真・マスラオコンテストと、空席のステージセンター

 マスラオ祭まで、あと三日。


 そして翌朝。


 昨日の“既読”と短いメッセージから一夜明けた教室は、いつもどおりの騒がしさだった。


「マコちゃーん、電飾の発注書、確認して〜」「マコちゃんタオルのデザイン、武道verとアイドルverどっちが先に解禁する?」「いっそ両面印刷で“裏表ない男”アピろ」


「俺の人格、タオルでキャッチコピー化しないで」


 笑いながら返事をしていると、背後から小さく袖を引かれた。


「真」


 振り向く。


 そこに、玲央がいた。


 いつもの余裕の笑顔。

 ……に、ほんの少しだけ影が差している。


「屋上、行かない?」


「はい」


 星羅たちに「ちょっと抜ける」と手を振って、屋上へ向かった。


 ◇ ◇ ◇


 朝の屋上は、まだ人が少なかった。


 風は相変わらず強い。

 スカートの裾を押さえながら、フェンスに寄りかかる。


「……昨日はすみません」


 先に口を開いたのは、俺のほうだった。


「“完成された素体様”とか言って。完全に八つ当たりでした……」


「うん」


 玲央は、あっさり頷いた。


「八つ当たりだな〜とは思った」


「ですよね」


「でも、嬉しくもあった」


「嬉しく!?」


「だって、“完成されてないほうの僕”に向けて怒ってくれたから」


 その言い方が、ずるかった。


「……ずるいのはそっちだと思います」


「お互い様」


 玲央は、ふっと笑ってから表情を引き締めた。


「昨日の続き、ちゃんと話すね」


「グローバル配信の件ですか?」


「うん」


 玲央は、空を見上げる。


「父さんたち、かなり本気みたい。『世界に“男の娘外交”を発信する第一弾』とか言って、スポンサーもがっちりついてる」


「そっちを優先しろって?」


「“当然だろう”って顔はしてた」


 苦笑しながらも、声は重かった。


「でもさ。俺、やっぱりマスラオ祭に出たい」


 玲央は、はっきりと言った。


「ここで“朱雀院玲央”じゃなくて、“僕”としてステージに立ちたい。真と一緒に歌いたい」


 胸の奥が、じんわり熱くなる。


「……なら、そうしましょう」


「簡単に言う」


「だって、そうしたいんでしょ?」


「したいけど」


 玲央は、スカートの裾を指先でつまんだ。


「でも、引き換えに失うものもある。家の信用とか、事務所のコネとか、海外の仕事とか」


 そうだ。


 俺の「怖い」と、玲央の「怖い」は、種類が違う。


 俺は、自分の将来を賭けている。

 玲央は、家族とブランドごと賭けることになる。


「だから、今すぐ“絶対こっち優先する”って言い切れない」


 玲央は、正直に言った。


「真のこと、ちゃんと好きだからこそ、中途半端な約束したくない」


 心臓が、変なところで跳ねた。


「あの、その、その言い方は……」


「ん?」


「“ちゃんと好き”とかサラッと言われると、話が頭に入ってこなくなるのでやめてください」


「ふふ。じゃあ、ちゃんと受け取って」


 玲央は、いたずらっぽく笑う。


「――好きだよ、真」


「待ってカメラどこ!? これ放送乗ってない!?!」


「屋上ロケじゃないから安心して」


 心拍数を無駄に上げてしまった。


「ただ、その“好き”と、“仕事”と、“家族”のバランスをどう取るか、まだ答え出せない。……マスラオ祭の直前まで悩むと思う」


「直前まで」


 つまり、それまでは「かもしれない」が続くということだ。


 不安定なまま進む、準備期間。


「それでも、いい?」


 玲央が、まっすぐ聞いてきた。


 逃げ道を用意しているようでいて、その目は逃げていない。


「……ずるいな」


「知ってる」


「ずるいけど」


 俺は、笑う。


「いいですよ。直前まで悩んで。ギリギリで選んで。どっち選んでも、恨みません」


「ほんとに?」


「はい。その代わり」


 風が、少し強くなる。


「どっち選んでも、“言い訳じゃない理由”で選んでほしい」


 玲央の目が、すっと細くなる。


