第03話 とある救急救命医と運び込まれた患者の親族。
20XX 1月3日 医師・斎藤(さいとう)喜久子(きくこ)
ここは大阪の『テンオウジ病院』。
少し早めのお昼ご飯と取ろうとしたところで、救急外来に救急車が飛び込んできた。
運び込まれたのは、家族と思われる三名。
無線では『交通事故』とだけ伝えられたが。
到着の段階で、三十代から四十代と見られる男女二名はすでに心肺停止。
処置室へと移すまでもなく、救急隊から死亡が告げられる。
残る一人は十代半ばの少年。
担架に乗せられたその身体は、ひと目で『手術不可能』と判断せざるを得ないほどに損傷していて……。
常識で考えればもう助からない命。
でも今日は、ほんのわずかばかりの幸運があった。
「二型特殊薬液、大至急用意っ!!
ストックが二本残ってたわよね!?」
「はい! 確かにありますけど!
先生mあれって保険きかない薬ですよ! それも二型ともなると……。
本人の同意も取れませんし、勝手に使ったらまた後で絶対揉めますって!」
「あのねぇ! 意識の無い患者にどうやって確認するの!?
もしも患者が払えないって言うなら私の貯金からどうにかするわよ!」
「もう、先生はまたそんなことを!
この前の赤ちゃんの時だって、勝手にポーションを使って……。
あとから母親が『頼んでない!』ってゴネて、本当に持ち出しになってたじゃないですか!!」
たしかにそんなこともあったけど!
口では否定的な三好さんだけど、文句を言いながらも薬液ケースから『ソレ』をすでに取り出している。
「バイタル低下! 時間ありません!
一本目、直に傷へ! 思いきりぶっかけてちょうだい!
患者の固定急いで! 容態を見ながら二本目は静注します!」
私の指示でスタッフたちが一斉に動き出す。
モニターから聞こえてくる警告音。
患者の荒い呼吸。
処置室の空気が一段と張り詰める。
――どうか、間に合って。
私は祈るような気持ちで、次の指示を叫んだ。
* * *
1月5日 医師・斎藤喜久子
一昨日、両親とともに運び込まれた『柏木(かしわぎ)夕霧(ゆうぎり)』くん。
ダンジョン産の特殊薬液――ポーションの効果もあって、どうにか命だけは繋ぎとめたものの、まだ全身が『再生』の途上で、無菌室のベッドで静かに眠っていた。
そんな彼の見舞いに現れたのは、身内だと名乗る『岸田』という男。
歳はおそらく六十前後。
それだけを見れば祖父にあたる人物だと思うのだが……。
主治医である私に話を聞きたいということなので、こうして談話室に通しはしたものの、その風貌も態度も、とても『孫を案じる祖父』には見えない。
「警察から息子と嫁が死んだと連絡が来たんだが間違いないか?
孫の方は助かり、ここに入院しているとのことだったが」
ぞんざいにそう問いかけてきた岸田。
「そうですね。
あなたが言うご家族が『柏木さん』であれば、それで間違いありません」
そんな私の返答に、ぶつぶつとなにやら呟いたかと思えば舌打ち、眉を潜める岸田。
……この男の態度はいったい何なのかしら?
息子夫婦の訃報を聞いて病院に駆けつけてきた親族。
普通なら蒼白になり、あたりかまわず取り乱すのがあたりまえのはず。
それだけならず、お孫さんが助かったと知れば、すぐにでも会わせてほしいと言うのが人情だろう。
そもそも事故の話など、当日中に警察から連絡があったはずだ。
それなのに、ここに来たのは二日も経ってから。
行動があまりにも遅すぎると思うのはおかしいことだろうか?
「それで……孫の容態は?
生き残ったとはいえ、まともな体じゃないんだろう?
もし寝たきりになるようなら、いっそのこと楽にしてやってくれ」
「なっ……あなたはいったい何を、言っているのですか!?」
思わず椅子から立ち上がり、男の胸倉を掴みかかりそうになる気持ちを必死に抑え込む。
言うに事欠いて『楽にしてやれ』ですって!?
