第3話 もう一度

 部室棟の、人気の無い裏庭でボクはクラスメイトの女の子と並んで座っている。

 今は午睡ごすいの授業中。

 クラス委員長である夢園カナデさんが、ボクを注意しにきた訳だ。

 幸いにも一度は摘まんだ眼鏡のつるを彼女は離してくれて、今は真面目にお話し中。


「きょーしつだとねれない?」


 瞼が半分近く落ちてる夢園さんは酷く眠そうで、頼りない糸一本で意識を保っているような状態だった。

 前にも聞いたけど、学校の授業としてこの時間に毎日寝ているからか、授業の時間になるに合わせて眠気が最高潮を迎えているらしい。

 普段の彼女はもっと利発で、ちょっとおかしな言動もある、普通の女子高生だ。

 と思う。


「ひとおーいとねれな……………………ねれないひと、かみんしつとかもあるよ」

 仮眠室、か。

 なるほど学園側もそういう場所は用意してあるんだな。

「それは、知らなかった。でも、そういうことじゃ、ないんだと思う」


 ボクは不眠症だ。

 寝ようとは思ってるんだけど、上手くできなくて、つい逃げ続けてる。

 限界がきて倒れた時がボクの睡眠時間だ。


 夢園さんは大きな枕を抱えたまま、頭で船を漕ぎながら口を開くけど。


「さく、さく、くん、は…………すぅ……」


 あ、寝落ちした。

 さっきから危うかったけど、とうとう限界が来たらしい。


 なんて思ってたら隣り合って座っている彼女の身体が傾いて、頭が肩に乗ってくる。


 流石に驚いた。

 ベッドに入って布団を被った時より緊張しているかも知れない。

 なんだか甘い香りがする。

 首元や頬に触れる髪の感触がこそばゆい。


 じんわり顔が熱くなっていくのを感じながら、ボクは動かず固まって、そうして気付く。


 無理をさせちゃった、よね。

 迂闊に動くと起こしちゃうし、申し訳ない。


「はぁ……目瞑っとこ」


 こんな状態で勉強なんてできない。

 幸いなのは、羞恥心とは別に、すぐ近くで聞こえる夢園さんの寝息が心地良いことか。

 恥ずかしいし、緊張はするけど、やっぱりどこか安心できる。

 昨日眠りに落ちた時の状態には、今少し手が届いていないけれど。


 部室棟裏に風が吹き抜ける。

 心地良い春の風。

 今は日陰になっているから暑くないけど、朝から昼までたっぷり日光を受けた壁にはまだお日様の温かさが残ってる。

 綺麗に整えられた芝生の上でボクらは隣り合って座り込み、右肩にはそう悪くはない重みと寝息がある。


「すぅ…………すぅ………………」


 夢園さんには悪いことをした。

 こんなに眠かったのに、ボクを探して学校のあちこちを探し回ったんだ。


 申し訳ない。


 明日からは眠れなくても布団に入っていよう。

 仮眠室を探してもいい。

 とにかく、彼女が心配せずに眠れるよう――――


「さくさくくん、めがね」


 不意に隣から手が伸びてきた。

 ボクより少し小さな女の子の手。

 それが、無防備になっていたボクの顔に伸び、眼鏡を掴んで外してしまう。


「ぁ……」


「ねるときは、はずすの」


 顔を左右から締め付ける、眼鏡の圧迫感が消えた。

 世界がぼやける。

 肩越しに女の子の重みを感じながら、少しだけ冷たくなった肩の上へ、再び彼女の頭が乗ってきて。

 寝ぼけて一瞬だけ目を覚ました『眠り姫』は、再び力尽きて寝息を立て始めた。

 同時に力の抜け掛けていたボクの身体から、最後の緊張も溶けて消え、抑え込まれていた眠気が急激に意識を覆い尽くしていく。


 あぁ、これは。

 まるでパブロフの犬だ。


 食事の度に鈴を鳴らされていた犬が、音を聞くだけで唾液を滲ませるようになるっていう、結構有名な実験。


 彼女に眼鏡を外されたのはコレで二度目だけど、幼稚園の頃はしょっちゅう母にされていたから、身体が覚えているのかもしれない。

 ただ、それだけじゃなくて。


「だいじょ、ぶ…………い、しょに、ねる………………よ……」


 あくびが伝染するように。

 あまりにも眠そうな夢園さんが近くにいると、ボクもじわりと緊張が解けて眠くなる。

 今の彼女が持つ、柔らかな雰囲気も心地良い。

 裏表なんかなくて、純粋に心配してくれているんだって思えるから、こうして注意されていても嫌な気持ちになんてならないし。


 元々、寝不足続きで眠気はある方なんだ。

 きっかけさえあれば。


 それが掴めなくて、ずっと苦しんできたけど。


「うん…………ありがとう」

「うひひぃ」


 ボクの肩の上で夢園さんが笑う。


 心地良い風が再び、部室棟裏を吹き抜けて。


「おやすみなさい」

「おやすみぃ……」


 眠る直前、吐息のように微かな風が、頬を撫でた。





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