「“怖いからやめる”じゃなくて、“こうしたいからこっちを選ぶ”って。……それが、たぶん“玲央先輩の男らしさ”だと思うから」


 玲央は、しばらく黙っていた。


 やがて、ふっと笑う。


「やっぱずるいよ、君」


「お互い様って言ったの玲央先輩だからね?」


「じゃあ、フェアってことで」


 玲央は、手を差し出した。


「マスラオ祭当日まで、“未完成コンビ”でがんばろ」


「うん」


 その手を握る。


 握手のくせに、心臓には完全に告白として刻まれた。


 ◇ ◇ ◇


 そして――マスラオ祭当日。


 校門前から、すでに人の波ができていた。


 近隣住民、他校の生徒、保護者、メディア関係者。


 今日だけは、マスラオ高校が一つのイベント会場になる。


「マコちゃーん! こっちこっち!」


 武道館――じゃなくて体育館横の仮設テントで、隼人が手を振っていた。


 午前の「真・マスラオコンテスト」参加者たちが、道着姿で準備をしている。


「うお、真。やっぱ道着似合うな」


「スカートからの道着へのギャップで温度差ヤバい」


「温度差で風邪ひくなよ」


「お前もな」


 軽口を交わしつつ、袴を締め直す。


 胸元には、『真・マスラオコンテスト 出場者』のゼッケン。


「緊張してる?」


「してないと言えば嘘になる」


「刀(竹刀)握った瞬間、どうせスイッチ入るタイプだろ」


 隼人は、ニヤリと笑った。


「ま、午前は午前。恋愛だのデュエットだのは、一回全部置いてこい」


「……了解」


 アナウンスが、体育館内に響く。


『これより、“真・マスラオコンテスト”を開始します!』


 観客席から大きな拍手が上がる。


 体育館の中央には、畳が敷かれていた。


 演武エリアと、組手エリア。


 そして、その横には――なぜか小さなステージがある。


「なんだあれ」


「“心”の部門だってさ」


 隼人が説明する。


「今年から追加されたらしい。“マスラオプレゼン”っていう、一人ずつのスピーチ枠」


「スピーチ!?」


「お前、『はじめてのスピーチ術』愛読してんだろ。やれるやれる」


 背中を叩かれた。


 ◇ ◇ ◇


 コンテストは三部構成だった。


 第一部は「技」――型の演武。


 第二部は「力」――竹刀を使った組手。


 第三部は「心」――一人三分の自由スピーチ。


 俺の出番は、二番目のグループだった。


「出場番号七番、桐島真!」


 呼ばれて、畳の上に上がる。


 客席の最前列には、女装科メンバーが応援に来ていた。


 星羅が、「がんばれー!」と派手なうちわを振っている。


 ミカドは、「マコちゃん真ver推し!」と書かれた謎の横断幕を掲げていた。


「真ー!」


 玲央の声も聞こえた。


 視線を向けると、最前列の少し後ろで、玲央が制服姿のまま座っていた。


 目が合う。


 小さく拳を握って見せてくる。


(……よし)


 深く息を吸い込んで、構えた。


 第一部の演武が始まる。


 竹刀を振る音が、体育館に響く。


 体が、自然に動く。


 頭の中から、「マコちゃん」が一旦下がる。


 残るのは、竹刀と畳と相手だけ。


(ここでは、“男らしさ”を見せてやる)


 型を打ち終えたとき、客席から拍手が起きた。


 第二部の組手では、隼人と当たった。


「来い!」


「そっちこそ!」


 竹刀がぶつかり合う。


 何度も何度も稽古してきた相手。


 互いの癖も、得意技も、全部知っている。


 だからこそ、全力を出すしかない。


「メン!」


「ぐっ……!」


 僅差で、俺が一本取った。


 会場がどよめく。


「やるじゃねえか」


 面を外しながら、隼人が笑った。


「スカートはいても、踏み込みは鈍ってねえな」


「当たり前だ」


 汗で額がじっとり濡れている。


 でも、その汗は嫌いじゃなかった。


 ◇ ◇ ◇


 そして、第三部「心」。


 小さなステージに、マイクが一本だけ置かれている。


「出場番号七番、桐島真君」


 また呼ばれる。


 体育館の視線が、一斉に集まる。


 足が、少し震えた。


(――怖い)


