第4話 水上の魔女・ミルエの威圧

4.水上の魔女・ミルエの威圧


その光はとても心地が良かった。まるで暖かい水に全身を包まれたような感覚だった。

「あなたは、何者なのですか?」

 光の中にいる私の耳元で、柔らかい声音の人物がそう囁いた。優しい声だ。敵意は全くなかった。

 水色の光は晴れ、少し先にいるアトラは私を振り返って唖然としている。感情が昂り、魔力が制御しきれなくなってしまった。本来ならば既に私が救おうとしたアトラは私の放った魔法で心臓を貫かれているはずだった。だが彼は生きていた。あの光が全身を覆っている時に何が起きたのかは全くわからなかった。

「あなたな彼を殺したいのですか?」

 耳元で再び囁き声が聞こえた。その人物は私の背後にいる。だが、振り返ろうとしても身体がそれを拒んでいた。

「私は」

「あなたは彼を殺そうとしたのですよ」

「ち、違う!私はただアトラを助けたかっただけ!」

 そうだ。昨日、私はアトラに助けられた。今度は私が助ける番だった。だから私は盗賊の男に向かって魔法を放ったのだ。

「けれどその男の前にあなたはあの赤髪の男の子をその手で殺そうとしたのですよ」

 思考を読まれた。私の背後に立ち、耳元で囁くこの人物は何者なのだろうか。アトラを含めた村人達は依然として驚いた顔をしている。

「あ、あなたは誰ですか」

 私は恐怖の感情を押し殺してその人物へ聞いた。

「それは私の台詞なのですよ。まあ良いのですよ。色々と気になることはありますが、結果として私のおかげであの男の子も助かり、村の人々も助かったのですよ。私は争いごとはとても嫌いなのですよ」

 私は一体何者なのだろうか。不意に私が誰なのかわからなくなってしまった。

「それでは」

 その言葉と同時に背後にあった異様な気配は途切れた。彼女は一体何者だったのだろうか。全てがわからなくなってしまった。視界の先では盗賊の男が尻もちをついていて、それを村人とアトラが取り押さえている。私はただその場に立ち尽くしていた。



「俺を助けようとしてくれたんだよな。ありがとうな」

 家への帰り道、アトラは私にそう言ってくれた。私の想いは伝わっていた。だが殺しかけたのも事実だった。

「ごめんなさい。助けようとしたけど、感情と一緒に魔力も高まっちゃって制御しきれなくなって、アトラのことも……」

 気がつくと私の視界にはモヤが掛かり、前が見えにくくなっていた。

「わかってるぜ。大丈夫だ。俺はお前にちゃんと助けてもらった。それに俺は生きてる。だから、泣くなよ」

 隣を歩くアトラの顔を見上げた。彼は微笑んでいた。

「さあ、今日の夕飯は村で買ってきたもの使って美味いの作るぜ」

 彼はもう切り替えていた。私もいつまでもくよくよしていられない。明日からはいつ魔獣に襲われても良いように魔法の鍛錬をしよう。空には夜の帳が降りかけていた。

「寒いだろ?手繋ぐか?」

 アトラがからかうように手を差し伸べてきた。この手を握らないといつか私は後悔してしまう気がした。

「うおっ!びっくりした。本当に握るのかよ」

 私はその手を握った。

「今日は少し寒いから仕方なく」

 アトラは一瞬真顔になったが再び満面の笑みを浮かべた。

「そうだな。今日はよく冷える」



「あ!お前!そんなに飛び回ったら床が抜け」

『ズボッ』

「あーあ。ほら盛大に踏み抜いた」

 家へ帰り、夕食を済ませた私は、アトラが買ってくれた髪飾りで前髪を留め、一回り大きな髪留めは頭の後ろで留めた。その髪飾りをアトラがとても似合っていると褒めてくれたので私は嬉しくなって飛び跳ねてしまった。途端に私の足元の床が勢いよく抜けてしまったのだ。床が脆そうには見えない。私が重たかったとでもいうのだろうか。

「お前そこの床塞いどけよ」

 先程までのアトラの微笑みが嘘だったかのように真顔になり、私にそう言った。私は床にめり込んでいる足を引き上げ、テーブルの上にあった杖を無言でアトラに構えた。

「う、嘘嘘嘘嘘。俺が直すから早く寝ろ」

「アトラ、また明日ね!」

 私は杖を持ったまま寝室へ逃げるように入った。

「あと少しで撃ち抜くとこだったあ」

 嘘である。

 私はベッドに寝そべり、天井と睨めっこしていた。今日のルピカ村で私の背後に立っていた人物は一体誰だったのだろうか。音もなく現れ、音もなく去っていってしまった。特徴的な話し方。そして彼女に敵意はなかったはずだったのに感じた強烈な威圧感。千年の間に変わってしまった世界の均衡。私はこの世界のことをよく知る必要があるようだ。

「そのためにはよく寝てよく食べてよく魔法を練習しないと」

 私は眠りにつくことにした。


 

 夢を見ていた。昨日とは違った夢だ。アトラが床下の食料を食べ尽くし、どんどん太っていく夢だった。私はそのアトラを助けようとした。だが彼はそんな私はお構いなしに床下にある食べ物を咀嚼していた。気がつけばこの家にある食料は全て尽きてしまい、私が一人で魔獣を狩りに行く。そんな夢を見ていた。そして魔獣と出くわし、昨日のように再び殺されそうになったところで意識が覚醒した。

