第7話 夜の音
会う前日の仕事終わり、
鼻歌を歌いながら軽快に自転車を漕ぐ自分がいた。
いつもと同じ帰り道が
こんなに楽しい日はなかった。
雲に覆われたどんよりした夜空も
今日は地球を丸ごと優しい雲に
抱かれているようなそんな気持ちになった。
家についてシャワーを浴び、
いつもならこのまま寝るのだが。
今日はクローゼットが気になった。
別に明日会うからとかじゃない。
ただ明日は何着ていこうか決めたくなっただけ。
「別に意識してるわけじゃない」
そう自分に言い聞かせた。
相手はほんの情けで会ってくれるだけかもしれない。
もし、バイトの詳細を聞かれるだけの面接のようになってしまった時の
自分の心の逃げ道を一旦作った。
逃げ道を作った割には
選んだのはお気に入りの服。
そんな自分にため息をついた。
心に嘘はつけないなぁ。と。
そんな時スマホの通知が鳴った。
"明日の夜、暇だったら会わない?"
サキからの連絡だった。
普段会うことのない曜日に会おうと連絡が来る。
ここが別れ道。
そう神様に言われている気がした。
いつもなら二つ返事で
"会おう"と返すが、
とても迷った。
迷ったといってもどんな理由で断るのかを迷っていた。
会いたい気持ちが、無いわけじゃない。
けれど今は、その気持ちの奥に
別の誰かの影が紛れ込んでいる。
その影が濃くなればなるほど
サキへの罪悪感も輝きを増した。
きっとその輝きの眩しさに耐えられなくなった時、もしくはその光さえも色濃い影に覆われた時が終わりの時だろう。
そんなことを考えながら、
"ごめん、明日は仕事で遅くなるかも。
また今度でもいい?"
送信ボタンを押した。
その影の正体をこの気持ちの正体を知らない限りは自分は前には進めないと思った。
画面を伏せてベッドに倒れ込む。
静かな部屋に心臓の音だけがやけに響いた。
本当にこれでよかったのだろうか。
いや、良かったと思えるようにしよう。
深夜から降り出した雨の音が罪悪感を洗い流しているようだった。
それでも、うまくいっていた頃の
サキと過ごした時間が
罪悪感と合わさってこびりつき、
完全に落ちることはなかった。
ーーーーーー
仕事が終わり、
雨上がり湿気を纏った空気を割きながら
待ち合わせ場所へ急ぐ。
彼女はもう着いて待っているらしい。
お互い仕事が思いのほか長引いてしまい、待ち合わせ場所から
音葉の最寄りの駅まで一緒に向かうことになった。
想定外の展開に走ったせいだけではない心臓の高鳴りが混ざる。
「すみません!待ちました?」
僕は声をかけた。
「あ、お疲れ様です。
全然今きたとこです。」
彼女はバイトの服ではない私服を着ていて、背景が八百屋ではない。
そんな姿に目が眩んだ。
八百屋で会ったり電話はしていたが
プライベートで直接会うのは初めてでお互い敬語でぎこちなさが残っていた。
だがそこに気まずさは全くなかった。
駅で電車を待つ。
「いいよなー、若いって」
近くにいたサラリーマン男性の
ヒソヒソ話が耳に入ってきた。
彼女と顔を見合わせて笑い
電車に乗り込んだ。
2人並んで座り、
「なんか、こうして会うの不思議な感じしますね。」
音葉が笑う。
「だね。」
それしか僕は言えなかった。
全く同じ言葉を言おうとした矢先に
彼女がそれを言ってきたから。
でもここで
"今俺もそれ言おうと思った"
と言ってしまったら
この出会いが、そしてこの気持ちが
安っぽくなりそうで。
だから、ただ「だね。」とだけ言った。
今日だけは恋愛映画の2人になった気分だった。
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