七日間事変

健康な人

第1話 「侵攻」

**登場人物**

- ナカソネ(主人公・ミサイル戦艦艦長)

- シカイチ(ニッポン首相)

- タケシタ(副官)

- オオヒラ(通信士官)


**舞台**

ニッポン海軍ミサイル戦艦「ムサシ」艦橋及びニッポン首相官邸


---


**起**


 その日、艦橋に緊急警報が鳴り響いた。


 甲高い電子音が静寂を引き裂く。

 ナカソネは瞬時に状況を把握した。

 この音は戦時体制への移行を意味する。

 彼の軍人としての本能が全身に緊張を走らせる。


 オオヒラが振り返る。


「艦長!」


 声が震えている。

 若い通信士官の顔には、恐怖と興奮が入り混じっていた。

 彼はまだ二十代前半だ。

 実戦を経験したことはない。この国の軍隊の大半が、そうであるように。


 ナカソネは立ち上がった。


「報告しろ」


 冷静な声。意図的に抑えた声だった。

 指揮官が動揺すれば艦全体が動揺する。

 ナカソネは、二十年以上の軍歴でそれを学んでいた。


 オオヒラは画面を指差す。


「シンがミンへ侵攻を開始しました」


 ナカソネは目を細めた。

 画面には赤い軌跡が無数に描かれている。

 ミンの海峡が封鎖されつつある。軍事衛星からのリアルタイム映像だ。

 シンの艦隊が、完璧な陣形でミンを包囲している。


 タケシタが地図を広げる。


「これは……完全な包囲作戦です」


 副官の声にも緊張が滲んでいた。

 タケシタは三十代半ば。ナカソネと共に多くの訓練を重ねてきた男だ。

 普段冷静な彼でさえ、この規模の軍事行動を目の当たりにして、動揺を隠せないでいる。


 ナカソネは腕を組んだ。

 冷静に、冷徹に。素早く静かに素早く思考を巡らせる。


「ミンの通信網は?」

「遮断されています。外部との連絡は途絶えました」


 ナカソネの言葉に、オオヒラが首を横に振った。

 艦橋に沈黙が落ちる。

 重苦しい沈黙だ。誰もが同じことを考えている。

 これは戦争だ。そして……


 ナカソネは窓の外を見た。


 穏やかな海だ。

 青く澄んだ水平線が広がっている。白い雲が浮かぶ空。

 平和そのものの光景。

 しかしこの平和は今日で終わる。

 ナカソネの胸に予感が走った。

 暗く、重い予感が。


「シンの動きは予測できていたと思うか」

「いいえ。完全に不意を突かれています」


 殆ど確認であった。

 タケシタからの返答も、予想通り。

 ナカソネは、舌打ちしたい気持ちを抑えた。


 情報部は何をしていたのだ。

 これだけの規模の軍事行動だ。

 準備に数ヶ月はかかる。兆候は必ずあったはずだ。

 見逃したのか。それとも――意図的に無視したのか。


 ナカソネの脳裏に疑念が芽生える。

 しかしそれを口にする、その前にオオヒラが再び声を上げる。


「首相官邸から通信です」


 ――画面が切り替わる。

 そこに映ったのは、シカイチ首相の顔だった。


 五十代後半の男。

 かつては改革派として期待された政治家。

 そして、今や腐敗の象徴となった男でもあった。

 そんな男の額には、汗が浮かんでいた。目は充血している。明らかに動揺していた。


「ナカソネ艦長」


 シカイチの声は上ずっていた。

 普段の落ち着いた口調はどこにもない。


「聞いているだろう。シンがミンへ侵攻した」


 ナカソネは敬礼する。


「はい、首相」


 形式的な敬礼だった。心からの敬意はそこにはない。

 ナカソネは内心でこの男を軽蔑していた。

 国民を裏切り、若者を搾取し。

 権力に溺れた、かつての希望だった男を。


 シカイチは書類を掲げた。その手が震えている。


「緊急閣議を開いた。決定事項を伝える」


 その言葉に、ナカソネの表情が固まる。

 嫌な予感がする。胸の奥で何かが叫んでいる。

 来るな。その言葉を口にするな。

 しかし、ナカソネの祈りは届かなかった。


 ――最悪の予感を確信へと変えるように、シカイチは宣言した。


「ニッポン海軍はミン救援のため出動せよ」


 艦橋がざわめく。

 士官たちが顔を見合わせる。

 信じられないという表情だった。

 ナカソネの拳が握られ、爪が手のひらに食い込む。

 痛みは感じなかった。それ以上の怒りが彼を支配していたから。


 タケシタが前に出る。


「首相! それはっ……」


 激情を滲ませ食い下がろうとするナカソネに、しかしシカイチがかけた言葉は一言だった。


「命令だ」


 声に有無を言わさぬ強さがある。

 権力者の傲慢さだった。


「ムサシを含む第三艦隊全艦は、直ちにミン海域へ向かえ」


 ナカソネは拳を握った。

 彼の胸の内には激情が沸き上がっていた。

 ――関係ない戦争だ。なぜニッポンが介入する。ミンとニッポンに条約はない。同盟もない。地理的には近いが、それだけだ。武力介入する理由としては弱すぎる。


