学園の『眠り姫』と添い寝したら、甘々に甘やかしてくるんだが【昼寝が必修科目となった学園で始まる入眠系青春ラブコメ】

あわき尊継

第1話 君は突然に

 学校の自習室で勉強をしていたら、委員長からサボるなと怒られた。

 ひどく、眠そうな顔で。

 大きな枕を抱きかかえ。

 戸口に頭をぶつけながらのお説教だった。


 ちょうど眼鏡を外して汚れをふき取っていたボクは、掛け直して彼女を見る。


 腰元まで届く長い髪が、廊下を吹き抜けた風に揺れる。それが心地良かったのか、彼女は一度カクリと身体をかしがせて、けれどどうにか耐えた。


「んん…………だってぇ……、いま、おひるねのじゅぎょうちゅうだよー?」


 僕のクラスの委員長、夢園ゆめぞのカナデは頬を膨らませる。

 行動が子どもじみているのは、きっと眠気に負けそうだからだろう。

 普段の彼女はもっと利発そうで、春一番みたいな勢いがある。


『ゆでたまごってどうやって作るんだっけ!? フライパンで炒めればできそう? 電子レンジ使えば早そうじゃない!?』


 何故ゆでたまごだ。

 だけど最近教室の中心でそんな話をしていたのを、なんでか妙に覚えてる。


 そんな、勢い任せに吹き抜けて後は取っ散らかったまま、みたいな夢園さんは今、寝落ち寸前の状態で目元をこすって僕を見る。


「てんこーせーくん、なまえなんだっけ」

「サクです」

「サクくん。さくくん? さくさくくん?」

「やめて」

「ごめんなさい」


 枕を抱えたままぺこりと頭を下げる夢園さん。

 長い髪がばさりと前に落ちる、その様は小学生みたいだ。ほら、開けっ放しのランドセルから中身をこぼす子って居るよね。


 だけど、小学生ならぬ高校生である彼女は、下げた動きと同じくらいの勢いで身を起こし。


 ふらりと。


 足元から崩れ落ちた。


「えっ!? だ、だだだいじょうぶ……ぁ」

「すやぁ……」


 きっと限界だったんだろう。

 夢園さんは抱いた枕に頬を乗せて眠っていた。


 心底、幸せそうに。

 今この瞬間に悩みなんてないみたいに。


 その様子を見てからたっぷり十秒くらい固まっていた僕は、大きくため息をついて机に広げていた参考書を閉じた。

 背もたれに身を預けた途端、ドッと疲れが押し寄せてきたような気もする。


 どうせ集中なんてできてなかった。

 今となっては意味もない……逃げ出した場所への、依存じみた習慣だ。

 本当は眠気だってあるのに、やっていないと安心できない。


 戸口に身を預け、枕を抱えて眠る夢園さんを見ながら、その向こうの廊下越しに外の景色を眺めた。

 見慣れていない学校校舎の昼下がり。

 転校してきたばかりで何もかもが真新しいのに、馴染めなくて色褪せて見える。


 そうだ。僕は逃げた。

 元は有名な進学校へ通っていたけど、勉強と競争の日々に背を向けて、この学校へ転校してきたんだ。

 だけどここには予想もしなかった必修科目があった。


 それが、午睡ごすいの授業だ。


 昼休みが終わると、全学年、全クラスが一斉にを始める。

 睡眠は脳をリセットする働きがあるし、それを勉学の間に挟み込むことの合理性は昔から議論されてきたことでもある。だけど、私学とはいえ学校の必修科目にするなんて滅茶苦茶だ。

