って、その手紙を開封した。そこにはこう記してあった。
「裕也さん。突然あなたの前からいなくなったこと、ごめんなさい。
私がこんなことをする理由は、自分でもうまく説明できません。なぜだか、いつも、私はそうせずにはいられなくなって、そうしてしまうのです。裕也さんも、私がなぜそうなるかは分からなくても、私がそういう人間であることは理解してくれていましたね。私にはそれが救いになっていました。でも、それ以上に私は裕也さんに甘え、裕也さんを利用してしまいました。
私が小さな子供の頃、私を守って導いてくれる裕也さんを心から好きでした。その頃、どこで何をしたかの記憶はおぼろげでも、私の裕也さんへの想いははっきりと憶えています。それを思い出すと、今でも少し胸が苦しくなります。でも、あの時の私は違っていました。ロッジから山に向かう細道で、裕也さんが怪我を負いながら私を助けてくれた時、私が絆創膏に書いた言葉が裕也さんの何かを変えてしまいましたね。あの時、私が書いた感謝の言葉は、本当の気持ちだったんです。でも、それをそこに書いて、裕也さんの心に何かを焼き付けてやろう。こうすれば、それができるはずと、考えた私もいました。
もう、その頃から、私の中にはもう一人の自分がいて、歪んだ心地よさを知り始めていたのです。私は、私が中心にいる世界で、自分の思う道を進む。それが、どんな結果になろうと、それが、自分の大きな満足になる。そんな自分が生まれていたのです。そして、そのあと、私は、そんなもう一人の自分ばかりを育ててしまいました。でも、これを間違わないでください。そんな自分を育てることを選んだのは私自身です。私の周りにいた人たちに仕向けられたわけではないし、ましてや、裕也さんの
裕也さん、ありがとう。そして、ごめんなさい。」
裕也の心が震えた。涙を掌で拭った。そして、予感からじわりと確信に近づく葉月の死のイメージを振り払おうとした。
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