第12話 微笑んだのは勝利のオオカミ
8月
「さー!みなさん!注目です!女子競泳自由形50m、自由形100m共に大会新記録を叩き出した、東京都私立明鳳高校の白浜蛍選手の男女混合400mリレー!まもなく開催です!!」
全てのカメラが1コースを激写する。
「白浜、疲れは?」
「大丈夫!蜂蜜レモンいっぱい食べたからよゆーだ!」
白浜はみんなに、ガッツポーズを見せる。
シャッターの音が、蝉の鳴き声のように鬱陶しい。
だが、それも仕方がない。
とんでもない記録を叩き出したモンスターは、単体で見ると華奢でイケメンだ。
こりゃあ、マスコミ受けするな。
当分は平穏な日々は送れないなと、嬉しいやら寂しいやらの感情に襲われる。
「木瀬!お前はどーだ?」
意外にも物静かな金髪頭のイケメンを見ると、熱い眼差しが俺を捕らえた。
「あんな泳ぎ見せられて、黙ってられっかよ!俺だってやってやる!今すぐはやぶさになって、このチームを表彰台に連れてってやるよ!」
勇猛果敢な木瀬の目は、今まで見たことのないほどの闘志を燃やしていた。
「よしっ!瀧川!清水!お前らも大丈夫だな!」
「もちろん!!」
「白浜ばっかにいーカッコさせられっかよっ!」
白浜のあの偉業は、メンバーの闘志を漲らせ、自然と全体を鼓舞していた。
「俺はお前らを信じる!それに1コース!俺の一番好きな数字だ!」
「おー!!!!」と白浜。
「カンケーね〜」と瀧川。
「もー!それ言ったら白浜が怒るから」と清水。
「守護神が言うんだから間違いないっしょ!」と木瀬。
4人の緊張が解れる。
取れる気がした。
この4人で。
行ける気がした、この4人なら――。
「うっし!輝け!明鳳高校水泳部っ!!」
「「「「おーっ!!!!」」」」
パシャパシャパシャっ!!!
俺ら、明鳳高校の円陣にどのカメラもシャッターを切る。
*
ピッ!!
男女混合400mリレーが開幕した。
「えっ!?木瀬、それっ」
驚いた。
第1泳者の木瀬の飛び込みは、まるでさっきの白浜を彷彿させる動きだった。
綺麗なロケットスタートは他を引き離す。
木瀬は先ほどの白浜の飛び込みを頭の中で何度も何度も反芻させ、シミュレーションし、自分のモノにしたのだ。
ゾクリと鳥肌が立つ。
その執念に冷や汗が出る。
でも決して嫌な汗ではない。
頼もしい、力強い、体の芯が震える汗。
「いけーっ!!木瀬ーー!!!」
応援にも自然と力が入る。
報道カメラもズームで木瀬を追う。
白浜同様、会場の全ての視線がそこに集まり、会場全体を彷彿させる。
男子自由形100mの準優勝の男子。
それを2秒も上回り、1泳者トップでそのバトンを清水に繋いだ。
「なんとっっ!!!木瀬選手!今大会男子自由形100m、最高記録ですっっ!!!」
会場が盛大に沸いた。
「っはっ!なんだあいつ…」
俺の顔が破顔し、涙が溢れる。
あいつは仲間のため、バトンを繋ぐため、こうして全身全霊で泳いだ。
それが例えようもなく嬉しくて、俺は涙を拭うことも忘れ、2泳者の清水を鼓舞する。
男女混合リレーの泳ぐ順番は自由裁量となっている。
通常は1泳者とアンカーに男子生徒を置き、中間を女子生徒が担う。
明鳳以外の学校もその慣例的な順番だった。
清水と争うのは自由形100mの精鋭チーム。
個人種目では全国大会のレベルに達していない清水は、木瀬の猛攻が繋いでくれても、どうしても順位を死守することができず、折り返し地点で3位、瀧川にバトンを繋いだときには10人中6位となっていた。
瀧川が飛び込む。
プールサイドに上がった清水が、悔しそうに俺を見上げた。
「すみません!木瀬が繋いでくれたのに。私…」
「何言ってんだ!自己ベストじゃないか!よく頑張った!後は信じて見てればいい!」
俺が清水の肩を叩くと、瀧川のバトンを待っている白浜がスタート台に上がった。
「清水!大丈夫だ!」
高台からゴーグルをはめながら白浜の言葉が熱く響く。
「清水、ほら!ちゃんと立って!6位なんて凄いよ!大丈夫だ!みんなを信じてればいーんだよ!」
木瀬が優しく清水に右手を差し出すと、清水は目元に指を当てながらそれに倣った。