 同時にナカソネの冷静な部分が感情を否定する。

 ――いや、理由はある。政治的野心だ。過去の栄光を取り戻したいという、愚かな野心が。


「首相、確認させてください」


 ナカソネは言葉を選ぶ。

 まだ冷静さを保とうとしている。

 軍人としての矜持が、最後の理性が。彼にそのように動かしていた。


「ミンからの正式な要請は?」

「それは、まだだ」


 シカイチが目を逸らす。

 ナカソネの疑念が確信に変わる。

 やはりそうか。要請もない。ということは。


「では国連の承認は?」


 答えはない。

 ナカソネの問いには答えず、シカイチは苛立った様子でいる。


「時間がないのだ。ミンが陥落すれば。我が国の安全保障が――」

「つまり独断という事ですか」


 氷のように冷たい言葉には、侮蔑が込められている。

 ナカソネの中で何かが決壊した。

 この国の腐敗を。この政府の傲慢さを。

 もう許せそうになかった。


 ナカソネの言葉に、シカイチの顔が紅潮する。


「ナカソネ! 貴様っ……」


 通信が一方的に切れた。いや、ナカソネが切ったのだ。

 画面が暗転し、艦橋に再び沈黙が訪れる。

 しかし先ほどとは違う沈黙だ。

 緊張に満ち。同時に、決意に満ちた沈黙であった。


**承**


 タケシタがナカソネに近づく。

 足音が静かに響く。

 艦橋の全員が二人を見ている。


 次の言葉が、この艦の。

 いや、この国の運命を決めるかもしれない。

 そんな予感があった。


「艦長、どうされますか」


 タケシタのその問いに、ナカソネは答えない。

 彼はただ、窓の外を見つめていた。


 穏やかな海を。

 青い空を。

 この美しい光景を。


 ――心地の悪い沈黙が艦内に降る。誰もが固唾を呑んで、次の言葉を待っている。


 ナカソネは考えていた。


 二十年以上の軍歴。

 その全てがこの瞬間のためにあったのかもしれない。

 彼は常に疑問を抱いていた。

 この国の在り方に。政府の腐敗に。国民の搾取に。

 しかし軍人として、命令には従ってきた。従うべきだと思っていたからだ。


 その結果が今日だ。そして、我慢の限界でもあった。


 無意味な戦争に、若者を送る。

 それだけは許せない。

 自分の部下たちを犠牲にすること。それだけは。


 ――オオヒラの報告が沈黙を破る。


「第三艦隊各艦から確認通信です。命令を受信したと」


 振り向いたナカソネの目には、決意が宿っていた。

 何かを決断した、そんな目だった。

 迷いがない。恐れも。

 ただ冷徹な決意だけがあった。

 ナカソネは振り向き、言葉を発する。


「全艦に待機命令を出せ」


 ナカソネの言葉に、オオヒラが驚く。

 顔が蒼白になる。

 この命令の意味を理解したのだ。

 これは抗命だ。反逆である。

 軍法会議にかけられて、最悪の場合は死刑もあり得る。


「しかし首相の命令が」

「私の命令だ。従え」


 ナカソネは鋭く言う。

 声に有無を言わさぬ力がある。

 ナカソネには艦長としての威厳がある。

 そして、何よりも。彼の言葉には、正義への確信が滲んでいた。


 オオヒラは頷いて操作を始める。


 若い士官の手が震えている。

 しかし操作は正確だった。訓練通りに。

 彼もまた、ナカソネの命令が正しいと信じていた。


 タケシタが小声で尋ねる。


「艦長、本気ですか」

「ああ」


 ナカソネは低く答える。

 一言だ。しかし、その一言に全てが込められていた。

 決意が。そして悲壮な覚悟が。


 タケシタは眉をひそめる。


「抗命罪になりますよ」


 ナカソネは笑った。

 乾いた笑いだ。自嘲的な笑いである。

 しかし後悔は見えなかった。恐れもない。


「知っている」


 艦橋のモニターに、ミンの状況が映し出される。

 港湾施設が炎上し、黒煙が立ち上っている。

 民間船が逃げ惑っている。

 混乱の光景であり、戦争の光景だ。


 しかし、ナカソネの目は冷徹だ。


 感情に流されない。

 冷静に、客観的に。現実に起こった状況を、理屈を持って分析する。

 そしてすぐに、現実に違和感を見つける。


「タケシタ」

「はい」

「シンとミンの関係を調べろ。過去一年分で構わん」


 タケシタは目を見開く。


「まさか……」


 タケシタの顔に理解が浮かぶ。

 彼は副官だ。ナカソネのその言葉で、彼が何を疑っているのかを理解した。

 だからこそ言葉を失う。それがどれほど大胆な推測か。


 ナカソネは頷く。


「この侵攻には裏がある。シンとミンは表面上対立しているが」

「実際には協調関係にあると?」


 タケシタの言葉に頷くナカソネは、静かに地図を指差す。


「ミンの海峡封鎖は完璧だ。事前の準備がなければ不可能だが、事前の準備があっても容易いものではない。だが理屈としてならば、それが可能な方法はある。……ミンが、シンに協力している場合だ」


