聖なる夜に迎えに来て
花純 佑
第一章 堅香子の花
萌芽
忘れられないクリスマスが二度ある。
一度目は、好きな人にキスをされそうになった年のこと。
二度目は、好きな人が彼女とキスするのを見た年のこと。
これは、どこにでもあるような、小さな冬の恋の話。
◇
小学校卒業を機に、少し離れた街に引っ越した。
周りのみんなとあまり上手くやれなかった僕が、ちょっと場所を変えたからといって、何かが変わる気はしなかったし、新しい環境に期待はしていなかった。
結果から言うと、この引っ越しで、僕の人生は大きく変わった。
なぜなら、引っ越し先で入学した中学校で、僕は……
生まれて初めて、恋をすることになったから。
◇
◇
◇
冬ヶ丘中学校は、関東の住宅街にある普通の公立中学校。
それでも、僕にとっては何もかもが新鮮で、入学式の日には、心臓が飛び出そうなほど緊張していたのを覚えている。
クラスは各学年三つほどあったけど、僕は最も覚えやすいであろう一年一組に配属された。
最初の席は出席番号順で、僕は後ろから二番目の列。
知らない人だらけの教室だったから、ひとまず目立たない席なのはホッとした。
けれど、やはり新しい環境でじっとしていると、胸がザワザワして落ち着かなかったから……
リュックから使い慣れた有線イヤホンを取り出して、大好きな曲でも聴いてリラックスしようと思ったんだ。
「あっ」
「っ……?」
まさに再生ボタンを押そうとしたそのとき、背後で誰かが声を発した気がした。
視線も感じるけれど、もしも僕の勘違いだったら恥ずかしいから、振り向くことはできなくて。
「ぁ、あの」
「っ!」
ちょんちょん、と肩を叩かれて、初めて確信が持てた。
やっぱり、僕に何か用があるんだ。
「は、はい」
くるりと振り向くと、後ろの席の男の子が、瞳を煌めかせてこちらを見ていた。
はじめましてだからか、僕と同じで緊張しているようにも見えた。
「その曲、好きなの?」
「へ」
その子は、机上に置いたリュックの中で僕が握りしめていたスマートフォンを指差して、そう尋ねてきた。
「ごめん、覗くつもりはなくて、偶然見えちゃって……」
僕がすぐに何かを返せなかったからか、その子は焦ったように、たどたどしく言葉を紡いだ。
「す、好きだよ!」
「!」
「ぁ、えっと、この曲、好きだよ。いい、よね」
カタコトな喋り方で、とっても普通のことしか言えなかったけれど、その子は嬉しそうに笑ってくれた。
「あ、でも、学校の中でスマホ使ってたら怒られちゃうかも」
「っ!そ、そうだよね!わ、僕、何してたんだろう……」
慌ててイヤホンを引っこ抜いてスマホの電源を切ったら、その子はクスッと微笑んで、「先生いないから大丈夫だよ」と安心させてくれた。
「な、なんか、ありがとう」
「ううん。えっと……名前は?」
「っ、僕は、
「俺は、
そうして差し伸べられた手を、握り返したあのときから、僕にとって
◇
◇
◇
最初のホームルームが始まると、僕の大嫌いな自己紹介タイムがやってきた。
人前で話すのが苦手な僕は、こういうときいつも、手足や声が震えてしまう。
これは、小学校で孤立した原因でもあるから……すごく、怖い。
前の席の人が拍手と共に席に着いて、僕はおずおずと立ち上がる。
みんなの視線が僕に集中して、鼓動が急速にスピードを上げた。
「は、橋本、ひまり、です。えっと……」
他の人は、好きなこととか、得意なこととか、何か一言言っていた気がする。
でも、僕の喉からは何も言葉が出てこない。
「よろしく、お願いします……」
変にためたせいで、みんな拍子抜けしてしまったようだ。
やっぱり、声も手足も震えてしまったし。
ごめんなさい、ごめんなさい。
どうか、嫌いにならないで。
瞳がじわりと潤みそうになったとき、背後から大きな拍手が聞こえた。
「っ……!」
その拍手を合図に、他のみんなも普通に拍手をしてくれて。
座って、振り向いて、お礼を言おうと思ったけど、そういえば次は彼の番だった。
「平峰和真です。えっと……僕も、言いたいこと忘れちゃいました。よろしくお願いします」
ぺこ、とお辞儀をした和くんは、僕とは違って落ち着いていたし、すごく堂々としていた。
みんなの視線が次の列に移った後で、和くんに「ありがとう」と口の形で伝えると、和くんはちょっとだけほっぺたを赤くして、「どういたしまして」と返してくれたんだ。
初めての昼休みも、和くんと過ごした。
