夜の探検隊─第1章 山のトンネルと最初の怪異
怪丸 巴
第1話 夜を覗く瞳
夜の山道は、街灯が一本もない。
スマホのライトだけが、蓮の足元を細く照らしていた。
冷たい空気。土の匂い。
遠くで虫が鳴く。
蓮はタブレットを小脇に抱え、
淡々と画面をスクロールしながら歩いていた。
「……入口まで、あと四百メートル」
読み上げる声に感情はない。
ただ、噂を確認するための作業。
山の旧トンネル。
夜中、犬のようなものが出る──
そう書かれた掲示板のスクリーンショットが表示される。
蓮は小さく息をついた。
「……犬、じゃないと思うけど」
歩きながら、背中のポーチに触れる。
硬いプラスチックの感触──ナーフガン。
そして、その奥の小さな袋。
(……弾は八発。全部、自分で刻んだやつ……)
ふっと初めて自作の武器を試した事がよぎる。
公園のベンチ。
夜の照明がぼんやりと揺れ、赤い影がブランコの横に座っていた。
赤い女の霊と呼ばれている場所だ。
蓮は試しに、印を刻んだ弾を撃ってみた。
球が霊に触れた瞬間、白い膜がパッと広がり、動きを止めた。
その光景が今も鮮明に蘇る。
(……大体十秒。でも、確かに……止まった)
胸がわずかに高鳴る。
怪異の研究は趣味。
でも、自作の武器で通じたあの日から──
蓮は、一歩先へ踏み込んでしまった。
今、向かっているのは初めての本格的な怪異の噂。
「……ふつうの山犬なら、ライトで追い払えるけど」
ぽつりと呟く。
自分への確認みたいに。
「怪異化してるなら、霊弾が効く……逃げ切れる」
タブレットを閉じ、蓮は前を見据えた。
森の奥、闇が深く口を開けている。
トンネルの入口。
その先は、噂の異界。
蓮は一度だけ深呼吸し、歩みを止めない。
(……大丈夫。
今日は本当に、試すだけ。
引き返そうと思えば、すぐ引き返せる……)
そんな言い訳を胸の奥で繰り返しながら──
蓮は静かに、闇へと足を踏み入れた。
トンネルの入口に近づくにつれて、
空気が冷たく、湿り気を帯びていく。
蓮は片手でナーフガンを抑えながら、
もう片方の手でポーチの中から小型ライトを取り出した。
普通のライトに見えるが、
レンズの部分に──
細かい線のような印が刻み込まれている。
蓮はスイッチに親指をかけた。
(……これも、自作の対怪異ライト……)
静かに電源を入れる。
カチッ。
白い光の円が、トンネルの入り口をゆっくり照らした。
暗闇がわずかに後ろへ逃げるように揺らぐ。
蓮はその反応を確認すると、
無意識に初めてライトを試した日のことを思い出した。
──それは、墓地だった。
夜。
誰もいないはずなのに、
墓石のあいだを小さな霧の塊がゆっくり漂っていた。
弱い霊。
街灯の光にも透けるほど薄い存在。
蓮は試しにライトを向けて、
スイッチを押した。
パッ。
白光が霊に当たった瞬間、霊はピタッと動きを止め、
まるで写真みたいに空中で固まった。
少し経つと、霊はふっと消えてしまった。
あの一連の出来事は、蓮に強烈な確信を与えた。
(弱い霊なら止められる。
怪異でも……怯むくらいなら、できる)
ライトから漏れる光が、
蓮の手元を白く照らす。
彼はその光をもう一度トンネルの奥に向けた。
トンネルは車が一台やっと通れる程度の狭さ。
壁のコンクリはところどころ黒く湿っていて、
内部は真っ暗。
深夜に車が通ることなどまずない。
ライトが進行方向をなぞるたび、
空気が重たく沈黙を増していく。
蓮は足を踏み入れた。
コツ……コツ……
靴音が響くたびに、
トンネルが反響で息をしているような気さえした。
ライトの光だけが、
暗闇を細く切り裂いていた。
(……大丈夫。
ライトがある。
ナーフガンもある。
深追いしなければ……引き返せる……)
そう自分に言い聞かせながら、
蓮は薄暗いトンネルの奥へ歩みを進めた。
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