瀧川が折り返し、白浜目掛けてひた泳ぐ。
相手が女子選手だからといって侮れない。
全国レベルの競合選手たちのスピードは、男子選手とも引けを取らない。
「センセー!」
高台からゴーグルをつけて瀧川を待つ白浜が、瀧川に注視しながら俺を呼んだ。
「なんだ?」
俺は瀧川を気にしつつ、白浜を見上げると、白浜は前を向いたまま好戦的に笑った。
「もう一度、水泳を好きにさせてやるよ!」
妹が送ってくれたボイスメッセージと重なる――。
俺が目を見張って白浜を仰ぐと、その刹那、人魚が水面を跳ねるように飛び込んだ。
瀧川が4位で端壁に手をついた瞬間だった――。
残り50m、白浜は3位まで浮上した。
だが白浜の背中には、火がついている。
1位を行くのは男子自由形50mの優勝者。
メダルは確実。表彰台も上れる。
でも、俺は白浜が光輝くテッペンが見たい!
「行けーっ!!」
会場が沸く。
小さな人魚が怒涛の追い上げを見せる。
「白浜選手!2位!2位に躍り出ました!」
実況の声が興奮で乱れている。
残り20m。1位との差はまだ2mほど。
頼む。頼む――。
行ってくれ!!!
「白浜っーーー!!!頼む!行けっ!行ってくれっ!!俺たちを導いてくれっ!!!」
渾身の力でそう叫ぶ。
白浜の帰って来るスタート台。
そこに縋り付くように思いの丈を叫んだ。
その瞬間、光が放たれた――。
それはただのフラッシュだったのかもしれない。
ただの見間違いだったのかもしれない。
だがその瞬間に確実に白浜は加速した。
残り5m、4m――。
そうして、小さな手が俺の真下のタッチ板に触れた……。
「どっ!どっっ!!同着っ??いやっ、違います!!!」
実況が解説を忘れた。
会場がどよめく。
電光掲示板に映し出された数字に皆の視線が集まる。
0.3秒差――。
その0.5秒も満たない差で、小さな人魚の手がタッチ板を押していた――。
「ゆっ!ゆっ!!優勝っーー!!!優勝です!優勝だーっ!!!」
どっちが優勝か早よ言えやと、会場が笑う。
その数字を確認した白浜が両手を天高く突き上げた。
会場がどよめく。
スタンディングオベーション。
皆が立ち上がり、小さな人魚に賞賛を贈った。
大きな拍手がいつまでも覆い尽くす。
俺の目はすでに崩壊していた。
なんて光だ。
これほどまでに強い輝き――。
そのとき、白浜の視線が俺と交わった。
俺を見上げた白浜の瞳に、涙が溢れている。
導いた光。絶え間ない閃光。
「聞こえた!センセーの声!届いた!」
眩しいほどの笑顔に眩暈がする。
俺はコクコクと頷くのがやっとだった。
あのとき感じた強い光。
あれは見間違いでもカメラのフラッシュでもない。
こいつの、白浜自身の漲る強い意志が放った光だったんだ――。
白浜が手を差し出す。
節だった手がその小さな手を握り返し、勢いよく引き上げた。
その状態のまま、その小柄な体を抱き寄せた。
涙声で言葉にならない感謝の言葉が嗚咽となった。
「泣くなよ!センセー!」
間近にある女神のような笑顔に、またしても縋りつくように泣いた。
「良くやった!白浜!!」
「ありがとう!白浜!」
「ホント、お前はでたらめなヤツだ!!」
3人が駆け寄り、団結の輪が白浜を包み込んだ。
観客席の明鳳高校の場所から校歌が歌われる。
こんなにも心に沁みる歌だったのかと耳を疑うほど綺麗だった。
ケイの写真を胸に抱き号泣している校長。
その横で泣きながらそれを宥めている千堂先生。
男泣きを見せる石田と松田。
ほかにもたくさんの顔が皆同様に泣いていた。
*
表彰式。
そこには明鳳高校水泳部4人の精鋭が、肩を並べ満面の笑みで輝いていた――。
その瞬間、俺は確信した。
あの日――水泳を捨てたのは、ここに帰るための伏線だったんだと――。
*
その後の大会MVPでは当然の如く白浜が選ばれ、表彰式後のヒーローインタビューに慌ただしく駆り出されていた。
「白浜選手!おめでとうございます!勝利の女神が微笑みましたね!」
「勝利の女神?いえ、女神じゃないです」
「はい?」
「微笑んだのは、勝利のオオカミです!」
ぶわっ!!
