第17話 キスのあと
9月
その後はもう、散々だった。
何が起こったのか理解できない俺と、放心状態の人魚姫。ヤンヤ煩いオーディエンス。
俺が唖然と固まっていると、黒子に扮した生徒に勢い良く下手へ連れて行かれた。
舞台袖には、保健室にいるはずの木瀬が立っており、急いで衣装を脱ぐよう指示され、あっという間に俺は元着ていた服に様変わりした。
まるで魔法が解けたシンデレラのように……。
スタンディングオベーション。
鳴り止まぬ喝采にステージに上がったのは王子役の木瀬だった。
白浜も放心状態のまま人魚のヒレで立って、言われるがまま挨拶をしていた。
*
「こうして腹黒王子と人魚姫は真実の愛を見つけ、いつまでも幸せに暮らしましたとさ。めでたしめでたし」
「っっっざけんなよ!木瀬!!!」
俺が怒りを表す舞台裏で、木瀬は軽い調子で俺をなだめた。
「まぁーまぁー!星野ン。怒んない怒んない!殆どのヤツが俺と白浜とのチュウだと思ってるし、袖裏の生徒にも緘口令を引いたから大丈夫だよ!星野ンの顔もベールで見えてないしバレないバレない!」
確かに木瀬の機転で直ぐに俺とチェンジで舞台に上がったため、教師と生徒とのトラブルに発展しなかったのは助かる。
だが、白浜の唇を奪ってしまったことは紛れもない事実であり、謝っても許してもらえる気がしない。
「あー!!!白浜に謝りてーのにあいつ見つからないし、どーしてくれんだよ!」
「そーだよねー。事故だって言っても白浜って意外と乙女だし、どっかで昇天されてるかも」
木瀬が目の前で十字架を作るもんだから、俺はその黄色い頭を盛大に叩いた。
「ったく、白浜は俺が探す!もしそっちが見つけたら俺が探してるって伝えてくれ!」
舞台裏に木瀬を残し、俺は舞台裏から脱兎のごとく体育館を後にした。
*
先に靴箱を確認しようと目的をそこに定めたとき、一人の教師に呼び止められた。
「あっ!星野先生!校長が呼んでましたよ」
「え?」
ドクンっ!
校長は一番前で鑑賞してきた。
あぁ。バレたのかと俺はその教師にお礼を言って、その目的地を校長室に変更した。
移動しながら言い訳を考えていると、校長室に差し掛かったところで、何やら先客の話し声が聞こえる。
トントン。
ノックの後にすぐさま校長の声。
俺は「失礼します」と溢し、目の前の扉を開けた。
その瞬間、「へ?」と素っ頓狂な声を出してしまった。
校長室の応接セットの黒皮のソファに座っていたのは、人間に戻った人魚姫だった――。
*
「白浜…?」
「センセー!!」
「あぁ、良かった星野先生。白浜さん、話聞いてくれなくて」
アッシュグレーの短髪を綺麗にオールバックした初老のダンディは、そう言って眼鏡の奥の優しげな目元を安堵の色に変えた。
俺は叱責されるものだとばかり思っていたので、その様子の校長に意味が分からず、促されるまま白浜の隣に腰を下ろす。
「……えーっと」
俺が口火を切ろうとしたとき、その声を綺麗な声が被せてきた。
「あれは事故です!星野センセーは悪くない!辞めさせないでくださいっ!!」
「は?」
困惑げな顔の校長と、今にも泣き出しそうな白浜。
俺の頭はクエッションで埋め尽くされる。
校長は興奮している白浜を宥めながら、眉根の下がった顔を俺に向けた。
「さっきのお芝居でね。ほら、ちょっと滑ってチュウしちゃったでしょ?」
言い方!