 でも、それでも。


 マイクスタンドの前に立つ。


「桐島真です」


 声が、スピーカーを通して体育館に広がる。


「俺は、ずっと“男らしさ”ってなんだろうって考えてきました」


 父さんの背中。


 道場の汗臭さ。


 スカートの裾。


 ライトに照らされたステージ。


「昔は、“泣かないこと”だと思ってました。弱音を吐かないこと。人前で取り乱さないこと」


 観客席のどこかで、父さんが見ている気がする。


「でも、最近思うのは――“怖いって言えるのも、男らしさ”かもしれないってことです」


 息を吸う。


「正直言います。今、めちゃくちゃ怖いです。午前中に竹刀振って、午後にはスカートはいてアイドルやりますって言ってる自分が」


 笑いが起きる。


「“大臣の息子のくせに”って言われるかもしれない。“男らしくない”って笑われるかもしれない。怖くて、泣きそうな夜もあります」


 星羅の顔。

 隼人の顔。

 玲央の顔。


 みんなの顔が浮かぶ。


「でも、一番怖いのは、“本当はこうしたい”って気持ちから逃げることだと思うんです」


 マイクを握る手に、力を込める。


「だから俺は、“竹刀を振る自分”も、“スカートはいてステージに立つ自分”も、どっちも“男らしい”って言えるようになりたい」


 体育館が、しんと静まり返る。


「それが、俺の“真(しん)のマスラオ”です」


 言い終わった瞬間、一拍の沈黙。


 そして――


 嵐みたいな拍手が、体育館を揺らした。


 ◇ ◇ ◇


 結果発表。


「今年の“真・マスラオコンテスト”総合優勝は――」


 司会役の生徒会長が、もったいぶる。


「出場番号七番、桐島真!」


「えっ」


 自分で自分の番号に一番驚いた。


「やったな!」


 隼人が、背中をバンバン叩いてくる。


「いってぇ!」


 女装科ゾーンからも大歓声だ。


「真ver優勝きたー!」「午前からクライマックスじゃん!」「午後どうすんのこれ」


 壇上に上がると、トロフィーと表彰状が手渡された。


 校長先生が、満足げに頷いている。


「君の“真のマスラオ像”、しっかり届きましたよ」


 校長の言葉に、思わず照れ笑いが漏れた。


 視線の先には、玲央の姿。


 拍手をしながら、どこかほっとしたような顔をしている。


 目が合った瞬間、彼は口を動かした。


 ――午後も、頼んだよ。


 声は聞こえない。


 でも、そう言った気がした。


 ◇ ◇ ◇


 午前のコンテストが終わると、俺は一度更衣室に戻り、急いでシャワーを浴びた。


 汗と剣道の匂いを流して、メイクルームへ。


「はい、午前の“漢臭”全部落としていきまーす」


 星羅が、クレンジングオイルを手に取る。


「でも、“男らしさ”は落とさないでね」


「そこは落としようがないから安心して」


 笑いながら、ベースメイクが進んでいく。


 さっきまで竹刀を握っていた手が、今度はマイクを握る準備をする。


「センター位置、確認しとこうか」


 玲央の声が、聞こえるはずだった。


 しかし――


「……あれ? 玲央先輩は?」


 スタジオを見回すと、その姿がない。


「さっきまでいたんだけどね」


 ミカドが、スマホを見ながら首をかしげる。


「“ちょっと父さんと話してくる”って言って、会議室のほうに……」


 嫌な予感が、ぞわりと背筋を撫でた。


「電話してみる」


 星羅が、玲央の名前をタップする。


 数コール。


 ……出ない。


「ラインは?」


「既読つかない」


 胸が、きゅっと縮む。


(まさか、グローバル配信のほう――)


