「青より青い空の下、赤より赤い感情を抱いて」

@BeEAT

第1話「饂飩の街で」

 残暑が肌にまとわりつく夏の終わりに、私はこの高松という見知らぬ港町へと流れ着いた。ついこの間まで、生活の全ては京都の建設会社の独身寮という狭い箱の中に収まっていたというのに。

事の経緯は、追って話すが、叔母の残してくれたわずかばかりの遺産を頼りに、ここ高松での生活を始めたのだった。


 見知らぬ土地とは言え、高松には少なからず馴染みの友人が住んでいるので、

住居が決まるまでは転々と居候をして回った。

京都では過酷な労働に日々を忙殺され、遊びはほとんどやらなかったが、今では先述の叔母の遺産を切り崩しながらのだらけた日々を過ごすばかりだった。

そんな中、友人の紹介でとあるスナックへと足を踏み入れた。店の名は“Luna(ルーナ)”ラテン語で月を意味するらしい。

さほど広く無い店内は照明が明るく、およそ私の知るスナックのイメージとはかけ離れているように感じた。元来人見知りで、特にはじめての店などは私にとっては敷居が高すぎるのだが、県民性の成せる業なのかどの人も心から私を迎え入れてくれた。

ある事情で心に傷を負い京都を離れた私にとっては、楽園のようにさえ思えた。

付け加えてまた、京都の勤務先では身も心も鎖に繋がれたように生きていたため、タガが外れたように遊びに興じてしまい、ひと月ふた月...店が休みの日以外は毎日Lunaへ通い詰めた。

さしづめ竜宮城で宴に興じる浦島太郎のように。

その頃には3桁を越える金額がグラスの氷と共に溶けていった。

「収入は無いが貯金はある」がしかしそれほど多くの蓄えがあるわけでも無く、次第に現実との擦り合わせに頭を悩ませるようになった。

居候先の友人も私のその挙動にほとほと呆れ返っていた。

10月に入り、それまで週のほとんどをLunaで遊んでいたが、徐々にその回数を減らし、すぐにでも仕事に就けるよう準備を始めた。

この頃には住居も決まっていた。土地柄車が無いと不便ではあるのだが、すでに車を所有する余裕はなくなっており、そのことがますます私の焦燥感を募らせるのだった。


 さて、何故にこれほどまでにひとつの店に通い詰めたのかを話そう。

たしかに、それまでの生活からの解放からというのも理由のひとつではある。

さる事情から抱えてしまった心の穴を埋めるのに必要だったとも。

とはいえ、短期間に財産が底をつくほどの散財したのには別の理由があった。

“カンナ”という女性との出会いがそれだ。

髪は長く小柄で細身、可愛いと美人が丁度良いバランスで共存しているそんな見た目の女性。

カンナはLunaのキャストの1人で、週のほとんどをオープンからラストまで、働いている。

年齢は29歳。

独身バツイチ。

3人の子を持つシングルマザー。

男女問わず甘え方が絶妙で、酔いが進む毎にその魅力に拍車を掛ける。

本当にお酒が好きらしく、日々何かに追われるかのように酒を呑み、ほぼ毎日記憶を無くしている。そんな少し抜けたようなところも魅力のひとつ。

一方で、子煩悩で女手ひとつで3人の子をしっかりと育てている。

そのギャップがまた私の心を捉えて離さないのだ。

自宅から店までは遠く、店の黒服の送迎が無いと通勤がままならないため、基本的に同伴もアフターも出来ない。そんなカンナに会うためには、私自身が店に足を運ぶほか方法が無いのだ。

これもまた私を浦島太郎たらしめる要因のひとつと言えるだろう。


 それほど夜遊びの経験が無いとはいえ、それなりに年齢を重ねている私。水商売で働く女性に惑溺したところで、そこから見える未来に笑う自分がいないことも十分に想像がつく。ましてや、親子ほどの年齢差。彼女から見て私が恋愛対象になどなるはずも無いのだ。

彼女から見れば、父親ほどの歳のただの酔客。

数多いる客の1人にすぎない。

頭ではわかっているのだけど、あまりにも恋することから遠ざかっていた月日が長かったため、それが本心かどうかもわからない優しさに絆され、忘れかけていた恋心をいたずらに刺激されただけなのだと、酒の抜けた朝方には冷静に思えるのだが、それでも彼女だけは特別で計算では無く、すべて真心なのだと信じる自分を否定出来ず、それを確かめたくて、また今夜も高松の夜の街へと足を向けてしまうのだった。

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