俺は耳元を赤くさせて校長に講義の顔を見せる。
「僕も分かってるから。事故だったって。だって一番前で見てたから。処分も何もしないからって、そう言ってるんだけどね。聞いてくれないのよ、白浜さんが」
ウチの校長は話が長い。
要点をまとめるのが苦手だ。それに加えて空気の読めない白浜。
きっと平行線で話がまとまらないのだろう。
「あー。そうだったんですね。白浜が俺を辞めさせないでと、校長直々に直談判してきたんですね」
「そーなんだよね……」
今にも泣きそうな真っ青な顔の理由がそれ。
俺が解雇されるんじゃないかとの心配。
どこまでも真っ直ぐなその生徒を、俺は柔らかな目で見つめた。
なんと言うか、本当に真っ直ぐで怖くなる。
「大丈夫だから!安心しろって白浜。校長がそう言ってるんだ。信じて上げなさいよ」
「本当かっ!?星野センセーをクビにしないって誓えるか!?」
白浜が今にも掴みかかりそうな勢いで校長に身を乗り出すもんだから、校長はビクンっ!と驚いて体を引いた。
俺は笑いを堪えながら白浜の勢いを止める。
「誓います!クビになんてしません!」
校長はソファの背もたれいっぱいに身を引きながら、右手を挙げて宣誓のポーズを見せた。
「な!大丈夫だろ?安心しろって」
目元の赤い生徒にそう溢すと、やうやく安心した白浜は「良かったぁ……」と言って力なく項垂れた。
こんなにも心配してくれた白浜に、俺の胸はどこまでも熱くなる。
「しかし、星野先生。こんなにも生徒から慕われるなんて羨ましい限りです。僕なんて……」
あっ、スイッチが入った。
これは長くなる。
そう判断した俺は、背もたれで安堵している白浜の腕を掴み上げて立たせる。
「それでは!見回りの仕事がありますので失礼します!」
言うが速いか、白浜を連れてそそくさとその場から退散した。
*
ガチャリ。
数学準備室の鍵を開け、白浜をその部屋に促す。
ちゃんと話したかったから。直接謝りたかったから。
だが本当の理由は、俺の進退を真っ直ぐに心配してくれたことが嬉しかったから。
いつもの席に白浜を座らせ、対面に腰掛けると、バツの悪そうな笑い顔が俺の心臓をくすぐった。
「なんか先走った。ごめんなさい」
ようやく、校長に直談判した重さが分かってきたのだろう。
あんな校長でも我が校のトップだ。生徒が簡単に対峙して良い相手ではない。
「いやー。さすがに今回は驚いたわ。直に校長とは想像できんかった。俺も白浜検定まだまだだな!」
「んだよそれ!」
やっと白浜らしい笑顔が見れて、ホッと胸を撫で下ろす。
更に安心させてやろうと、今回のキスは相手が木瀬だって思われていること。
関係者には緘口令が敷かれていることを説明した。
「……そっか。良かった…」
心から安堵しているその相手の顔を、俺は身を乗り出して覗き込んだ。
「俺は白浜が、キスのことがショックで隠れてんのかと思って、それが心配だったんだぞ」
「――あぁ。確かにびっくりしたけど、キスって言うより痛みしかなかったし…。だけど段々……」
「俺の仕事のことが心配になった?」
どこまでも優しい顔で相手を見つめると、唇を尖らせ俯いたままでコクンと小さく頷いた。
その仕草にじんわりと心が温かくなる。
「センセーがいなくなるのイヤだ…」
ボソッと不機嫌そうにそう溢す、どこまでも可愛いそいつの頭をポンっと優しく撫でた。
「大丈夫。俺はいなくならないから。ずっとお前の側にいるから」
「ホントに?」
その嬉しそうな顔の人魚に俺は呼吸を奪われる。
ドクドクドクドク──。
自分の心臓の音が煩い。
俺はそれを誤魔化すように、大きく咳払いをして白浜の目の前で頭を下げた。
「事故とはいえ、お前の唇を奪ってしまった。ごめんなさいっ!」
「えっ!??なっ!何だよいきなり!頭下げんなよっ!!」
白浜の手が俺の肩に触れ、力一杯頭を引き上げる。
困り顔のその顔をチラッと確認し、俺は気付かれないように小さく息を吐く。
「あれは事故だろ?ノーカンだ!ノーカン!!」
きっと俺を安心させるための一言。
だがその一言は、俺をいじけさせるのに十分だった。
「んだよ!ノーカンって!感じ悪りぃ」
俺は両手を頭の上で組み、ブゥっと唇を尖らせる。
その態度に白浜が動揺する姿が映る。
「え?だって。え??」
俺はガタンと立ち上がり、カーテンの隙間から外の様子を伺う。
数学準備室からは校庭が見える。
文化祭委員会の生徒たちが後夜祭の準備で忙しそうに動き回っていた。
――そのとき。
いつの間にか俺の真横に移動していた白浜が、俺の上着の袖を小さく掴んだ。
「……怒んなよ」
ドッキューーーーンっ!!!!!