 ナカソネの軍人としての経験が語っている。

 この規模の作戦には緻密な計画が必要だ。そも、これだけの規模の海上封鎖を行ったにも関わらず、シンの海上封鎖部隊の被害は一切ない。

 こんな事、ミン側の協力なしで実現できる訳がない。

 それがナカソネの判断だった。


 ナカソネの言葉に、オオヒラが割り込む。


「しかし、民間人に犠牲が出ています」


 若い士官の声には疑問が込められていた。

 協調関係だというのなら、なぜ民間人を犠牲にするのか。


 オオヒラの言葉にナカソネは首を振った。


「演出だ。よく見ろ。炎上しているのは無人の倉庫だけだ」


 タケシタが画面を凝視する。

 目を凝らし、詳細を確認する。


「本当だ……」


 驚きが声に滲む。

 確かに、民間人の避難は完了している。

 唐突な奇襲にも関わらず、炎上している施設は全て空だ。人的被害が一切ない。これでは、まるで――


 ナカソネは腕を組んだ。


「おそらく演出だ。シンとミンは何かを隠している。あるいは……」


 誰かを騙そうとしている。

 国際社会を。もしかすると、ニッポンを。


 ナカソネの言葉を遮るように。通信機が再び鳴る。


 今度は怒号だ。


「ナカソネ! 何故命令を無視する!」


 シカイチの声が艦橋に響く。

 怒りに満ちた声だ。権力を侮辱された者の怒りだ。


 ナカソネは通信機を取る。

 冷静にで、落ち着いている。

 決意を決めた彼の声は、もう揺るがなかった。


「首相、状況を精査中です」

「精査だと!? 動かなければ命令違反だぞ!」


 シカイチが叫ぶが、ナカソネは冷静に答える。


「この出動命令には疑問があります」

「貴様……何を言っている?」


 シカイチが息を呑むのが伝わる。

 畳みかけるように、ナカソネは言い切った。


「ニッポンは、この戦争に関わるべきではない」


 明確な命令の拒否だった。

 しかしナカソネの声には確信があった。

 この道が正しい。動くべきではない。


 ――通信が切れる。


 先ほどと同じだ。ナカソネが切っていた。

 艦橋に緊張が走る。

 全員が息を呑んでいた。

 今、目の前で歴史が動いたのではないか。

 そんな予感が、全員にあった。


 タケシタが呟く。


「やってしまいましたね」

「ああ。もう後戻りはできない」


 ナカソネの声に後悔はない。

 覚悟だけが滲んでいた。


**転**


 オオヒラが叫ぶ。


「艦長! トーキョーから追加命令です!」


 彼の声は上ずっている。

 予想はできた。しかし、実際に来ると恐怖を感じるのは当然だろう。

 ナカソネは振り返る。


「内容は」


 しかし、彼は冷静だ。恐れていない。

 オオヒラは震える声で読み上げる。


「ナカソネ艦長を抗命罪で逮捕。副官タケシタが艦長代理として出動せよ」


 タケシタが立ち尽くしている。

 タケシタは優秀な男だ。この流れも、当然予想は出来ただろう。

 しかし実際に名指しされると、責任の重さが肩にのしかかる。


 ナカソネは彼を見た。


「どうする」


 問いかけだった。強制ではない。

 ナカソネは、タケシタの意思を尊重したかった。

 彼には家族がいる。妻と二人の子供が。

 彼を裏切り者の家族にしていいのか。


 タケシタは苦笑する。


「愚問ですね」


 彼はナカソネの隣に立つ。

 迷いがなかった。


「私も艦長に従います」


 オオヒラも立ち上がる。


「私もです」


 若い士官も、。震えながらも立つ。

 恐怖がある。しかし正義への確信がそれを上回った。


