機械のくせに、人間故に

びあんこ

機械のくせに、人間故に

…―ッ、ビーッ、ビーッ、ビーッ‼


「ふわっ…くはぁー…」


虚ろなまぶたをしばたかせ、疲れの抜けない身体をその場で伸ばす。


「もう四時間か、うっ、吐き気が…」


「タツ、悪いけれど、早くそのアラームを止めてもらえないだろうか」


「あー…うん」


浮遊感と共に生活をするというだけで、常人にとっては苦痛が伴う。まして、そんな環境下で睡眠時間を制限され、狭い船内で日々を過ごすとなれば、いかにそれが困難を極めるかは想像に容易い。

しかし、かのストレス下でありながら、宇宙飛行士志望の試験に参加する天野彩人は、何食わぬ顔で淡々と寝起きの準備に取り掛かっていた。


「寝起きが弱いのは相変わらずか」


「試験が始まってから早数日、いつも起こして貰っておいてこんなこと言うのもあれだけど、このインターバルの睡眠ですぐ活動できる方がどうかしてると思うよ、普通」


「そのうちタツも出来るようになるはずだ」


身体を投げ出されないようにする拘束式のスリーピングバッグを脱ぎ、今日のタスクを確認しようとタブレットに伸ばした竜輝の手が、その刹那、ピタリと止まった。

竜輝は目を細め、相方の方へ顔を上げる。


「…」


険しい視線が向かう先、彩人は顔色一つ変えることなく、言ってみろとばかりの挑発を込めた瞳を向けてくる。


「それってさ…おやじの七光りって意味で言ってる?あいつが飛行士だからって、俺も当然になるって」


「なぜ、そう思ったのかを、聞いてもいいかい?」


竜輝の言葉を遮るように、彩人は短く、しかし彼から目をそらすことなく受け答えた。

あまりに真っ直ぐな瞳が竜輝を貫き、竜輝は咄嗟に顔を伏せてしまう。


「機械のくせに…」


消え入るような声が、小さな船のエンジン音に飲み込まれていった——




—今話題沸騰中の〇〇惑星、新たな生物や資源が見込まれるとして、世代を問わず注目が集まっています。本日はその惑星への探査チームに、我が国として唯一抜擢された宇宙飛行士、日南亮平さんに話を伺っていこうとおも—


ピッ。

端正な笑みをお茶の間に届けるアナウンサーの表情が、力が抜け、退屈そうに不貞腐れた少年の顔へと暗転する。


「父さんなんか凄くもなんともない」


竜輝の父は有名人だった。優秀で聖人君子、非の打ちどころのない人物として、地元ではある種英雄のように扱われるほどに。

そんな彼の一人息子として生を受けた竜輝にとって、父は憧れであり、枷でもあった。


幼い頃は純粋に夢を見ていた、父の背中を追うんだ、自分も飛行士になってみせるのだ、と。その夢と生い立ちが、竜輝の今を決定づけるともその時は知らずに。


中学に上がるころから、周りが自分を見る目が大きく変わった。かつての父は成績がとてもよかった。かつての父は運動でとても秀でていた。かつての父は…

名門と呼ばれる父の母校は間違いなく、息苦しい場所だった。父の背中を追え、というよりはなぞらえろ、とも取れる重圧に耐える日々。

そんなフレーズ、夢に幾度出てきたか、今では数えるのすらやめてしまった。


こうあれ、という期待は、苦しいという言葉では語り切れないが、それでも竜輝は死に物狂いでくらいつき、ついには飛行士の候補生として選抜されたのだった。


「ついに来た、閉鎖環境訓練…」


明日はそんな候補生としての関門として名高い、コックピットを模した船内での生活訓練だ。宇宙空間同様の無重力空間を完全再現するらしく、昨年から開始した新しい試験でもある。その実施を知らせる郵便がついに、彼の元にやってきた。