給食を時間内に食べきれなかった僕の隣に座って、和くんは優しく応援してくれた。
そのおかげで、五分もすればごちそうさまをすることができて……
「和真くん、何して遊ぶ?」
「あ、俺のこと、呼び捨てでいいよ」
「えっ」
「俺も、ひまりって呼んでもいい?」
「ぼ、僕はいいけど……なんか、自分が呼ぶのは緊張しちゃうかも」
小学校では一人ぼっちで、誰かとこんな風に親しくなれなかったから……いきなり「和真」だなんて、とてもじゃないけど呼べなくて。
「よ、呼び方、『和くん』は?」
「……!ふふ、嬉しい。ひまりの好きな呼び方で呼んで」
そう、僕はこのときから、和くんって呼ぶようになったんだ。
廊下の窓から入ってくる風が、和くんのサラサラの髪を揺らして、とても、とっても綺麗だった。
◇
◇
◇
「ひま、帰ろ」
「和くん。おつかれさま」
七月に入る頃には、「ひまり」じゃなくて「ひま」と呼ばれることも増えた。
仲良し度がアップしたみたいで嬉しかったな。
和くんはサッカー部、僕は吹奏楽部に入ったけれど、毎日、互いの部活が終わってから一緒に帰っていた。
大抵は僕の方が少し早く終わるから、図書室の椅子に座って和くんを待つのが日常だった。
毎日することは、他にもあった。
「今日は何聴く?」
左耳のイヤホンを渡すと、和くんは「ありがとう」と微笑んでそれを受け取る。
「ひまのおすすめ聴きたいな」
「え〜なんだろう、迷っちゃうな」
帰り道、僕たちは一つのイヤホンを片耳ずつ、二人でつけて、一緒に曲を聴くのが好きだった。
曲の好みが似ていたから、好きな曲が同じであることも多かったし、どちらかが知らない曲をおすすめしたら、あっという間に二人のお気に入りの曲になるんだ。
「じゃあ、これはどう?」
再生ボタンを押すと、最近ハマった夏らしいラブソングが流れてくる。
爽やかで少し切ないメロディーと、歌詞の鮮やかな表現力に惹かれたんだ。
「すごい……俺、これめっちゃ好き」
「ほんと?良かった」
「夏の始まりにぴったりだね。歌詞も好きだな」
「だよね!胸がキュンってなる感じで、ドキドキするよね」
「ふふ、そうだね」
テンションが上がって、ついはしゃいでしまう僕のことを、和くんはいつも温かい笑顔で受け入れてくれた。
「和くんもキュンって感じする?ドキドキする?」
「うん、する。胸がきゅーってなるね」
和くんが初めて告白をされたのは、そんな会話をした翌日のことだった。
「えっ、告白?」
「うん」
昼休み、用事があると言って教室にいなかった和くん。
戻ってきた後に何をしていたのかと尋ねると、なんと、女の子に呼び出され、告白されていたという。
「な、なんて返したの?」
「ごめんねって断ったよ」
「そ、そっかぁ……」
人生で初めて“恋”というものが身近になって、このときの僕は、当事者でもないのにドキドキしていた。
そして、和くんに恋人ができるかもしれないという発想自体も、そのときに初めて生まれたんだ。
「……和くんは、好きな人いるの?」
当時はまだ、あまり深く考えずにこの質問をしていた。
「いない、かな。ひまはいるの?」
「えっ!?い、いないよ、そんな、僕は……友達だって、和くんが初めてで」
「俺も、こんなに仲良くなれたの、ひまが初めてだよ」
「……!」
和くんがはにかんでそう言ってくれたとき、昨日、一緒にラブソングを聴いたときみたいに、胸がきゅーっとなった。
純粋に嬉しくて、幸せでいっぱいになったから、そんな感覚が生まれたのだと思った。
このときはまだ、感情を細かく解釈できるほど、僕の心は成熟していなかった。
◇
◇
◇
和くんと初めてお出かけしたのは、夏休みの後半だった。
二人でたくさん相談して、電車で一時間ほどの場所にある動物園に行くことに決めた。
中学一年生の僕たちにとっては、何もかもが新鮮で特別だった。
二人で電車に乗るだけで楽しかったし、お年玉でチケットの代金を払うのもワクワクして。
「わ!和くん!見て!」
「わー!シマウマだ!すごいね!」
普段の生活では見ることのできない動物たちは、僕らの非日常感をより一層高めた。
「これ、ひま好きそう」
「わぁ、可愛い!和くん、お揃いにしようよ」
お土産ショップで和くんが見つけてくれたのは、可愛いパンダのステッカー。
せっかくだから、と二枚買って、帰りの電車でスマホケースに挟んだ。
お揃いのものを買ったのも初めてだったから、その日は興奮が収まらなくて、いつもなら寝る時間になっても目が冴えちゃってた。
