006 「……頑張らないとな」



 翌日の午後は、二時間連続の体育だった。


 ダム、ダムと、ボールが床を叩く音が響く。

 壁に背を預けて、侑弦は女子側のコートを眺めていた。


美湖みこちゃーん! 行けーっ!」


 クラスメイトの声に応えるように、天沢あまさわ美湖は姿勢を低くし、コートを駆けた。

 大きなバスケットボールを手足のように操り、立ちはだかる相手チームの女子をひとり、またひとりと華麗にかわす。

 美湖の表情はイキイキとして、目が輝いて見えた。


「シューーート!」


 また声が上がり、同時に美湖もボールを掲げた。

 トンっと踏み込む音が鳴り、美湖の身体がふわりと浮き上がる。

 そのまま放たれたボールは、ゴールリングへと吸い込まれるように、美しい弧を描いた。


 パサッ、とネットが静かに揺れる。

 直後、敵味方問わず、周囲に「わぁーーーっ!」という歓声が広がった。


「さっすが美湖ちゃーん!」


「天沢さん、カッコいー!」


「結婚してくれーっ!」


 コート外から、次々にそんな野次が飛ぶ。

 最後のそれは、さすがに自重しろ。

 口には出さずに苦笑しながら、侑弦ゆづるも恋人に拍手を送った。


 今日の授業は、美湖のクラスと合同での、バスケットボールだった。

 それぞれ男女ごとに二チームに分かれ、総当たりで試合をする。


 そして休憩時間、隣のコートが騒がしいかと思えば、天沢美湖が躍動していた。

 まあ、もう見慣れた光景なのだけれど。


「相変わらず、上手いな……」


 今度はレイアップを決めた美湖を見て、思わずそうつぶやく。


 特別身長が高いわけでも、筋力があるわけでもない。

 けれど美湖は、持ち前の運動神経と頭のよさで、どんなスポーツも部員並みにこなす。

 チームスポーツも、個人競技も、格闘技も体操も、なんでもだ。


 絵に描いたようなハイスペックだなと、侑弦は半ば呆れたように息を吐く。

 彼氏としては、平凡な自分が情けなくなる。

 もちろん、美湖の活躍に対する喜びの方が、ずっと大きいのだが。


「侑弦、入れよ」


 と、不意に名前を呼ばれて、侑弦はそちらに顔を向けた。

 松永まつなが玲逢れおが手招きし、先にコートに入っていく。

 いつものピアスははずし、汗で髪が崩れていた。


 そっちの方がいいのに、と思う。

 外見と言動で損しているが、玲逢は悪い男ではない。

 少なくとも、真面目な侑弦と友人を続けられるくらいには。


 コートに立つと、すぐさま笛が鳴る。

 受け取ったボールをドリブルして、侑弦は考えた。


 ゴール下にひとり。パスコースは空いているが、相手のマークがある。

 サイドに、玲逢がいる。

 力が抜けて、側から見ればあまり、やる気がなさそうだ。


 けれど――。


「お?」


 侑弦が目配せすると、玲逢はニヤリと笑った。


 直後、床を鋭く蹴って、玲逢がコートを駆け上がる。

 それを横目に捉えて、侑弦は斜め前に低いパスを投げた。

 誰もいない。一見すると、パスミスだ。

 だが次の瞬間には、玲逢がボールに追いつき、長い手を伸ばしていた。


「ナーイス、侑弦」


 体勢を整える間もなく、玲逢は掴んだボールを片手で放った。

 バックボードに当たったボールが、リングに吸い込まれる。

 チームメイトが駆け寄り、玲逢とハイタッチをしていた。


 あいつらしい曲芸だな。

 そんなふうに呆れながらも、侑弦は小さくガッツポーズを作った。


 美湖や玲逢と違って、役目が地味だ。

 まあ身分相応という感じがして、嫌いではないけれど。


「侑弦ーっ!」


 と、コートの外から、聞き慣れた声がした。

 ピクッと身体が跳ねて、反射的にそちらを見る。

 すると、天沢美湖が笑顔で飛び跳ねて、こちらに手を振っていた。


「ナイスパス!」


 グッと親指を立てて、美湖が言う。

 途端、刺すような視線が、周囲から注がれるのを感じた。

 それも気にせず、美湖ははしゃいだ様子で、また侑弦の名前を繰り返す。

 よく見ると、腕には侑弦のタオルと水筒を、勝手に、大事そうに抱えていた。


 恥ずかしい。それに、気まずい。

 そう思ったけれど、やっぱり嬉しい気持ちも少なからずあって。

 控えめに手を振り返してから、侑弦はまた前を向いた。


 九月から生徒会長になった、天沢美湖。

 ますます人気を上げた彼女の恋人は、荷が重いだろうな。

 クラスメイトにまで睨まれながら、侑弦は小さくため息をついた。


 ――まあ、だからといって。


「……頑張らないとな」


 天沢美湖との関係は、変わらない。変えるつもりもない。


 交際を申し込んだ、あのときから。

 こういう立場になることは、侑弦には予想も、覚悟もできていたのだから。


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