「ハサミハサミっと…あ、これだ。試験内容の用紙。…って何だこれ、重要情報?」


封筒に入る要項の書類を見ようと中身を少し雑に取り出すと、青色に染まる一枚のA4用紙が手元からはらりと零れ落ちた。



〝重要情報


今回をもって二回目となる閉鎖環境試験、様々な適正要素を図る目的と、前回一回での試験内容は過酷さ故、緊急のトラブルにより、脱落者が多く出たことを加味し、試験について一点、追加・変更を行う。

   

  —変更・追加内容—

   

   本試験は、受験者二人一組での実践的な環境を想定する趣旨に基づくもので  

   ある。しかしながら今回の試験は、受験者一人で試験に挑んでもらう。

   

変更点は以上。過酷を極める試験だが、受験者諸君も試験の趣旨に則り、遺憾なく実力をアピールすることを期待する〟



竜輝は自室で一人、紙をうるさく動かし、試験内容と、この用紙を交互に何度も見返した。

訓練や試験が今までと変更になることは、今までもままあった。だが、ここまでの大幅な方針転換は経験がなかったので、かつてなく動揺を呼んでいた。

試験がどんな形で行われるのだろう…一人でやるからこそ求められる能力は?試験の意図は?考えが巡り巡る。


そうして貴重な試験前日を苦悩に費やし迎えた当日、驚きの光景を目にすることになった。


「やあ、初めまして。君が日南竜輝君であっているのかな、今日はよろしく頼む」


「え?あぁ、よろしく…?」


「そうだ、自己紹介がまだだった。僕の名前は天野彩人、天野でも彩人でも、呼びやすいように呼んでくれて構わない」


「ああ、じゃあ…彩人で」


「わかった。僕は君を何と呼べばいいだろう?」


「それは…そっちと同じで。好きに呼んでくれていいよ」


竜輝は最初こそ違和感を抱いていたものの、きっと同じ時間に別室で試験を共に受ける戦友なのだと途中で考えつき、気づくと勝手に親近感を抱きながら会話に花を咲かせていた。


「そろそろ時間だ、試験会場に着替えて入るとしよう」


彩人の一言を皮切りに、二人は会話を切り上げ、自分の準備に取り掛かり始めた。

そこからの記憶はもはや無かった。ただ漠然とした高揚感と緊張感に揉まれ、試験部屋の目の前に自分がいたのだから。

試験用の施設から出るモーターが鳴り響いていた。竜輝はそれさえ吹き飛ばす思いで強く一度だけ深呼吸をし、ドアをくぐった——


「さっきぶり、改めてになるわけだが、しばらくの間よろしく」


「彩人、なんでいるの…?」


「試験があるから、としか答えようがない」


肩をすくめる仕草を見せ、首をかしげてこちらに視線を向けてくる。


「もしかすると要項を見落としているんじゃないかと思ったんだけど、変更点とか聞いてるかな」


「心配無用だ、その全て、一字一句を頭に入れてきている。もし心配なら暗唱してみせ」


「いやっ…それは大丈夫。なるほどね、なるほどなるほど。うん、ごめん、さっきのは気にしないで。それじゃあ一旦、やっていこうか」


片手で顎を支えるように触り、少し悩む素振りを見せた竜輝だったが、逡巡の末、いくつかの仮説にたどり着く。

しかし、そのどのパターンでもグダグダするだけ悪手にしかならないと結論付いたので、トラブルを想定しつつ、一度進行してみることにした。



そこからは、竜輝が思いつく仮説の全てを試す時間が始まった。


まずは本当に彼が自分と同じ候補生であり、誤って同じ船内に居合わせている説、これはすぐに否定できた。

開始から数時間、船内はリアルタイムに見られ、評価されているはずだ。進行において意味を成さないトラブルがあれば、監督側から何かしらのアクションがあるはずなので、すぐにこれが想定内の出来事だとわかった。

ならば舞台装置のような扱いなのかとも考えた。

前提として受験者は自分一人のはずだ。ならば目の前の人物は受験者でない何者かと推論する能力と、となれば不当に船に乗り込んだことになる侵入者へどう当たるかの対応力を見ているのではないかと。