秋の終わり頃には、楽しいことだけじゃなくて、悲しいことも共有した。
「え……別居?」
「うん」
和くんのご両親は元々仲が良くなかったみたいだけど、その秋、とうとう別居することになってしまった、と。
「俺が社会人になるまで、離婚はしないんだって。俺のことで喧嘩してるの、この前聞いちゃった」
そう話す和くんが、ひどく傷ついた顔をしていたから、僕は思わず和くんのことを抱きしめた。
それくらいしか、自分にできることが思いつかなくて。
「……寂しい?」
「っ……うん……」
和くんは静かに涙を流していた。
こんなにも優しくて尊い人が、どうして悲しまなければならないのか……やり場のない怒りのようなものを感じて、僕もすごく苦しかった。
けれど、一番辛いのは間違いなく和くんで……和くんの痛みを全部、僕が代わりに引き受けたいと、そう思うほどに和くんのことが大切だった。
クリスマスは、和くんのお家でゲームをして遊んだ。
ご両親のことでまだ落ち込んでいた和くんに、ちょっとでも元気になってほしくて、お揃いのマフラーをプレゼントしたら……
和くんは大きな目をきらきらと煌めかせて、想像以上に喜んでくれた。
幼い頃から使わずに貯め続けていたお年玉も、大活躍できて嬉しかったと思う。
バレンタインには、僕の家で一緒にチョコケーキを作って食べた。
和くんは色んな女の子からチョコレートを渡されそうになっていたけれど、全部丁寧に断っていた。
誰か一人から受け取ったら、他の人の分も同じようにしなければならないから、初めから受け取らないのだと言っていた。
和くんのそういう真面目で誠実なところが、僕は大好きだった。
二年生でも、僕らは同じクラスだった。
この年から、和くんは徐々に大人っぽくなっていった。
身長が少しずつ高くなって、あとは、声が低くなって。
ひだまりのような瞳の温もりも、羽毛布団みたいに柔らかい話し方も、変わらずそこにあったけれど……
和くんが遠くなっていくようで、少し、不安だった。
そんな中、僕を動揺させる出来事があった。
六月の終わり、水泳の授業が始まった日のこと。
不意に目に入った和くんの上半身が、とても、逞しくて。
なぜか、少しの間見入ってしまうほどに、惹きつけられてしまった。
「ひま?どうしたの?」
「っ、ううん、早く着替えなきゃ」
見つめていたことを和くんに気づかれたとき、顔がぶわりと熱くなった。
じろじろと見てしまったことに対する申し訳なさと、恥ずかしさと……色々混ざって頭がパンクしそうだった。
一年の頃はこんなことなかったのに、どうして……って。
和くんはずっとかっこよかったけど、その日からはさらにかっこよく見えるようになってしまった。
和くんのことをかっこいいと思っていたのは、当然僕だけではない。
和くんが告白される頻度は高くなるばかりだった。
和くんが誰かに呼び出されると胸がモヤモヤとして、和くんが「断ったよ」と伝えてくれるとものすごく安堵した。
和くんとの登下校も、教室移動も、お昼休みも、誰かに奪われたくなかった。
和くんのことだけは、ずっとずっと独り占めしたかった。
和くんは、僕の、たった一人の親友だから。
和くんも同じ気持ちだと知ったのは、その冬のこと。
本当に驚いたことに、僕に告白してくれた女の子がいたんだ。
「告白された」と伝えたときの和くんの表情は、よく印象に残っている。
瞳が切なげに揺れて、寂しそうな色を滲ませていた。
それを見て、僕は少し……いや、すごく嬉しいと思ってしまった。
「ひま、なんて返したの?」
「断ったよ。僕は、一秒でも長く、和くんとお話していたいから」
「……!俺も。ひまと話すのが、一番楽しい」
僕が昨年あげたマフラーに口元を埋めて、ふんわりと笑う和くんを見たとき、これまでに経験したことないくらい、胸の奥がきゅうっと締めつけられた。
「そうだ、昨日、いい曲見つけたんだ」
そんな僕に和くんが聴かせてきたのは、まもなく訪れるクリスマスの恋のうた。
切なく甘いメロディーに乗って耳に溶ける歌詞、そのひとつひとつが和くんへの気持ちと重なって……
曲が終わりに近づくにつれて、自分がこれまで抱いてきた想いの答え合わせをしているような気分になった。
中学二年のクリスマス、僕は、和くんに恋をしていると気づいた。
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