眩暈がする。なんだこの生き物は。
その破壊力満点の態度に、俺の不機嫌はどこ吹く風。
小さく唇を窄めた困惑げな顔。
大きな瞳も濡れて艶めいているようだった。
こいつは。俺の気も知らないで、こんな仕草を――!
「怒ってない!拗ねてるだけ!」
「え?なんで?」
手を解こうとする小さな手を慌てて引き止めた。
目をパチクリさせた純粋な存在。大切な光。
――俺は、あの時。あの場所から恋も夢も諦めた。
もう誰も愛さない。そう誓った――
「――んだけどな……」
「へ?」
夕焼けのように真っ赤な白浜に、俺が理性を抑えるためにわざと吹き出すと、間近の白浜の顔が今度は怒ったように膨れ上がった。
俺はふっと笑ってポリポリと首の後ろを掻いた。
「まぁなんだ…。ノーカンなんて寂しいこと言うなよ。悪かったとは思ってるけど、全く気にもされないのはちょっと傷付く」
情けなくそいつに笑いかけると、白浜は耳元まで真っ赤に蒸気させて反論し始めた。
「だって!恥ずかしいからっ。センセー落ち込んでるし。だからどーしたら良いか分かんなくて。気にしてないわけねーだろっ。初めてだったんだから!」
――白浜のファーストキスが俺……?
そのことがことさら嬉しくて、真っ赤な顔で吠えるそいつに破顔した。
「いや、もう。まいった……」
俺はその場にしゃがみ込み、顔を伏して頭を抱える。
狼狽している白浜の声が鼓動を速くする。
「――大丈夫か?センセー…」
同じ高さまでしゃがんだ白浜が、俺の肩に手を置いた。
そこから血流が噴き出す。
「……センセーは嫌じゃなかった?…ウチとなんかで……」
嫌なわけあるかっ!!
その弱々しい声に俺が頭を上げると、間近の真っ赤な顔の白浜とガッチリと目が合い、思わず逸らしてしまった。
情けない……。
俺はそっぽを向きながらガシガシと頭を掻く。
「”なんかで”とか言うな。お前の存在は”なんかで”じゃない!」
そう言って顔を戻してギョッとした。
目の前の大きな瞳が揺れていた。
そうしてポロリ――。
大きな粒が流れた。
「――え?いや、違くて……。これ、え?なんで??」
自分の涙に己が一番驚いてる様子で、白浜は乱暴に次々と流れる綺麗な雫を拭き取った。
胸が軋む。
――白浜の瞳の奥には仄暗い塊がある。
俺がそうだったから分かる。時折見え隠れするそれを、どうにか取り払ってやりたい。
この涙も、おそらくそれが原因だろう。
懸命に泣き止もうとするその儚い存在を、俺は腕を引いて引き寄せた。
「無理して泣き止まんでいい。泣きたいときは泣けばいい。俺がいるから。側にいるから。我慢しなくていいから」
この言葉は祈りだった。
少しでもこの光を救いたい。
俺は大切なんだと伝えるように、かけがえのない存在を優しく抱きしめた。
俺の腕の中で、白浜の心臓が、俺の動きと同じ鼓動を奏でていた――。
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