しかしこの試験でやる意味がないし、何しろ本人が口にしたことがどうにも気になる。


「彩人って試験の関係者なんだよね」


「ああ、その通り」


「封筒に入った試験についての用紙って何枚あった?」


「封筒…?届いた覚えがない」


試験内容を熟知しながら、参加者ならば送られるはずの封筒が来ていないと彼が断言したとき、竜輝は口角が自然と緩むのを感じた。


「イケる…」



「これで今日のタスクも一通り完了」


「相変わらずはっやいね、もはやプロ並みじゃん」


「プロ並み、か…。周りにはもっと早いのばかりだったから、そんなこと…一度として考えたこともなかったよ」


早朝の軽い衝突もなんとか胸の内にうまく収め、二人は手慣れた様子で課されたタスクに黙々と取り掛かっていた。

彩人は一足先に区切りがつき、誰に言うでもなくそれを口にしながら軽い伸びをした。

身体を宙に軽く広げながら、相方の方に視線をやると、ふわふわと浮いた数々の道具に囲まれる竜輝の姿があった。


「凄い散らかりようだけど、大丈夫かい?」


「…あぁ、もう、わかったからね」


彩人は竜輝に言葉を続けようとして、すんでのところで止めた。食い入るようにタスクに向き合う彼の邪魔をするわけにはいかなかったのだ。

自然と目が引かれ、そんな様子に視線を向けていると、目の前を無機質な板状のものがゆっくりと覆ってくる。反射的にそれを手に取ると、右手にはタブレットが収まっていた。


「これは…亮さんの」


手に取ったそのタブレットが勝手に画面を立ち上がり、一枚の写真が浮かび上がる。見ると、数年前のとある記念式典に出席した父、亮平氏が笑顔を向けていた。


「どうかし…?はぁ⁉なんで俺の、ちょっ、返してっ!ってか、勝手に見ないでほしいんだけど」


「なぜ、そんなに慌てるんだい、この業界を志す多くの人の憧れで、何しろ他でもない君の御父上だ、恥じることなんて何一つとして」


「恥じている訳ないだろ!むしろ恥だったほうが幾分よかったよ!なんのつもりだよ、わかった風な口きいてきて…ったく、これだから…」


彩人の肩が微かに揺れ、船内にこれ以上ない緊張が走る。


「っ…鬱陶しいことこの上ない、耳が痛くなるようだよ」


「なっ、彩人おま」


「なぁタツ、君はなぜ、そんなにも御父上のことを恐れるんだい?」


「恐れる…?笑わせないでよ、俺のどこが恐れているように見えるって」


「全てだ。比較されることは愚か、話題に出すことにさえ行き過ぎた反応を示す君は、父の偉業そのものに怯え、震えているようにしか見えない」


「それは…彩人の推測であって、俺の心なんて図り切れないわけで、」


「あぁ、知る必要もないからそこはどうだっていい。しかしだ、タツの言動、特にある点について、整合性が取れていないんだ」


「へぇ、言ってみなよ」


「御父上を強く拒絶しながらに、なぜ君は宇宙飛行士になりたいと夢見る」


「それは…その」


「君が否定したいのは本当に御父上なのだろうか。それが違うことに、自分でも気づいている人間は概して、そういう言動を取るものだからね」


竜輝は俯いたまま黙り込んでいたが、やがて恐る恐る顔を上げると、彩人と目が合った。ずっと、彩人は目線をどこかに逃がさず待っていた。そしてただ一度、ゆっくり頷いた。


「俺、小さい頃さ、おやじから飛行士のこといっぱい聞いたんだ。綺麗な星や見たことない砂、誰も見たことないものを、世界で初めて見るのが俺たちなんだって。しかも、そんな特別な旅で見つけたもので、多くの人助けも出来るから一石二鳥だろって。子供の頃にそんなこと言われたら、自分もそんな職業に就きたいって思うじゃん。」


遠い目をしていた竜輝は、急に押し黙り、深く息を吐いた。


「でもさ、俺が大きくなるにつれて、周りは〝おやじみたいな〟宇宙飛行士になれって言ってきた。俺の目指した飛行士への道のりを、勝手な枠に押しはめて、その道から外れることを許してはくれなかった。今じゃ、歩きたい道も忘れて、原点だったおやじを否定することに躍起になっていたんだろうな…」