そのセリフに俺の顔が一気に染め上がる。
この取材での一言が、翌朝の朝刊の一面を大々的に飾ることは、このときの俺は知る由もなかった。
*
あの前代未聞の逆転劇が幕を閉じた夕刻、道頓堀近くのイタリアンの一店舗を貸し切っての明鳳高校水泳部の祝賀会が行われた。
大阪にも関わらず、たくさんの学校関係者で引き締め合う。
当日の予約で良くぞとれたモノだと感心したが、副校長が予約を入れていたと千堂先生から聞いた。
オシャレな小洒落た店は立食形式になっており、会場の中央に様々な料理が色をなす。
この会場を押さえた立役者である副校長は、楽しそうに赤ワインを片手に関係者の保護者と談笑している。
俺はこんなところまで駆け付けてくれた先生や生徒、保護者の方々へ感謝の意を述べながら、挨拶回りに勤しむ。
まさかこんな会を当日に設けてくれるとは思いもよらず、ポロシャツにスエットの自分がなんだか恥ずかしい。こんなときくらい、バシッとスーツで決めたいモノだ。
まぁ、水泳部はこの大会前に揃いで作ったチームカラーのみどりTシャツにジャージズボンなので、場に馴染んでると言えは馴染んでる。
こんなに賑わう保護者の中に、白浜の両親はいるのかと気にしながら見てはいるが、どうもそれらしき人はいないように思えた。
こんなにもチームに貢献した生徒の親がいないことに、校長を始めほかの教師も訝しがっているはず。
変な詮索をされて傷付かなきゃいいなとそれが気がかりだったが、当の本人は楽しそうに談笑しているので、まずは一安心だ。
俺は色んな部員の保護者から酒を振る舞われ、下戸だと断るのも段々面倒になり、手に持っている烏龍茶からノンアルコールビールにチェンジした。
飲んだ後に直ぐに普通のビールを注ごうとするのを防ぐため、瓶で持ち歩きながら関係者を回った。
「星野ン!忙しそうだな!」
いい加減疲れたと、会場の死角でピザを齧っていたとき、金髪頭がニコニコしながらやって来た。
「おー!木瀬、お前も大変だろ!」
高身長、超イケメンの水泳部エースは、お母様たちから取り囲まれていた。
人見知りもなく人のあしらいも上手いため、お母様たちはまるで少女のような目をしていた。
俺にはやれない芸当だ。
こりゃモテるのも頷ける。
そう思って綺麗な目に、長いまつ毛を携えたイケメンをマジマジと見た。
「…星野ン、もしかして酔ってる!?」
その綺麗な瞳がパチクリと驚きを見せる。
「バカ言え!ノンアルで酔うかよ!」
と、上機嫌に小脇のテーブルに置いた瓶を差し出す。
なぜか分からんが異様に口角が上がり、笑いが込み上げる。それになんだか、体が熱い。
「星野ンこれ!ノンアルだけどアルコール0.3%!!」
「なにっ!!!?」
このご時世、0.0%以外のノンアルがあったのかと、木瀬が持っている瓶を手繰り寄せる。
クラッ!!
急に動悸がし始め、頭がぼーっとした感覚に囚われる。
アルコールが含まれていると知った途端、こんな症状が現れるもんだから、病は気からとは良く言ったモノだ。
俺は木瀬に「風に当たって来る」と告げ、涼しい会場から、鬱陶しいほど熱気を含んだ外へ踏み出した。
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