第2話 「決断」

**登場人物**

- ナカソネ

- タケシタ

- オオヒラ

- シカイチ(ニッポン首相)

- カネマル(防衛大臣)

- ミヤザワ(官房長官)


**舞台**

ミサイル戦艦「ムサシ」艦橋及びニッポン首相官邸執務室


---


**起**


 首相官邸は混乱していた。


 廊下を職員が走る。

 緊急会議が開かれている。

 電話が鳴り続ける。誰もが動揺していた。

 この国の中枢が。今、揺れている。


 ――執務室ではシカイチが書類を叩きつけていた。


「どういうことだ!」


 怒号が響く。

 彼の額には汗が浮かび、手が震えている。

 恐怖と怒りが混ざった表情をしていた。


 カネマル防衛大臣が冷や汗を拭う。

 ハンカチが既に湿っている。彼も動揺している。しかし報告しなければならない。


「第三艦隊が、反乱を……」


 言葉が続かない。現実を口にするのが恐ろしい。

 その様子にシカイチは立ち上がる。

 その勢いに、椅子が倒れる。彼は机に両手をついた。今にも掴みかからんばかりの勢いだ。


「そんな事はわかっている! なぜ止められない!」


 激発するシカイチに、ミヤザワ官房長官が割って入った。

 五十代の男だ。冷静さで知られている。

 しかし今は、その顔にも緊張が走っていた。


「首相。落ち着いてください」


 声はあくまで穏やかに。しかし効果はまるでない。

 シカイチはミヤザワを睨む。


「落ち着けだと? 海軍が反乱を起こしているんだぞ!」


 怒りが制御できていない。

 この国のトップが、みっともなくパニックに陥っていた。


 カネマルは報告書を開く。

 手が震えている。しかし職務を遂行しようとしていた。

 軍人としての訓練が、確かに彼を支えている。


「第三艦隊は現在トーキョー湾へ向かっています」


 シカイチは時計を見る。


「到着予定時刻は」


 苛立たし気なシカイチの言葉に、カネマルは意図的に一呼吸置いた。


「五時間後です」


 部屋が静まり返る。

 五時間。たった五時間で、この国の運命が決まると言うのか。


 シカイチは窓際へ歩く。

 その足取りは重い。


 窓から外を見ると、トーキョーの街が広がっている。

 平和な光景だ。市民は何も知らないのだから、普段と変わらない日常を過ごしている。


 ――まだ、何も問題はない。そう。今は、まだ。


 しかし五時間後には全てが変わる。

 この平和が。

 この日常が。

 破壊されるかもしれない。


「他の戦力はどうなっている?」


 シカイチの声が低い。

 カネマルが答える。


「陸軍に出動を要請しました」


 シカイチは振り返る。

 そうだ、陸軍がある。ならば、まだ戦える。

 希望が顔に浮かぶ。無知が故の希望であった。


「陸軍で海軍と戦えるのか?」


 シカイチの言葉に、ミヤザワが首を振った。

 まるで死刑宣告をするように。


「いえ。防衛用の装備しかありません」


 希望が消えたのは一瞬だった。

 陸軍の兵装射程では、海上の戦艦は攻撃できない。

 あくまでも守るだけ。防衛用に準備した装備だったからだ。

 それでは勝てない。


 シカイチは椅子に座り込む。


 力が抜ける。全身から。

 この二十年間、権力を握ってきた。

 しかし今、その権力が音を立てて崩れようとしている。


「これは悪夢だ」


 呟きが漏れる。現実を受け入れられない。

 カネマルが進言する。


「首相。ナカソネ艦長と交渉すべきです」


 その言葉に。シカイチは鼻で笑う。

 侮蔑の笑いだ。しかしその裏に恐怖が隠れている。


「あの反逆者とか?」


 プライドが邪魔をする。

 国のトップが、反乱軍と交渉する。

 それは屈服を意味する。認められるものではなかった。


 しかしミヤザワも、カネマルの言葉に同意する。


「ですが実力行使は避けるべきです。内戦になれば……」


 ミヤザワが言葉を濁す。その先を言葉にしたくなかった。

 血が流れる。多くの命が失われる。

 失敗しました、では済まされない。


 しかしそんなミヤザワの言葉を、シカイチが遮る。


「内戦? 馬鹿な。海軍の一部が騒いでいるだけだ」


 現実逃避の言葉だ。

 彼は認めたくないのだ。この危機の深刻さを。

 カネマルは事の深刻さを指摘する。


「しかし第三艦隊は我が海軍の主力です」


 彼は詳細を述べる。


「シンとの決戦を想定して投入した、最新式のミサイル戦艦ムサシを筆頭に。巡洋艦、駆逐艦、ドローン空母……」


一つ一つの艦名が。重くのしかかる。


「計十五隻が」


 十五隻。ニッポン海軍の半分以上だ。

 これを「一部」とは言えない。


 シカイチはやめろ、と手を振った。

 心情的に認められなかったのか、それとも現実が見えていないのか。

 明らかに、現実を軽視した発言だった。


「数の問題ではない」


 ミヤザワが尋ねる。


「では何が?」


 シカイチは言い切る。

 最後の砦にすがるように。


「正統性だ」


 彼は、自分に言い聞かせるように続ける。


「私は選挙で選ばれた。ナカソネは単なる反逆者に過ぎない」


 その言葉に。カネマルは押し黙った。

 ミヤザワも口を閉ざす。

 二人は理解していた。

 正統性。確かにシカイチは選挙で選ばれている。


 ――しかし、国民は今も彼を支持しているのか?


