『一行販売所、本日も開店休業』
志乃原七海
第1話「なあ?ばあちゃん、金くれよ!」
はいよ。
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「なあ?ばあちゃん、金くれよ!」
畳の上でだらしなく寝転がったまま、俺、健司(けんじ)は言った。天井の木目を見つめるのも飽きた。手元のスマホは通信制限でただの文鎮だ。外はうだるような暑さで、蝉がジジジと命を燃やしている。俺の命は、燃えるどころか燻ってもいない。
「はいよ!」
縁側でお茶をすすっていたばあちゃんが、のろのろと立ち上がった。年季の入ったガマ口財布を袂(たもと)から取り出し、ぱちんと小気味いい音を立てて開ける。しわくちゃの手が、中をごそごそとかき回し、一枚の硬貨をつまみ出した。
「ほれ」
俺の手のひらに、ぽとりと落とされたのは、茶色くくすんだ十円玉だった。
「なんだよ!10円ってうまい棒も買えねーじゃんか!」
思わず上半身を起こして抗議する。最近のうまい棒は一本12円だ。この世知辛い世の中で、10円で買えるものなんて、駄菓子屋のガムくらいしかない。その駄菓子屋も、去年潰れた。
「あら、そうかい。値上がりしたんだねえ」
ばあちゃんは悪びれる様子もなく、また縁側にどっかりと腰を下ろし、ぬるくなったお茶をすすった。俺の抗議なんて、窓の外を通り過ぎる風と同じくらい、気にも留めていないようだ。
「そうかい、じゃねえだろ! これじゃ何も…」
「そこに、昨日のおせんべいがあるよ」
ばあちゃんは、俺の言葉を遮って、居間の隅にある戸棚を顎でしゃくった。湿気た匂いがしそうな、古い木の戸棚だ。
俺はむくりと起き上がり、のそりのそりと戸棚に向かった。ぎい、と気の抜けた音を立てて戸を開けると、中には確かに、一枚だけビニール袋に入った醤油せんべいがあった。しかも、ちょっと割れている。
俺はそのせんべいを手に取り、ばあちゃんの隣に座った。庭では、名前も知らない黄色い花が、暑さでぐったりと頭を垂れている。
「……」
「……」
二人で黙って、割れたせんべいをかじる。ぱり、ではなく、しけった音がした。口の中に、気の抜けた醤油の味が広がる。
ふと、手のひらの十円玉に目をやった。昭和五十一年、と刻印されている。俺が生まれるよりずっと前の硬貨だ。たくさんの人の手を渡って、たくさんの物を買ったり買われたりして、今、俺の手の中にある。
「ばあちゃん」
「なんだい」
「この10円、なんかすごいな」
「そうかい」
ばあちゃんは、またお茶を一口すすった。
俺は十円玉を額に当ててみた。ひんやりとして、少しだけ気持ちがいい。
もう、うまい棒のことなんてどうでもよくなっていた。
生ぬるい風が、俺とばあちゃんの間の、気の抜けた空気をゆっくりとかき混ぜていく。遠くで鳴り響いていた蝉の声が、なんだか子守唄のように聞こえてきた。
俺は、十円玉を額に乗せたまま、ごろんと畳に寝転がった。天井の木目が、さっきよりも少しだけ、面白く見えた。
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