そんな私の反応の何が面白かったのか、脂ぎった赤ら顔に薄笑いを浮かべる岸田。
「……ご心配なく。
まだ意識は戻っておりませんが、状態はむしろ快方に向かっていますので」
深呼吸をしながら、ゆっくりと伝える。
「はぁ? トラックと正面衝突して車が全壊してたんだぞ?
あれだけの事故に遭って快方に向かってるだと? そんなバカなことがあってたまるか!」
「あなたが何に憤ってらっしゃるのかまったく理解できませんが。
たまたま特殊薬液――ポーションの備蓄がございましたので」
「ポーション……だと?
あれは本来、患者本人の同意なしには使えない薬のはずだろう?
あいつはそれを使ってくれとあんたに頼んだのか?」
「まさか。意識の無いお孫さんに、同意の取りようなんてないでしょう」
売り言葉に買い言葉。
岸田の人を苛つかせる喋り方に、ついついこちらも言葉が荒れる。
「はぁ? それじゃあ何か?
あんたの勝手な判断で、勝手にポーションを使ったと、そう言うのか?」
「私は医者です。
助かる可能性がある命なら全力を尽くすのは当然でしょう。
それに、何か問題でもありますか?
というかあなた、先ほどからいったい何なんですか。
その口ぶりでは、まるで『お孫さんが亡くなっていた方が都合が良かった』と言っているように聞こえますが?」
「……そんなわけがあるかっ!
儂は、あんたが勝手な真似をしたことに文句を言ってるだけだ!
そもそもうちは『原典〈げんてん〉の会』に入信してるんだぞ!?
ポーションなんて、どこから来たのかもわからん得体の知れんもんを勝手に孫に使われて、怒るのは当然のことだろうが!!」
原典の会。
ダンジョンでテロめいたことまでしていると噂の胡散臭い新興宗教。
そんなものを言い訳に使うなんて、本当になんて奴なのかしら……。
「あなたの話は馬鹿げています。
繰り返しますが、お孫さんの命がかかっていたんですよ?」
「そんなもの知ったことか!
それで死ぬならそれが、儂らに逆らったあいつらの運命――いや、天罰だろう!
だいたいあんた、金儲けのために数百万もかかる治療費を儂に押しつけるつもりなんだろ?
フンッ、患者本人の同意もない薬の代金なんざ、一円も払わってやらんからな!!」
駄目だ、まったく話が噛み合わない。
もしも私が『言葉で通じあえない相手には暴力を振るうことも辞さない』なんて狂った考えの持ち主だったら、今頃部屋が鮮血に染まってるわよ?
「……ご心配なく。
最初から、あなたのような方に請求するつもりで使った薬ではありませんので」
……でも、このまま黙っているのはあまりにも癪に障る。
自分の胸ポケットを指で軽く叩く私。
「そういえば――言い忘れていましたが、これって録音器なんですよ?
ついでにあちらの天井、カメラが付いているのが見えてますよね?
先程からのあなたのお話、呆れるを通り越して何やら不穏な物を感じましたので。
何かの際には録音・録画した会話をそのまま警察に提出させていただきますね?」
もちろん嘘である。
胸ポケットのそれはただのボールペンだし、天井のカメラだって音声を拾うほど高性能な代物ではない。
もっとも、そんなことを知るはずもない岸田は、
「はぁ!? お、お前、何を勝手な真似を!?
それこそ犯罪……盗撮だろうが!!」
怒鳴りながら立ち上がり、私に掴みかかろうと一歩踏み込んできた。
……よし、これで正当防衛成立ね!
前に出していた右足を払い、岸田を床に転がす。
ふふっ、これでも高校時代は……いえ、今はどうでもいいわね。
立ち上がった私はそのまま面談室の外に。
行きがけの駄賃にドアを思い切り叩きつけ――ドアクローザーに邪魔され、『スーッ』とゆっくり閉まっただけだった。
もうっ! なんなのよ、こういうときくらい空気を読みなさいよ!!
「おい! 儂は絶対にびた一文出さんからな!!」
はいはい、勝手にどうぞ。
あなたのことなんて、もうどうでもいいわよ!
……独身アラサー医師の経済力、舐めないでよね?
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