 根拠の薄い自信を滲ませるシカイチの言葉を聞いたからこそ。

 ナカソネという男を知っているからこそ。

 二人の心の中に、大きな疑問が芽吹き始めていた。


「その正統性を、国民は認めるのですか?」


 事ここに至るまで気にもしなかった疑問。

 しかし気付いてしまったその疑問は、考えれば考える程に大きくなっていく。

 呟かれた疑問に答えずに、シカイチは一人立ち上がる。

 決意を固めたように。あるいは、疑問を無視するように。


「国民に向けて声明を出す。準備しろ」


 ミヤザワが驚く。


「今ですか?」


 時間がない。根回しも情報も不十分だ。

 何時もの選挙のようにはいかない。

 しかし、シカイチはやるつもりだ。


「今しかないのだ」


 先手を打たねばならない。

 ナカソネより先に、 国民に語りかけねば。

 彼の思考は、それ一色であった。


**承**


 ムサシの艦橋では別の会議が開かれていた。

 首相官邸の執務室と比較し、こちらは冷静だ。

 落ち着いている。士官たちの顔に動揺はない。


 ナカソネは艦隊の艦長たちと、通信回線で繋がっていた。


 画面に複数の顔が映っている。

 若い艦長。ベテラン艦長。

 全員が真剣な表情だ。


「現状を報告する」


 タケシタが地図を指す。

 デジタル地図だ。

 赤い点が艦隊の位置を示している。青い点が首都トーキョー。

 距離は順調に縮まっている。


「我々はトーキョー湾まであと四時間」


 タケシタの声は冷静だ。


「政府は、陸軍に首都防衛を命じた」


 駆逐艦の艦長が質問する。

 若い男で、不安なのだろう。


「陸軍は我々と戦うのか?」


 同じ国の軍隊同士で戦う。それは誰も望んでいない。

 ナカソネは安心させるように首を振る。


「おそらく様子見だ」


 彼は確信を持って言う。


「陸軍も政府には不満を持っている」

「しかし命令には従うでしょう」


 巡洋艦の艦長が言葉を返した。

 ベテランらしい現実的な指摘だ。

 不満があっても、軍人は命令に従う。

 それが規律だ。


 その言葉をナカソネは認める。


「その通りだ」


 彼は続ける。


「だからこそ、我々は慎重に動く必要がある。先制攻撃など考えるな」


 無用な衝突は避ける。

 無用な血を流さずに済む方法を探る。

 クーデターを起こすと決めた以上、それは最低限の矜持であった。


 オオヒラが報告する。


「首相が国民向け声明を発表するそうです」


 ナカソネは興味を示す。


「内容は?」


 先手を打たれた。しかし慌てない。

 オオヒラがモニターを操作する。

 画面が切り替わり、シカイチが映る。

 彼は原稿を読み上げている最中だった。


「国民の皆さん。現在、海軍の一部が反乱を起こしています」


 ナカソネは腕を組む。

 艦橋の艦長たちも同じ気持ちだった。

 一部と、まだそう言うのか。まるで現実が見えていない。

 過去より続くこの国の政治家の悪い癖が、最大限に発揮されている言葉であった。


「しかし原稿が必要とはな」


 事ここに至り、それでもシカイチが伝えるべき言葉は、胸の内ではなく紙の上にあるらしい。それがどうにも、癪に障った。


 シカイチは言葉を続ける。


「しかしこれは小規模な反乱です」