 ――艦橋の全員が起立した。


 一人。また一人。

 すぐさま全員が立ち上がる。

 誰も座ったままではない。全員がナカソネと共にある。


 ナカソネは深く息を吸う。


 胸が熱い。

 部下たちの信頼と忠誠が、彼の心を満たす。

 この男たちのためにも、戦わなければならない。


「諸君」


 声が艦橋に響く。力強く、確信に満ちた男の声だ。


「私はこれからクーデターを起こす」


 誰も驚かない。

 全員が覚悟を決めていた。その言葉を待っていた。


「ニッポンは腐っている」


 ナカソネの声に怒りが滲む。しかし制御された怒りだ。


「政府は国民を搾取し。過去の栄光にすがり。無意味な戦争に我々を。何よりもこの国の未来若者を送り込もうとしている」


 ナカソネは拳を握る。

 爪が手のひらに食い込む。血が滲むが、しかし気にしない。


「私はそれを、許せそうにない」

「具体的にはどう行動します?」


 タケシタの問いに、ナカソネは地図を広げる。

 大きな地図だ。ニッポン全土が描かれている。

 首都トーキョーが、地図の中央にある。


「まず第三艦隊全艦を掌握する」


 第一段階。前提条件だ。


「次に海軍全体へ檄を飛ばす」


 第二段階。準備段階。


「そして……」


 彼は首都トーキョーを指差す。

 指が地図の上で止まる。運命の地点で。


「クーデターを決行する」


 艦橋が静まり返る。

 クーデター。その言葉の重さが全員にのしかかる。

 これは反乱ではない。革命なのだ。

 少なくとも、彼らはそう信じている。


 オオヒラが尋ねる。


「他の艦は従いますか」


 若い士官の声には、不安が滲んでいた。

 この艦だけでは不十分だ。


 ナカソネは頷く。


「従うだろう。軍の不満は臨界点に達している」


 不安なオオヒラとは対照的に、ナカソネの言葉はある種の核心に満ちていた。

 ナカソネは知っていたのだ。

 軍の内情を。士官たちの不満を。


「確かに」と。ナカソネに近いタケシタが付け加える。


「安い給料に質の悪い配給。比較して最新式の装備は山のように届き。やりたくもない弾圧任務まで命令される。そもそもの士気は最低です」


 事実だ。それがニッポン軍の現実というだけなのだ。

 確かに装備は最新だ。しかし人間は蔑ろにされている。

 ナカソネは通信機を取る。


「全艦に通信を開け」


 オオヒラが操作する。


「繋がりました」


 画面に複数の艦長の顔が映る。

 困惑している。ナカソネが何を言ったのか、今何が起きようとしているのか、まだ理解していない。

 そんな彼らに、ナカソネは語り始める。


「第三艦隊各艦艦長へ。ナカソネだ」


 通信回線の向こうで息を呑む音が聞こえる。

 全員が注目している。ナカソネの次の言葉を。


「諸君も命令を受けたはずだ。ミン救援のための出動命令を」


 誰も答えない。

 沈黙だけが流れる。

 しかしその沈黙は雄弁だ。

 恐らく……いや、間違いなく。

 各艦長の全員が、ナカソネと同じことを考えている。


 ナカソネは続ける。


「私はこの命令を拒否する」


 画面の向こうで驚きの表情が浮かぶ。

 しかし非難の言葉はない。理解の色だけがあった。


「理由は明白だ。この戦争はニッポンとは無関係だ。しかし政府は国民の命を…… 未来すらも、政治的野心のために使おうとしている」


 静寂が続く。

 長い沈黙だった。しかし重要な沈黙だ。

 各艦長が決断している。命令に従うか、それとも拒否するか。


 ――やがて一つの声が響く。