「ゆ、夢か……」

 冷や汗をかいていた。変な夢だった。窓から外を見ると、まだ夜であった。入口にあるドアから光が漏れていた。そして外から物音がしている。アトラはまだ起きているようだ。

 中々眠れない私は、アトラが何をしているか気になったので起き上がって様子を見に行くことにした。ドアを少し開け、その隙間から覗き込むと。

「え……正夢?」

 アトラが床下にある食料を食べ漁っていたのだ。私は思わず言葉を漏らしてしまった。

「何だ、まだ起きてたのか」

 気づかれてしまった。振り返ったアトラの口元には食料を食べ漁った痕跡が……なかったのだ。どうやら私が寝ぼけていただけだったらしく、アトラは今日村で買ってきた食料を床下にしまい込んでいただけであった。とんだ勘違いである。

「寝れないんだったら少し外でも歩くか?」

 アトラが床下に食料をしまい終わり、私にそう言った。椅子へ座ってアトラを観察している私はその罠には引っ掛かるまいとアトラの言葉に指摘した。

「また魔獣に襲われちゃうでしょ」

「って言うと思って俺は今日こんな物を買ってきました」

 と言いながらアトラはポケットから、真ん中に魔石の埋め込まれたアクセサリーのようなものを取りだした。

「何それ?」

「こいつはな、武器売ってたおっちゃんに杖買った時に貰ったんだ。いわゆる魔獣避けだぜ!」

 自慢げに何を言っているのだこいつは。胡散臭さ満載ではないか。千年前には結界としての魔獣避けはあったが、あの小さな魔石にそのような小細工が仕込まれているようには見えない。

「嘘だ」

「ほ、本当だわ!見せたいものもあるんだ!寝れないなら着いてこい!」

 そう言って家の外へ出て行ってしまった。寝れないのは事実だ。いざという時はアトラを置いて逃げよう。

 家の外へ出るとアトラが仁王立ちをして待っていた。

「ようやく来たか!行くぜ!」

「行くってどこに?」

 私は歩いていくアトラの元へ小走りでついて行き、そう聞いた。わざわざこんな夜遅くである必要があるのだろうか。

「まあ着いてからのお楽しみだ。こっちだな」

 アトラは土の道ではなく、道の脇の草の中を歩いていってしまった。本当に一体どこへ行くつもりなのだろうか。

 渋々後について行ってはいるが、地面の傾斜が少し厳しくなってきて歩くのが一苦労だ。

「背中乗るか?」

「だから乗らないって!」

 先程からしつこく背中に乗ることを勧めてくる。

「もう少しで着くから頑張るぞ」

 周りには相変わらず木々が生えしきっていた。魔獣避けのアクセサリーのおかげかはわからないが、先ほどから魔獣の気配もない。こんな傾斜が厳しい場所で魔獣に襲われでもしたら一溜りもない。

「もうそろそろだ」

 もう少しでアトラの見せたいものの場所に着くらしい。同時に傾斜も緩くなってきた。

 そこからしばらく暗闇の中を歩いた。

「着いたぞ!ここだ」

 アトラが木々の間を抜け、立ち止まりそう言った。後ろを着いて来ていた私はアトラの横に並びその景色を見た。途端に私は心を打たれた。フリージラ大森林の中に、その場所だけ木々が生えておらず、その代わりに白色の綺麗な花が辺り一面を飾っていた。その花の上には淡い紫色の光を放つ小さな生き物のようなものも飛び回っていて、とても幻想的であった。

「ここは……」

 千年前はこのような場所はなかったはずだ。

「お前のしてる髪飾りを見て思い出したんだ。その髪飾りの花、ここの花と一緒だぜ。見せてあげたかったんだ」

 とても美しかった。幼い頃に兄と行った湖の近くで同じような白い綺麗な花を見たのを思い出した。あの花の香りはとても甘かった。

「懐かしい香りがする」

 私の鼻孔を甘いあの花の香りがくすぐった。

「何だ、来たことあったのか?」

 アトラは残念そうな顔をしている。私はこんなに見渡す限りに白い花の咲いている場所には来たことがない。

「初めてだよ。すごく綺麗」

「だろ」

 アトラと私は微笑み合いしばらくの間、時間を忘れてその場所に座り、花と夜空を交互に見ていた。

「アトラ」

「ん?どうした?」

「私、少しだけど人の気持ちがわかった気がする」

 アトラは寝そべって空を見上げていた。

「なーんだそりゃ」

 笑われたが事実だ。ほんの少しだけ、他人を思いやる。その気持ちが理解出来たのだ。



 その次の日からは私は魔力を制限して魔法をひたすらアトラに放ち、魔力の底上げをした。そしてアトラは私の放った魔法を避けつつ剣術の練習をし、お互いに努力し合っていた。そして後からアトラに聞いた話だが、どうやらあの日のルピカ村で私の放った魔法がアトラを貫こうとしたその時に、盗賊の男の背後から魔力を相殺するように光属性の魔法が放れていたらしい。つまり四大魔法使いのうちの一人があの日、私の背後に立っていたということであった。彼女は争いは好まないと言っていたのを思い出した。だとすればこの世界で魔法を封印した理由も何となく理解できる。他の三人の魔法使いも一緒なのだろうか。どちらにしても私は一度、千年前に敵対していたヘレボレス国家まで足を運んでみる必要がありそうだった。

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5人目の魔女の異世界攻略 歩くアスパラガス @isekai_tensei

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