 明らかな嘘だ。


「政府は完全に統制しています」


 していない。誰の目にも明らかだ。


「どうか冷静な対応を――」


 シカイチの言葉が空虚に響く。

 続きを見る必要を感じなかった。


 ナカソネは笑う。

 その笑いには、多分な呆れが込められている。


「小規模か」

「自国の海軍主力を小規模と思っていたとは。初耳です」


 ナカソネにつられるように、タケシタも笑う。

 皮肉としてなら面白い。

 しかし笑えない事に、これが現実だった。


 オオヒラが真面目な顔で言う。


「しかし、国民は信じるかもしれません」


 若い士官の懸念であり、正当な懸念だ。

 政府の声明は強い。それが権威というものもあるが、政府の言い分を信じる真面目な国民性が故という理由もあった。

 だからこそ、ナカソネの次の手はすぐに決まった。


「我々も声明を出す」


 対抗する。真実を伝える。

 艦長たちがざわめく。


「声明を?」


 驚きの声だ。

 反乱軍が国民に語りかける。

 前例のないことだ。


 その言葉に頷き。ナカソネは宣言する。


「国民には真実を伝えれば良い」


 声に力がある。


「政府の腐敗を。軍の現状を。そしてこのクーデターの目的を」


 全てを明かせばいいのだと、ナカソネは言う。

 隠さない。正直に伝える。

 それだけで良い。他には何もいらない。


 タケシタが確認する。


「全国放送ですか?」


 大胆な計画に思えたが、確かに必要だ。

 ナカソネは肯定し、オオヒラに目を向ける。


「可能か?」


 視線を受けたオオヒラが考える。

 指が画面を操作する。計算している。


「軍の通信網を使い、民間のテレビ局を乗っ取れば、おそらくは」


 彼は頷く。技術的には可能だ。

 あの下らない演説にかかり切りになっているのなら、諜報防衛まで手が及んでいない可能性は高い。


 ナカソネは命令する。


「準備しろ。一時間後に放送する」


 艦長たちが敬礼する。

 一糸乱れぬ動きだ。全員が従う。迷いがない。


 通信が切れる。

 画面が暗くなる。艦橋に二人が残る。

 タケシタが尋ねる。


「原稿は?」

「即興だ」


 準備しない。心から語る。

 タケシタは驚く。


「大丈夫ですか?」


 失敗は許されない。この一回で全てが決まるのだから。

 ナカソネは窓の外を見る。


 海が見える。青い海だ。


「心配するな」


 彼は微笑む。


「言いたいことは山ほどある」


 二十年以上、言いたくても言えなかった。

 しかし今ならば言えるのだ。

 全てを。


**転**


 一時間後。


 ニッポン全土のテレビが、突然切り替わった。


 家族で夕食を食べていた人々が、驚いて画面を見る。

 仕事から帰ったばかりの人が、テレビをつけて固まる。


 画面に軍服を着た男が映る。

 ナカソネだ。


 彼は真っ直ぐカメラを見ている。

 その目に迷いがない。焦りも、おべっかも。

 ただ静かな決意だけがあった。


「国民の皆さん」


 声が響く。落ち着いた声だ。しかし力強い。


「私は海軍艦長ナカソネです」


 全国で視聴者が息を呑む。

 反乱軍のリーダーだ。テロリストの首謀者。そう聞いている。


 ――いや。本当にそうなのか?