「ナカソネ艦長。駆逐艦アキヅキ艦長です。我々も同意見です」


 若い声。三十代前半の艦長だ。

 ともすれば拙速とも言える、勇気ある決断だった。


 ――別の声が続く。


「巡洋艦ミョウコウも賛同します」


 年配の声。ベテラン艦長だ。

 巧遅と言われる彼の素早い賛同は重い。


 ――それを皮切りに、次々と声が上がる。


 駆逐艦。巡洋艦。補給艦。

 全ての艦が。

 それは。第三艦隊全艦がナカソネの反乱に加わった瞬間であった。


**結**


 ナカソネは深く頷く。


「感謝する」


 胸が熱い。

 誇り高き仲間たちが、共に戦ってくれる事が。


 彼は艦隊全体に向けて宣言する。


「これより我々は、新生ニッポン海軍として行動する」


 ナカソネの声には力がある。決意がある。


「目的はただ一つ。腐敗した現政府を打倒し、真の国民のための国家を取り戻すことだ」


 歓声が通信回線を通じて聞こえる。

 若い士官たちの声だ。ベテラン艦長たちの声だ。

 全員が希望に満ちている。


 タケシタが地図を指す。


「次の行動は?」


 ナカソネは即答する。


「トーキョー湾を封鎖する。政府要人の逃亡を阻止し、政府機能を麻痺させる」


 暴力ではない。圧力だ。

 オオヒラが航路を計算する。


「六時間で到着可能です」


 若い士官の声に興奮が滲んでいた。

 歴史を作っている、その実感がある。


 ナカソネは命令する。


「全艦。最大戦速でトーキョーへ向かえ」


 艦隊が動き出す。

 巨大な鋼鉄の塊が海を切り裂く。

 白波が立つ。エンジンの轟音が響く。

 歴史が動く音だ。


 ナカソネは窓の外を見た。


 夕日が海を赤く染めている。

 血のような赤だ。

 しかし美しい、希望の色だ。


「始まりましたね」


 タケシタが呟き、ナカソネは頷く。


「ああ。私たちの戦いが」


 オオヒラが報告する。


「政府から通信です。首相が直接話したいと」


 ナカソネは拒否する。


「無視しろ」


 冷たい声だ。

 もう話すことはないと、声は如実に物語っている。

 タケシタが尋ねる。


「よろしいのですか」

「もう話すことはない」


 決別だ。この国の腐敗した権力との決別するのだ。

 彼は艦橋の全員を見渡す。


「諸君。これは長い戦いになる。覚悟はいいか」


 全員が敬礼する。

 一糸乱れぬ動きだ。訓練された軍人の動きだ。

 しかし今、彼らは反乱軍となっていた。

 ナカソネにはそれがどうしようもなく申し訳なく、同じぐらいに誇らしかった。


 ナカソネも敬礼を返す。


 胸が熱い。この男たちと共に戦える。それが誇りだ。


 艦隊は夕闇の中を進む。


 遠くにトーキョーの明かりが見える。

 高層ビルの灯り。街の灯り。

 平和な光景だ。しかしそこには、腐敗した権力者たちがいる。


「時代を変える時が来た」


 ナカソネは決意を新たにする。

 この仲間を救うために。

 仲間たちの家族を救うために。

 この国の未来を繋ぐために。


 それが、自分の破滅を意味しようとも。


 彼は既に覚悟していた。

 この道の先に死があることを。

 しかし恐れはない。後悔も。


「全速前進」


 ナカソネの命令が艦隊に伝わる。

 エンジンの轟音が大きくなる。

 艦が震え、海が割れる。


 歴史が動く。


 後に「七日間事変」と呼ばれることとなる出来事。

 その幕が。今、上がった。


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