山中、古びた温泉宿

「……やべえな。何もネタが思い浮かばない」


 早朝からペンを手に白紙の原稿と睨み合っていたが駄目だ。

 ただの一度も手が動くことがないまま三時間が経ってしまった。


「前までの俺、どうやって描いてたんだ……?」


 年単位で創作から離れていたせいかまるで勝手が分からない。

 技術的な部分はまあ問題ない。マヨヒガ改装案のスケッチとかもやってたしな。

 だがネタ出しという部分がまるで駄目。

 漫画を描いていた頃はこういう部分で苦労した覚えはないんだがな。


「感性の問題か?」


 先にリタイアしていった山本さんたちほどではないが俺も摩耗はしていた。

 体の方は全然問題ないが精神面でまだ影響が残っているのかもしれない。

 そのせいで思い描くこれ良い! を上手く出力出来ていないのではなかろうか。

 どうしたものかと鬱々していたら、


「あ」


 ポンと降りて来た。

 具体的な話の内容はまだだが主人公の相手役となる男のキャラがぼんやりとだが定まったのだ。

 まあまあまあ、よくある俺様系ね。古くから親しまれるキャラ属性だ。

 よくよく考えたら俺、こういうタイプ描いたことなかったし丁度良いかなって。


「っぱ尊大で何でも出来るイケメンが自分にだけは対応違うって良いよね……」


 平凡な主人公のことなんか有象無象の一つでしかないと思ってるのよ。

 けど何かの切っ掛けで見るべきものがあると判断してからは目をかけるって形でデレ始めるの。

 最初は能力の評価でしかなかったけどやがて私的な部分も……。


「おお! 何や! いけるやんけ!!」


 ムラムラと沸き上がる創作意欲。

 いざ妄想を現実にとペンを走らせようとするが、


「……クッ! 駄目だ! 理想のビジュアルが思い浮かばん!!」


 この話の主人公と相手役に相応しいビジュアルは何だ?

 大前提として俺に刺さるものでなければいけないのだが……分からない。

 腹は減ってるけど今自分が何を食べたいのか判然としない時のような感じだ。

 いやでも話の筋がぼんやりとでも立てられたのは前進だな。


「はあ。風呂でも行くか」


 ずっと同じ姿勢で固まってたもんだから体が痛いのだ。

 書院を出て温泉に向かう。

 今のマヨヒガは山奥にひっそりと佇む古めかしい温泉宿なのだ。

 以前テュポーンの力を借りてファンタジーなのにしてみたのだが……。


「楽しくはあるけど落ち着かないってのは盲点だったなあ」


 露天風呂に浸かりながら実験の日々を思い返す。

 最初の内は良かったのだ。普通に楽しかった。

 だが暮らすとなれば落ち着かず、結局現実的なもののが良いよねってなった。

 生活に根差したファンタジー要素が足を引っ張ってしまう。

 勝手に動く廊下とか最初の数日は楽しいけどそれ過ぎると違和感しかねえよなっていう。


「ただ逆に言えばそこらを気にして詰めてけば改善の余地はありそうでもある」


 一旦気持ちが切れてしまったので中断したが気が向いた時、また試行錯誤すれば良いだろう。

 何せ時間は腐るほどあるのだから。


「ふぃー……」


 硬くなった体がゆるゆると解れていく感覚が堪らない。

 何時入っても好みの温度で汚れることがないので掃除をする必要がない。

 天候や時間は弄り放題で景色は思うがまま。控え目に言って最高だ。

 今は時間帯は昼前で天候は雨に設定しているのだがこれがまた良い。

 屋根を叩く不快にならない程度の雨音。照り映える緑を濡らす雫。最高に癒される。


「ええ湯じゃったぁ」


 まったり長風呂をキメてほくほくになった俺は浴衣に着替えるとそのまま宿を出た。

 昼食前にもっと腹を空かせるべく散歩をしようと思ったのだ。


「お」


 少し歩いたところにある川原に足を運び流れる水面を眺めていると魚が跳ねた。

 特に指定したわけではないが生物もちゃんと存在しているらしい。


「……これ川釣りとかもできそうだな」


 川魚やサワガニとかを捕まえてそいつを料理して頂くというのはかなり楽しそうだ。

 いや待てよ。どうせなら山菜とか茸を探して採取してみるのもどうだ?

 山中の恵みフルコースとかめっちゃ良さそうじゃんね。


「おぉ、テンション上がって来た!」


 そしてついでに腹も減って来た。

 全然歩いてないけどもう戻ろうかと踵を返した瞬間、


「……ん?」


 テュポーンが訪れた時とまったく同じそれを感じた。

 どうやらまた妙な客がやって来たようだ。


「あっちか」


 感覚的にまだ結構距離がある。

 事情を説明する必要があるのだからこちらから迎えに行った方が良いだろう。

 霧の出て来た山道を歩くことしばし少し遠くに人影が見えた。

 あちらも気付いたようで少し歩く速度が上がったように思う。


「もし。少し良いだろうか?」

「!」


 霧でよく見えなかった姿形がハッキリと見えた瞬間、俺はカッ! と目を見開いた。

 すらりと伸びた長い手足。怜悧な顔立ち。

 和のテイストを感じる軍服風の衣装はコスプレかな? ってちょっと気になるが……。


「あんれまあ! えらい男前が来はったわぁ!!」


 脳天から爪先までをビビ! っと迸るインスピレーション。

 俺の中の乙女が顔を出してしまうほどの美形であった。


「男前……? あいや、私は女なのだが」

「あ、はい。分かってます。えっと今のはそういうあれじゃなくて」


 この別嬪さんを男体化させたら良い感じのデザインになりそう!

 と思ったのだがこんな場所で一からそんな話をするのは流石に駄目だろう。

 何ていうか普通に不審者だ。これから共同生活を送る相手にそれはよろしくない。

 いやまあ既にちょっと引かれるようなこと言っちゃったんだけどさ。


「ゴホン! それはさておき君は気付けばここに迷い込んでいたクチかな?」

「……ああ。あなたが何かしたのかな?」


 すっ、と女の目が細まる。

 事情を察してる時点で怪しいと思うのは当然だろう。

 だがそれより何より、


(っべえ。マジやっべえ。この眼差し……え、絵になる……!!)


 クソ、今直ぐ部屋に戻って原稿に取り掛かりてえ。

 とはいえそうするわけにもいかないのが管理人の辛いところだ。


「俺が意図してそうしたわけじゃないよ。ここは俺の管理している場所だけどね」

「ふむ?」

「マヨヒガは知ってるかい?」

「遠野物語の? つまりここは」


 お、やっぱ通じたか。

 気配的にテュポーンと同じ超常の力を使う人間っぽかったから伝わると思ったんだよな。


「そうそのマヨヒガだ」


 女が口を開こうとするがそれを手で制し続ける。


「立ち話も何だ。少し歩くことになるが宿がある。詳しいことはそこで」

「……了解した」

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