 何か違う。彼の目を見れば分かる。


「本日、私は政府の命令を拒否しました」


 明確な宣言だ。


「理由を説明します」


 ナカソネは一呼吸置く。

 間を取る。視聴者の注意を引く。


「ニッポンは腐っています」


 衝撃的な言葉だ。

 国のトップ軍人が。いや、トップであった軍人が言い切った。


 視聴者は画面に釘付けだ。

 子供が話しかけても、親は生返事を返すだけだ。

 全員が聞き入っている。


「政府は国民を搾取し」


 ナカソネの声に感情が込められる。


「若者を無意味な戦争に送り込もうとしています」


 怒りだ。抑えきれない熱量が伝わる。

 しかし制御されている。熱い鋼のような言葉であった。


 首相官邸では、シカイチが絶叫していた。


「止めろ! 放送を止めさせろ!」


 彼は部下に怒鳴る。しかし誰も動けない。

 カネマルは頭を抱えていた。


「無理です」


 声が弱い。諦めが滲んでいる。


「軍の通信網を乗っ取られました」


 こうなると、技術的にすぐに止める事は不可能だ。

 止められない。全国が。いや、世界が見ている。


 ナカソネは続ける。


「本日。政府はミン救援のため軍の出動を命じました」


 彼は資料を掲げる。

 出動命令書だ。シカイチのサインがアップされる。


「しかし。この命令には正当性がありません」


 ナカソネは一つ一つ指摘する。


「ミンからの要請がなく」


 指を立てる。


「国連の承認もない」


 もう一本指を立てる。


「ただ政府の野心的感情だけの命令だ」


 もはや公開処刑である。

 視聴者は画面に釘付けだ。

 これは真実なのか。政府は本当にそんな命令を出したのか。


「故に、私は問います」


 ナカソネの声が大きくなる。


「なぜニッポンは、関係ない戦争に関わろうとしているのかと」


 問いかけだ。全国民への。

 ナカソネの声に怒りが滲む。


「答えは簡単です」


 彼は拳を握る。


「政府が、過去の栄光を取り戻したいからです」


 おそらく、それは真実だ。誰もが薄々感じていた事実。

 この国は未来ではなく、過去へ進みたがっている。

 誰もが感じていたそんな事実を、ナカソネは明確な言葉にしただけだった。


 彼は拳を握る。爪が手のひらに食い込む。


「五十年前。ニッポンは偉大でした」


 過去を語る。輝かしい過去を。


「技術に優れ、裕福で。思いやりの心で、世界から尊敬されていました」


 誰もがその時代を懐かしむ。戻りたいと切に願う。

 ああ、なるほど。分からなくもないと納得しかける。しかしナカソネの決意に満ちた表情が、意識を苦しい現実へと引き上げた。


「しかし、今は違う」


 ナカソネは、ただ現実を突きつける。


「格差が拡大し。孤独な生が蔓延し。未来に希望を抱くべき若者の就職先は軍しかない」


 痛い真実だ。皆が知っている。

 しかし口にしなかった真実だ。

 何時かは。やがて何時かはと。

 そんな風に夢想して、問題を先送りにし続けて。

 行きついた先は、理想の中にあった“何時か”ではなく“今”だった。


 視聴者の中には頷く者もいる。俯く者もいた。


「これは誰のせいか?」


 ナカソネは問う。


「政府です。この国の舵取りをする政治家たちです」


 ナカソネは立ち上がる。

 カメラが彼を追う。

 全身が映る。立派な軍服姿だ。勲章がキラリと光っている。


「だから私は、決意しました」


 声が響く。


「この国を変えると」


 宣言だ。

 彼は革命の宣言をする。


「私はこれより。クーデターを決行します」


 全国が静まり返る。

 テレビの前の全員が、息を呑む。

 クーデター。

 その言葉の重さが。ニッポン国民全員にのしかかる。


「目的は一つ」


 そしてクーデターの言葉の重さをもっと知るナカソネは、国民の誰よりも真剣であった。そうである必要があると自戒している。


「腐敗した政府を倒し、真の国民のための国家を取り戻すことです」


 首相官邸ではシカイチが椅子を蹴倒していた。


「あの馬鹿が!」


 怒りが爆発する。


「英雄にでもなったつもりか!? 頭のイカれたテロリストめ!」


 しかし誰もシカイチを見ていない。

 全員がテレビを見ている。

 ミヤザワが冷静に言う。


「しかし国民は聞いています」


 事実だ。全国が聞いている。

 カネマルも頷く。


「世論が傾くかもしれません」


 可能性がある。いや。既に傾いているだろう。

 シカイチは二人を睨む。


「何を言っている!」


 彼は叫ぶ。


「テロリストの言葉に耳を貸すものか!」


 しかし彼の声は虚しい。

 熱の籠らない言葉など、誰の心にも届かない。


**結**


 ナカソネは放送を続ける。

 

 まだ終わっていない。

 最も重要な部分が残っている。


「しかし、誤解しないでください」


 彼は真剣な表情だ。

 目が真っ直ぐカメラを見ている。


「私は独裁者になりたいわけではありません」


 明確な否定だ。

 視聴者が耳を傾ける。

 現政権の打倒を望み、しかしトップにはならないと言う。

 それでは、何を望むというのか。


「私の目的は」


 ナカソネは一呼吸置く。


「民意を政治に反映させることです」


 民主主義だ。正しい民主主義を主張する。

 彼は深く息を吸う。

 次の言葉を準備する溜めだ。最も衝撃的な言葉を。


「だから提案します」


 視聴者が身を乗り出す。

 彼は宣言する。


「首都トーキョーの政治機能に空爆を仕掛けます」


 衝撃が走る。

 全国が凍りつく。

 空爆。自国の首都へ空爆を行うと言ったのか、この男は。


「シンとの決戦を想定した我が第三艦隊であれば、それが可能です」


 脅しではない。事実だ。今の彼には力がある。

 ナカソネの宣言に衝撃が走る。

 家族が顔を見合わせる。これは本気なのか?