 そのとき。


 スタジオのドアが開いた。


「真」


 入ってきたのは、百合ヶ咲先生だった。


 いつものゆるい笑顔は、少しだけ真面目モードになっている。


「ちょっと、いい?」


 控室の隅に呼ばれる。


「……朱雀院くんの件だけどね」


 来た。


「さっき、校長室で会長さんとかなり熱めの議論をしててね〜」


「熱め」


「結論から言うと――」


 先生は、息を吸い込んだ。


「“グローバル配信のほうを優先する”ってことで、いったん話がまとまっちゃった」


 頭が、真っ白になる。


「つまり、玲央先輩は……」


「現時点だと、午後のステージには出られない。少なくとも、最初からセンターって形では」


 視界の端で、星羅たちが顔を見合わせている。


「そんな……」


 さっきまで浮ついていた心が、一気に地面に叩きつけられた。


「でもね」


 先生は、そこでニッと笑った。


「だからって、ステージが止まるわけじゃない。劇場版でよくあるやつよ。『主役が倒れても、舞台は続けなきゃいけない』みたいな」


「例えが生々しい」


「で。舞台監督兼オタクとしての先生の判断なんだけど」


 先生は、俺の目をまっすぐ見た。


「センター、あなたでいい?」


「……俺」


「午前、“真・マスラオ”の頂点取ったでしょ。だったら、午後の“ドリームアイドルステージ”でも、両方繋ぐ顔になりなさいよ」


 心臓が、ドクンと跳ねた。


 午前、竹刀を握って優勝した自分。

 午後、スカートでマイクを握る自分。


 玲央と一緒に、両方見せるはずだったステージ。


「……玲央先輩は、それでいいんでしょうか」


「さっき、ちょーっとだけ話してきたけど」


 先生は、肩をすくめる。


「“真になら任せられる”って顔してたわよ」


「顔?」


「言葉にすると、たぶん会長にまた何か言われるからね。顔だけで言ってた」


 どんな顔だ、それ。


「でもまあ、選ぶのは真だよ」


 先生は、真面目な顔に戻った。


「センターに立つってことは、拍手も矢も全部まとめて受けるってこと。午前の“真・マスラオ優勝者”の肩書き背負ったまま、午後も行ける?」


 怖い。


 怖いに決まってる。


 全国放送も、ネットも、父さんも、朱雀院家も。


 みんなが見ているステージのセンター。


 でも――


(怖いから、逃げる?)


 さっき、自分で何を言った。


 「怖いって言えるのも男らしさ」?

 「怖い気持ちから逃げない」?


 有言実行しないと、ダサすぎる。


「……やります」


 気付いたら、口が勝手に答えていた。


「センター、やります」


 先生が、にっと笑う。


「その顔が見たかった」


 その瞬間、スマホが震えた。


 玲央からだった。


『ごめん。今、どうしても外せない話し合い中』

『たぶん開演時間には間に合わない』

『でも』


 “でも”のあとが、少し間をおいてから届く。


『君がセンターに立つなら、どっちを選んでも後悔しないと思う』


 胸が、ぎゅっと締め付けられる。


 スクリーン越しの文字が、泣きそうなくらい優しく見えた。


『午後、ちゃんと見てる』


 どこからかは、書いてない。


 でも、それで十分だった。


『――了解。全部、見せます』


 そう返信して、スマホをポケットにしまう。


「星羅!」


「なに!」


「センター位置とフォーメーション、全部教えて!」


「りょ〜かい!」


 女装科スタジオが、一気に戦場モードになる。


「マコちゃん、午前の“男道オーラ”ちょっと残しつつ、午後は“センター姫オーラ”足してくからね!」「ウィッグ強度上げとくわ、ジャンプしても飛ばないように」「メイク、ライト耐久仕様にする?」


「全部、ください」


 笑いながら言う。


「男らしさも、可愛さも、センターオーラも。どうせなら全部欲張る」


 鏡の中には、さっきまで道着を着ていた少年がいる。


 これからスカートをはいて、ステージに立つ。


 その“間”にいる自分が、少しだけ好きだった。


 ◇ ◇ ◇


 開演五分前。


 体育館は、午前とは違う熱気に包まれていた。


 ステージのライトが、眩しいほどに輝いている。


「トップバッターは、もちろん――」


 裏から司会の声が聞こえる。


「マスラオ祭特別ユニット、“M²(エムツー)”!」


「エムツー?」


「“真”と“マコ”のM²だよ!」


 星羅が嬉しそうに耳打ちする。


「ユニット名、勝手に決められてた……」


「はい、センター行って!」


 背中を押されて、ステージ袖まで出る。


 客席のざわめき。

 ライトの熱。


 センターの一点が、空いている。


 本来なら、そこに玲央が立つはずだった場所。


(――大丈夫)


 胸に手を当てる。


 午前のトロフィーの重さ。


 父さんの言葉。

 玲央のメッセージ。

 隼人の背中。


 全部、まとめて抱えていく。


「行ける?」


 星羅の声。


「行く」


 俺は、一歩、前に出た。


 カウントが聞こえる。


 ――三。


 ――二。


 ――一。


 幕が、上がる。


 まぶしいライトの向こうに、無数の視線。


 俺の男道と、スカートと、マイクと。


 全部抱えたまま、ステージセンターに立った。


 空席だったはずの場所は、もう“空席”じゃない。


 ここから先は、歌とダンスと言葉で、全部見せてやる。


 マスラオ祭の午後が、こうして幕を開けた。

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