星が降る ーシャンドラン家の記憶・ユニオノヴァ外伝ー

KANA.T

星が降る

「“星が降る”って感覚わかる?」


 不意に投げかけられたマヤの問いに、ヴィクトルは肩をすくめてみせた。地上に行ったことのない彼にその光景は想像できない。


「文章の表現としてなら。」

「そう……」


 無限の空間に散りばめられた無数の光の粒を、マヤは寂しそうに見やり、口を噤んだ——。


 二人はシャンドラン家別邸の屋上に寝そべっていた。


 眼前に広がる果て知れぬ暗闇に、所狭しと散らばる大小の光の粒は、地上から見る星々の姿とは似ても似つかない。


「リューンから見る空は、星が張り付いたみたいに光って、星も流れない。」


 ヴィクトルは相槌すら打たず、手を頭の後ろに組んで寝そべったまま真上の空間を見つめていた。


 リューンは衛星要塞都市ユニオノヴァを構成する自然衛星の一つだ。リューンに限らず、衛星から見る宇宙は皆同じだ。光の粒には大小こそあれ、どれひとつとして瞬かず、流れ星など起きようはずもない。


 マヤの言葉を無視するつもりはないが、彼にとっての夜空とは、まさに目の前に広がる漆黒に張り付く光の集合体。


 地上で生まれ育ったマヤの言葉だけで、彼女の知る空をイメージするのは難しい。


 星が流れるなど、映像でしか見たことがない。言葉がすぐに出てこなかった。


「地上から見る空って広いんだ……空は青くて、夜は星がキラキラと瞬いて、今にも地上に星が降ってきそうに見える。本当に流れ星が降ってくることも……」

「ああ……それなら、知ってる。」


 マヤは勢いよくガバッと体を起こして、ヴィクトルの方に顔を向ける。


 初めて会話が続きそうだ。マヤの郷愁は一瞬にしてどこかへ吹き飛んだ。


 ヴィクトルのところに引き取られて約一ヶ月。ようやく会話の糸口が見つかるかもしれない。無愛想で無表情で数語で終わる会話から抜け出せるかもしれない。


 マヤは身を乗り出して、ヴィクトルの瞳を覗き込んだ。


「ほんと?知ってる?」

「ああ、全部大気圏が引き起こす現象だろ?」


 ヴィクトルは無表情のまま、マヤに顔を向けることもなく答えた。


「大気圏?」


 予想外の言葉にマヤは目を丸くする。想像しなかった方向に会話が転がり始めたようだ。


「空が青いのは、波長の短い青い光が大気分子で散乱されるから。星が瞬くのは大気の揺らぎで光が屈折して見えるからだ。強風で大きく大気が乱れれば、瞬きはさらに増える。流れ星は微小な隕石が大気圏で燃え尽きる現象。空が『高く見える』と感じるのは、地球の大気圏の特性による視覚的な効果…」

「も、もういいよ!」


 ヴィクトルから溢れ出る知の洪水に押し流され、マヤは声を上げた。


 表情豊かなマヤを横目に、彼女を引き取ってから毎日のように感じる不思議な感覚が、再びヴィクトルの中に訪れていた。


 胸の奥にジワリとした感覚を覚え、温もりが全身に広がっていく。それは日に日に大きくなり、最近はくすぐったささえ伴うようになっていた。


 今日は昨日にも増してくすぐったい。思わず頬が緩んだ——。


 ヴィクトルの口元にマヤの目が釘付けになった。そこには、初めて見る彼の微かな笑みが浮かんでいる。同時に、心臓が突然きゅっと何かに摘まれたような感覚を覚え、彼女は言葉を呑み込んだ。


 普段は数語でやり取りが終わると、すぐに次の話題を振っている。おそらく今もそうするべきだろう。そうしなくてはヴィクトルを不安にさせるかも知れない。だが、何を言ったらいいのかが全く頭に浮かばなかった。


 マヤがおとなしくなった——ヴィクトルは横目で彼女の様子を窺うと、神妙な面持ちで上半身を起こし、片膝を抱えて俯いた。


 なぜ急に黙ってしまったのだろう。怒らせたろうか。自分との会話に疲れてしまったのだろうか。知識をひけらかしているように見えたろうか。呆れたろうか。


 なぜか色々とネガティブな思考が頭を巡る。考えれば考えるほど、胸の辺りがザワザワと騒がしくなり、落ち着かない。ヴィクトルは目を閉じると小さく息を吐いた。


「ごめん、困らせたかったわけじゃない。多分……羨ましかったんだ。」

「羨ましい?」

「ああ、僕の知らない世界を、君が知っているから……」


 沈黙の意味を誤解してる——マヤは穏やかに目を細めると、ヴィクトルの顔を覗き込んだ。


「今日はお祝いしよう!」

「何?急に……」


 全く想像だにしなかった突然の提案に、ヴィクトルも思わずマヤに顔を向けた。目に飛び込んできたマヤの笑顔につられて、ヴィクトルの口角が思わず上がる。


「お祝いって、何の?」

「ヴィクトルの笑顔が見られた日。」


 ヴィクトルの表情がストンと真顔になった。しかしその表情は不思議と先ほどまでの無表情とは違っている。少なくとも、マヤにはそう見えた。


「笑顔?僕が?」

「うん!二回、見せてくれた。」


 マヤが嬉しそうに元気よく頷くと、ヴィクトルは頬を両手で覆い、俯いた——僕に……感情が残ってる?


「可愛かったよ。」


 マヤの追い打ちにヴィクトルは片膝を抱え直し膝に額をつけた。顔は見えないが耳が赤い。それに気づき、マヤは「あっ!」と声をあげて満面の笑みを浮かべた。


「照れてる!」


 ヴィクトルは俯いたまま無言で首を横に振って応えたが、表情は穏やかだ。マヤはその姿を満足げに見つめてから、ふと目の前に広がる星の海に顔を向け、目を見開いた。


「ねぇ、ヴィクトル……」

「ん?」

「星の数増えた?」

「そんな簡単に増えないよ。」

「でも、さっきより明るく見える気がする。」


 マヤに言われて顔を上げると、ヴィクトルは僅かに目尻を下げ「ふっ」と息が漏れた——あり得ない話だが、マヤの言う通りに見えた。だが、口に出さず胸の中にしまっておきたいようで、言葉が素直に出てこない。


「そうかな。」

 

 彼の言葉にマヤが「やっぱり、そんなことないか……」と少し照れくさそうな笑みで応え、会話は途切れた。


 二人の間に優しい静寂が舞い降りる。しばらくの間二人は言葉なく、どこまでも続く星々を見つめていた。

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