 ――シカイチは官邸で叫ぶしかできない。


「狂っている!」


 彼の顔は蒼白だ。


「完全に狂っている!」


 しかしその言葉は誰にも届かない。

 全員がテレビを見ている。

 ナカソネは続ける。


「ただし条件があります」


 視聴者が息を呑む。

 条件。何を求めるのか。

 彼は指を立てる。


「ニッポン国民の皆さんが決めてください」


 民意を問う。国民に選択させる。


「トーキョーを空爆すべきか。それとも、現政府へと投降するべきか」


 その言葉に。全国が凍りつく。

 選択だ。この男は国民に選択を迫っている。

 政府を守るか、破壊するか。


「五日後に選挙を実施してください」


 具体的だ。準備しろと言っている。


「投票は簡単です。空爆に賛成か、反対か」


 そして、二択を突き付ける。

 明確で簡単な二択。

 彼は付け加える。


「そして私は、民意に従います」


 それは約束だった。

 多数決に従うという、とても簡単で難しい約束事。


「たとえそれが、私の破滅を意味しても」


 それは覚悟であり、宣言だった。

 命を賭けた覚悟だ。

 タケシタが小声で言う。


「艦長。本気ですか」


 信じられない。この男は本気で民意に従うつもりだ。

 ナカソネは頷く。


「民主主義とは、本来そういうものだ」


 しかし彼は確信していた。これが正しい道だと。

 彼はカメラに向かって最後の言葉を述べる。


「賢明なニッポン国民の皆さん」


 呼びかけだ。信頼を込めた呼びかけだ。


「考えてください」


 問いかける。


「このままでいいのか」


 現状を問う。


「腐敗した政治家に搾取され続けていいのか。何かを変える機会を放棄しても良いのか?」


 怒りを込めて。


「そして教えて欲しいのです。あなた達の選択を」


 彼は敬礼する。

 この宣言を持って、ナカソネは正式にテロリストとなった。

 ニッポン軍人として、最後の敬礼であった。


「答えは五日後に聞かせてください。以上です」


 放送が終わる。

 画面が暗転する。

 しかし誰も動かない。動けなかった。

 全国が静まり返っている。


 やがて、議論が始まる。

 家族で。友人同士で。職場で。

 全国で激しい議論が始まっていた。


 賛成派と反対派が激しく対立する。


「空爆すべきだ」「いや。話し合うべきだ」「政府が悪い」「だが反乱は許せない」


 意見が分かれる。

 国民が分断される。

 しかしそれで良い。それこそが民主主義だ。


 ――首相官邸では、シカイチが机に突っ伏していた。


「終わった……」


 声が弱い。全ての力が抜けている。

 カネマルが言う。


「いえ。まだ五日あります」


 無理やりにでも希望を持とうとする。しかし声には力がない。

 ミヤザワも続ける。


「世論を味方につければ。或いは……」


 可能性にすがるしかなかった。

 しかも低い可能性だ。そもそも具体案がない。

 シカイチは顔を上げる。目が充血している。彼の処理能力を、完全に超えているのは誰の目にも明白だった。


「どうやって?」


 藁にもすがる思いだ。

 カネマルは答える。


「我々も声明を出します。ナカソネの主張を論破するのです。それしか道はありません」


 最後の手段。

 それしか手はないと言った解決策は、もはや根性論と変わらない。

 シカイチは立ち上がる。

 ふらつく。しかし立つ。事実、それしかないのだから。


「そうだ。まだだ。まだ負けていない」


 自分に言い聞かせる。まだ戦える筈だ。まだ。



 ムサシの艦橋ではナカソネが窓の外を見ていた。

 夜の海だ。星が輝いている。美しい夜だ。


「さあ」


 彼は呟く。


「我らニッポンの国民はどう答える」


 問いかけだ。運命への問いかけだ。


 タケシタが横に立つ。


「後戻りはできませんね」


 確認だ。もう引き返せない。

 ナカソネは笑う。穏やかな笑みだ。


「最初からそのつもりだ」


 覚悟していた。この道を選んだ時から。

 オオヒラが報告する。


「トーキョー湾まであと三時間です」


 時間が迫る。運命の時が。

 ナカソネは命令する。


「進路維持。全艦、戦闘配置」


 艦隊が緊張する。戦闘態勢に入る。

 しかし。戦うためではない。圧力をかけるためだ。今は、まだ。


 七日間事変。

 その二日目が始まろうとしていた。


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