 は教師が見回りをして、寝ていない生徒には注意をするし、生徒は生徒で教室から出て好き勝手なところで昼寝をしている。


 なんなんだこの学校、という僕の感想に共感してくれる人はここには居ない。

 競争から逃げ出した身で言うのもなんだけど、流石に緩すぎやしないだろうか。


「はぁ……」


 とはいえ、授業は授業だ。

 納得してもしなくても、必修科目扱いで内申点にも影響があると考えれば、今みたいに隠れて勉強してるのも良くは無い。

 無いんだけどさ。


「すやぁ…………んひひぃ………………」


 夢園さんは実に気持ちよさそうな寝顔をしていた。

 こんな風に眠ったのはどれほど前になるだろう。


 眠気がない訳じゃ、ないんだ。

 だけど、僕は――――思考の沼へハマり込みそうになった時、夢園さんが急に立ち上がって、ふらふらとメトロノームみたいに揺れながらこっちへ来た。

 自習室の大机を挟んでピタリと止まり、

 大きな枕を抱き締めて、

 じっと僕を見詰める。


「さくさくくん、寝よ?」


 目覚めたとは言い難い、殆ど寝言に近い状態で、けれども彼女は微笑んだ。


「ほら、ここ」


 彼女の手が自習室の大机を叩く。

 いやそこはベッドじゃないよねと言う間もなく、なぜか夢園さんはのっそのっそと机へよじ登り、寝転がった。

 長い髪が無造作に広がり、おでこが見えた。

 改めて机をポンポンと叩き、


「どーぞ」

「いや、そこはベッドじゃなくて、それに僕はさくさくくんじゃなくて」


 しかもそれじゃあ添い寝だ。

 同級生の女の子と添い寝とか、絶対にできる気がしない。

 なのに彼女は警戒心も理性も飛んだような眠たげな顔で、


「あれえ? わたしいったっけー? ごめんなさい、さくさくくん」

「いやだから……あぁ、まあいいや…………」

「おわびのしるしです」


 そうして差し出されたのは、彼女がずっと抱えていた大きな枕。

 午睡の授業だ。眠らないといけない。

 授業をサボるなと、クラス委員長である夢園さんは言っている。


 本当は眠れるのなら眠りたいよ。


『どうしてこの程度ができないんだ』

『また順位が落ちたな。勉強不足の証拠だ』

『はぁ……お前はもういい』


 頭に纏わり付いてくる父の声を振り払って、息を落とした。

 眠気はある。

 だけど眠れない。

 勉強をし続けていないと不安になる。

 昨日だって明け方まで勉強して、そのまま机で意識を失っていた。


 もうとっくに、進学校の競争からドロップアウトした癖に。

 学ぶ手を止めてしまうのが怖くて、止められないんだ。


 その事を思うと、こうして寝なさいと叱られていることが情けなくて、申し訳なくて、泣きたくなった。

 眠たいんだ。

 だけどそれ以上に、不安なんだ。


 そこから逃げるように僕は言い訳を口にした。


「……ごめん、実は僕は、不眠症で」

「はい。ねるときはー、めがねをとりましょー」


 枕に手をやっていた僕へ、隙ありと手を伸ばしてきた夢園さんが、僕の眼鏡を取った。


 あ…………――――――――


    ※   ※   ※


 『サク、今日はもう十分だから、寝ちゃいなさい』


 まだ、幼稚園の頃。

 今ほど厳格じゃ無かった母は、そう言って僕を寝かしつけてくれた。


 必死になって勉強する僕の眼鏡を取り上げて、小さな身体を抱いてベッドへ運ぶ。

 僕も不思議と、そうされると眠気を覚えて、勉強も忘れて眠ってしまっていた。


 まだ、幼稚園の頃、だ。


 周囲も勉強はしているけど、簡単にトップを取れていた。

 流石に幼過ぎたのもあるだろうけど、母も父も上機嫌に甘やかすことがあって、そういう日は僕も安心して眠れたんだった。


 それも歳を重ねるごとになくなっていって、順位を下げる僕への落胆と、失望で放置されるようになってからは、余計に眠れなくなっていった。


 自分で眼鏡を外すだけじゃ焦りが増すだけだ。

 もしかしたら、誰かから。

 もう良いんだよと、

 許して貰えたと感じられるから、なのかもしれない。


    ※   ※   ※


 眼鏡を取られて、ぼやけた景色の中で夢園さんは僕を見ていた。

 すこし離れた場所にある、僕の眼鏡越しに彼女の顔を見る。


「やっぱり。すっごい隈ができてるよ?」


 夢園さんは心配そうな顔をしていた。

 寝ぼけ眼で。

 だけど、真剣に。


「サクくん」

「……はい」

「ちゃんと、ねましょう」

「はい。ごめんなさい」


 彼女の手が僕の頭を撫でる。

 恥ずかしい。

 だってクラスメイトだ。

 同い年の女の子からそんなことされるなんて、考えたことも無かった。


 だけど同時に、幼い頃に感じたものと同じ安心感を覚えていることに気付いた。

 ぼやけた景色の中で、唯一鮮明に映る夢園さんの、ふんわりとした笑顔を見て。

 身体の力が抜ける。

 安心、した。

 そう思った途端に、僕の中に蓄積した眠気が襲い掛かって来た。


 眠い。眠かった。寝てしまいたかった。なにもかもから逃げ出して。あるいは、許してほしくて。

 でもずっと、ずっと不安で。

 眠いのに、頑張らなきゃって。


「だいじょうぶだよ」

「……うん」


 抵抗できなかった。

 眠くて、僕の頭を撫でる、彼女の手が心地良くって。

 取られた眼鏡の向こうで、もういいんだよって言ってくれている。


 撫でる手に押されるまま大きな枕に顔が沈んだ。


 やわらかい。

 それと、不思議とあたたかい。


 いい香り。


 頭が回らなくなってきた。

 眠い。


 最後の抵抗で少しだけ顔を上げると、机の上で横になって、なんでか楽しそうに僕を眺めながら、自分もゆっくりと目を閉じていく夢園さんが見えた。


「おやすみなさい」

「おやすみなさい……」


 眠る瞬間、ボクは彼女がクラスで何と呼ばれているかを思い出した。

 あまりにも心地良さげに、

 悩みを忘れてしまうほど安らかに、

 見ている者の心もやわらげてくれる。


 『眠り姫』、と。





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