「でも、御父上が嫌いってことではないんだろう?」


彩人に向いていた竜輝の瞳がそっと逸れ、口元がかすかに緩んだ。


「…ただ、そうすることでしか、自分を許せないんだ。自分は自分でいい、心にたぎるこの想いは間違ってないんだって、叫ぶ方法がこれしかなかったから」


「そうか」


「それでも、君は志願者として選抜され、今ここで過酷な試験に挑んでいる。胸に秘める原点が君をここまで連れてきたんだ。言われたから、七光りだから、なんて事由でここまで来れるなんて、むしろ他の志願者を馬鹿にしているのかい?」


「そんなつもりはっ」


天井の手すりに手をかけ、軽く勢いをつけ、竜輝の元へ進んでいく。


「ないのだろうね、わかっているとも。うるさいものだ、周りというのは概して。しかしなればこそ、耳を傾けるべきは周りではなく、自分の一番熱いところじゃないのかい」


彩人は竜輝の周りに浮かぶ物たちを丁寧に避け、真正面から二人が相対する。

障害のなくなった空間を突き破る様に、彩人は拳を前に出し、竜輝の胸に軽くあてる。


「今のタツにとって、歩きたい道は、一体どんなものなのか教えてくれ」


「今の、か…そうだな。俺は——」




革靴が固い床を叩く音が、長く続く廊下に走る。


「萩村君、肩入れしすぎじゃないかね?」


「おぉ、びっくりした。お疲れ様です、結城さん」


疲れののしかかる身体を久々に労えると、解放感に浸りながら部署のロビーをくぐると、そこには萩村の上司、結城が待ち構えていた。


「ひとまず試験お疲れ様。もう五人目が終わったわけだが、身体の方はどうだね」


「ええ、流石にくるものがありますね。昔を思い出すようですよ」


もう若くもないですし、と萩村は付け加え、肩をすくめて笑って見せる。


「だからこそ、日南君のとこのせがれに、自分を重ねるところがあった、と」


「受験者皆に思っていますよ。ただ、試験官としての立場は弁えているつもりです」


「…、君と日南君は仲が良かったからね、だからこそ病気で前線を離れることになった君にとって、この仕事は酷だったんじゃないかと、思うところもある」


「亮さん、いや、日南さんに言ったことを、まさか自分が言われる側になるとは思いませんでした。こんな形で数年前を思い見る機会なんて、そう無いと思っていたんですが」


「これからの人生、そんなことだらけだから、覚悟しておくといい」


そう言い残し、結城さんは片手をあげながら、部屋を後にしていく。


しかし、結城にああ言った手前、事務的であろうとしながらに、竜輝の前で若干感情的になっていたことを否めず、萩村は何度目とも知れず試験を振り返る。


(そっちの憶測で、自分の心なんかわからない、か…

そう吐き捨てた時の気持ちなんか、痛いほどわかっている。知るまでもないほどに。僕もまた、かつての亮さんのように、後釜の助けになれたろうか。)


「そうだ萩村君、偽名は好きにしろと言ったのは私だが、なぜあれにしたのかね」


もう行ってしまったかに思った結城の姿が、振り返るとそこにはあった。。


「ユーモアですよ、単なる」


「それは一体…?」


「あぁいえ、私なりの彼らへのメッセージ、といった所です。彼らを採点する者としての」


今時、名前でアナグラムをするなんて安直だと、苦笑しながら編み出したのが「天野彩人」という名前だ。しかし、そのくだらなさを、飛行士の在り方の一つにしたいというのが、萩村なりのエゴだ。というのも、発想力や柔軟な思考こそが、今この職業に最も求められているように思うのが、萩村の所感である。

常に異なる正解を求められる彼らを一番近くで見る者として、自分の考える一つの正解を堂々と示したい、その想いを胸に、次の試験へと足を向ける。

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